じみたの歴史
− 大学1年目 −


私の大学1年目の出来事です。
日付 出来事
1984/04/13(金) 理科大ジャズ研入部
1984/04/14(土) カルテーテと初めての飲み会
 <カルテーテ>
 <初めての飲み会>
1984/05 「じみた」という名
1984/05 ジャズ喫茶でボーカリストの丸山繁雄さんを紹介される
 <丸山さんって誰?>
 <トランペッター下神竜哉さん>
1984/05 効果音テープでいたずら
1984/05/26(土) 理科大ジャズ研の新歓コンパ
 <新歓コンパ>
 <翌日は・・・>
 <彼はどこへ?>
1984/06 中古パソコン「FM-7」を購入
1984/06? 本をしまう場所は?・・・理科大ジャズ研OB大橋さん
1984/06? 居酒屋「駒安」で「じみた基金」開始
1984/07 初めてフリージャズを聴く
1984/08 みんなより先に行った、理科大ジャズ研の夏合宿
 <満喫した2日間>
 <私の名前は?>
 <オルガン合戦>
 <山田杯>
1984/10? 生まれて初めてのバイト、居酒屋「駒安」での「人間リフト」
1984/10? 丸山繁雄 with じみたライブ・・・実現しなくてよかった。なぜ?
1984/10? ライブ鑑賞 丸山繁雄酔狂座オーケストラ 新宿「ピットイン」
 <初めて見たピアニスト板橋文夫>
1984/? 俺<φ(フェイ)>の練習時間は?
1984/11/03(土) 理科大ジャズ研のコンサート
1984/11/22(木)
〜1984/11/25(日)
理大祭「あけみ」
 <1年生はつらい>
 <じみたは真っ黒>
 <じみパパ事件>
 <マイルス小林氏はどんな人だったか?>
1984/12/08(土) ピアノへ転向させられる・・・理科大ジャズ研のバンド会議
 <ピアノへ転向させられる>
 <1年生が先輩をクビ>
 <すさまじい理大祭「あけみ」の打ち上げ>
1985/03 留年決定
1985/03 理科大ジャズ研の春合宿
 <新札は使えなかった>
 <西湖自転車一周と変な犬>
 <トライアングル>

理科大ジャズ研入部
1984/04/13(金) / 18歳 / 大学1年目
 東京理科大学のジャズ研に入部。前々日の水曜日にジャズ研の新歓コンサートを見に行ってジャズ研に入ろうと決めた私は、この日初めて部室に顔を出しました。

 理科大のジャズ研は軽音楽学部の3つのグループの中の1つで、他の2つはロックとクロスオーバーです。当時は3つとも同じ部室を使ってました。私は部室を探して行きました。部室に着く前から壁に落書きが書いてあります。
    「なんてやつだ!」
何ヶ所も書いてあります。
    「なんてやつだ! 真対は留年!」
・・・わかる人はわかりますね(^^)。
 部室をのぞきました。とてもきたない狭い部室です。3畳ぐらいでしたかね。壁には同じ落書きが書いてあります。
    「なんてやつだ! 真対は留年!」
意味がわかりません。机は今にもブッコわれそうなオンボロです。横にあるロッカーはへこんでます。その横の棚らしきところには、譜面だか雑誌だかが積み重なってて今にも倒れそうです。何人か座っています。
    「あのう、入部したいんですけど。」
    「どこ希望ですか?」
    「ジャズです。」
    「おっ、ジャズですかぁ、まあまあまあまあ・・・そこに座って座って。」
いたのはちょうどジャズ研の先輩たちでした。それともう1人、「松本」というジャズ研入部希望の1年生がいました。
 きたない椅子に座ると先輩が私に聞きます。
    「楽器は?」
    「ジャズ・オルガンなんですけど。」
    「ええっ! ジャズ・オルガン? へえ・・・」
早くも珍しがられます。
    「誰が好きなの?」
    「ジミー・スミスです。」
    「おお、さすがぁ〜」
何が「さすがぁ」なんだか・・・まあジャズ研のようなオタク的なクラブでも、「なんか楽器やろうかなあ」っていうジャズを全然知らない人も入ってきます。「ジミー・スミス」なんか名前を出しただけで、「こいつはジャズを知ってるやつだ」と思われたんでしょうね。
    「まあまあまあまあ・・・そこに名前と住所と電話と目指すミュージシャンを書いて。」
「まあまあまあまあ・・・」、他のクラブに逃げられると困ります。先輩たちも新入部員を逃がすまいと、とてもおだやかな言葉で声をかけます。部誌を見ると
    「C年」
とか書いてあります。そこに自己紹介を書きます。そうこうしてると、ジャズ研の別の先輩が部室に入って来ました。
    「また入ったよ、C年(ツェーねん)。」
    「おう、C年(ツェーねん)かぁ。」
なるほど・・・私はヤマハ音楽教室のジュニア科で習ってたのでドイツ語での音階を知ってました。CDEFGAHC。なぜかBじゃなくてH。B(べー)はHのフラットですね。ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー、ツェー。・・・なるほど、
    「C年=1年」
ね。なーんか昔習ったことが役に立ってるってのがうれしい。
 自己紹介を書いてこの日は終わりです。
    「明日ちょっとだけ演奏してもらうから。」
早速かあ。人前でジャズの演奏なんかしたことはありません。それにエレクトーンは基本的に1人で演奏します。他の人と一緒に演奏したのは何年前のことか。緊張します。
    「そのあと、」
先輩が飲むまねをします。
    「ちょっとコレだから。」
ははあ、飲み会ってやつだなあ・・・飲み会なんてものはもちろん知りません。緊張します。
    「メシ一緒に食う? よし、シーメ行こう、シーメ。」
シーメ・・・バンド用語、いわゆるドンバー用語ってのも初めて聞きます。先輩たちともう1人の1年生、松本と一緒に学食で夕飯。東京へ出てきて他の人と一緒に食事をするのは初めてです。食事が終わって解散です。私はこの当時、大学から歩いて10分ぐらいのところの神楽坂に住んでいたんですが、松本も大学から歩いて10分ぐらいのところに住んでいて方向が同じだったので、途中まで一緒に帰りました。
    「明日演奏だって?」
    「そうみたいね。」
    「緊張するね。」
    「うん。」
 私の理科大ジャズ研時代の始まりです。ジャズ研のC年(ツェーねん)、1年生です。楽器はジャズオルガンです。すべてはここからスタートしました。エレクトーン出身の私はジャズピアノはまったく考えていませんでした。

 さて、楽器なんですが、1人アパート暮らしで鍵盤は何も持ってませんでした。まず楽器をなんとかせねば。もちろんハモンドオルガンなんて高くて買えません。エレクトーンや高いハモンドオルガンは鍵盤が2段なんですが、後日、コルグの安い鍵盤1段のオルガン1台、1万円の中古のよくわからない鍵盤1段のオルガン1台、コルグの足ベースを購入。右手用、左手用、足ベース、合計3楽器、バラバラです。まあなんとかなるでしょう。これでやることにしました。


 ※ちなみに知らない人のために、バンド用語の基礎知識を。

 「12345678」が「CDEFGAHC」ってやつ。お金もこれを使います。
    10000円=C万(ツェーまん)
    500円=G百(ゲーひゃく)
    7000円=H千(ハーせん)
エン(円)は言いません。ところが3のEは「エー」というと英語のAと間違えるので
    E=「イー」
したがって
    30円=E十(イーじゅう)
これで7まではいいですね。8以上はどうするか。8はオクターブだから
    8=「オク」
したがって
    800円=「オクひゃく」
億百に聞こえても800円、億万に聞こえても80000円です。9は単に「ナインス」って言ってました。ケタはめんどくさいから言いません。だいたいその場でわかります。食事をした場合、
    「ワリカンで1人ナインスね。」
といえば、
    ナインス=900円
です。
    「このラジカセいくら?」
    「ナインス。」
といえば、
    ナインス=9000円
です。
 ということでモノホン・・・これもバンド用語ですね・・・本物のドイツ音階とはちょっと違って、
    「ツェー、デー、イー、エフ、ゲー、アー、ハー、オク、ナインス」
です。連続している0以外の数字が2ケタまではだいたいこれで言います。
    120円=C百D十(ツェーひゃくデーじゅう)
または
    120円=CD(ツェーデー)
です。他の例、
    2500円=D千G百(デーせんゲーひゃく)
または
    2500円=DG(デーゲー)
やはりエン(円)は言いません。ケタもあまり言いませんね。これ以上複雑になると、
    「4031円」
言うほうもめんどくさいし、聞いてるほうもわからなくなるので、普通に言ってました。

 モノホン・・・なんでもひっくり返してましたね。
    ボントロ=トロンボーン
    ヤノピ=ピアノ
    バータコ=たばこ
    イレト=トイレ
2音の単語はなぜか間が伸びます。
    シーメ=メシ
    バーチ=千葉
    マーヒ=暇
1音の単語は母音を分離して無理矢理2音にします。
    イーヒ=火
長いのもありましたね。
    プラテンバーソ=天ぷらそば
シーメで、
    「チータ」
といえば立ち食いそばです。形容詞もやってました。
    イータカ=高い
 大学によって少し違うようです。のちに入部する法政大学のニューオレで、ある日突然、
    「くりびつてんぎょ!」
・・・?・・・くりびつてんぎょ? 天女の仲間か?・・・ビックリ仰天だった。これはわかりませんでした。

カルテーテと初めての飲み会
 <カルテーテ>
 <初めての飲み会>
1984/04/14(土) / 18歳 / 大学1年目
 入部した翌日です。

 <カルテーテ>

 入部の翌日、初めてのジャズバンド演奏です。理科大ジャズ研は、定期的な練習日として毎週土曜日と日曜日がありました。この時期は1年生は入部したりやめたりと出入りが激しく、まだバンドが組めません。でも練習日はあります。では1年生は何をやるかというと、練習時間の一番最後に1人ずつ、先輩たちに混じって演奏をします。これを理科大ジャズ研では、
    「カルテーテ」
といいます。新歓コンパまでの約2ヶ月近くは1年生はカルテーテだけです。最初はみんなブルースを演奏します。そのうち違う曲もやったりします。先輩に混じっての演奏ですから緊張しますね。
 初めてのカルテーテの日、まず練習する教室に楽器運びです。先輩と一緒に楽器を運びます。前の日会った1年生の松本も来ています。そしてこの日1年生が全部で8人いました。やはり途中でやめたり新しく入部してきたりで、バンドが決まる新歓コンパ時点では8人、秋のコンサート前に1人入部して9人、秋の理大祭が終わって1人やめて8人、その後はそのままで最終的に私の代は全部で8人でした。理科大ジャズ研で同じ代に8人というのはかなり多いほうです。同期が多いってのはいいですね。
 カルテーテは1人ずつ、レギュラーバンド「スパイラル・ステップス」に混じってやります。他の先輩たちもみんな見てます。緊張しながらのカルテーテです。
 まず管の人たちから始まります。なんだかボロボロのコートを着たトランペットの1年生です。自己紹介をします。すると、先輩の1人(鈴木さんだった)が、
    「なんだよそのコートは?! おまえは伊武雅刀かよ?!」
先輩たち、大爆笑です。彼は早くもこの日から「Eve」と名付けられます。(伊武雅刀は当時「子どもたちをせめないで」という歌を歌っていました。「私は子どもが大嫌っいだー!」って歌。おもしろい歌だった。)
 彼から1人ずつ始まりました。みんなロクにソロなんかとれません。ああ、他の人も一緒なんだなぁ、なんかちょっと安心します。何人かいた管の人たちがカルテーテをやります。
 次はリズム隊です。ピアノの人がいたのでその人が先にやります。これが私の同期のピアノ「Yago」です。この時はもちろんまだ本名で呼ばれていました。・・・のちにYagoだからYago・・・ヤゴに似てるから「Yago」となりますが・・・Yagoのカルテーテが終わります。
 次は私の番です。自己紹介をし、演奏をします。オルガンはないのでフェンダーローズです(生ピアノはなかった)。もちろんロクにソロなんかとれません。演奏が終わるとみんなが拍手、やっと終わりです。初めてのバンドでのジャズの演奏が終わりました。緊張が解けました。残りの人もカルテーテをやります。これでカルテーテは終了です。明日の日曜日もまたカルテーテです。また緊張するんだろうなあ。

 <初めての飲み会>

 カルテーテが終わると飲み会です。私は過去、高校の時に中学の同窓会で1回だけ酒を飲んだことがありました。その時はウィスキーのかなり薄い水割りを7、8杯飲んだんですが別になんともありませんでした。自分はある程度は飲める体質なんだなと思ってました。ちなみにうちの実家では酒を飲むということはめったにありません。晩酌なんか1度も見たことがありません。この環境ですから、私は大学で東京へ出るまでは実家でも酒を飲んだことはありません。酒を飲むのはその同窓会以来です。
    「それもいかんし、今日の飲み会もいかん!」
    「おまえは未成年ぢゃろが!」
いいんです。みんなそれくらいやってますよね。
    「オレは二十歳で酒やめた。」
なんていう人もいますからね。
 理科大ジャズ研御用達の居酒屋「駒安」へ連れて行かれます。このお店は理科大ジャズ研が代々バイトをしているお店です。私が大学2年の時、駒安はその場所にビルが建つというので水道橋へ移転してしまいましたが、当時は飯田橋、理科大のそばにありました。
 店に入ると、顔も体も丸い、いかにもって感じの店長がいます。居酒屋の店長ってのは、やせているより太っているほうがうまそうなものを作ってくれそうに見えます。見るからにとてもうまそうなものを作ってくれそうな店長です。駒安の通称「社長」です。私も短期間でしたが水道橋に移転するまでアルバイトでお世話になりました。ちなみにこの「社長」は法政大学のオーケストラ部出身で楽器はクラリネットです。閉店後よくクラリネットを吹いてました。音楽のつながりって大きいですね。
 初めての飲み会が始まります。場所は2階の座敷で貸し切りです。ビールを注がれます。初めてです。私はウィスキーの水割りってのは飲んだことはありましたが、ビールってのは初めてです。部長が挨拶をします。そしてみんなで、
    「乾杯!」
・・・苦い。ふ〜ん、ビールってのはこんな味なのか。ま、そんなにまずくはない・・・初めてのビールはこんな感じでした。
 駒安での飲み会が終わりました。飲み会終了です。さあ帰ろう・・・2次会です。
    「えっ? これからまたどっか行くの?」
飲み会ってものを知りません。それに私の住んでたアパートは大学から歩いて10分のところ。「遠いから帰ります」ってわけにいかない。少しだけ人数が減って駒安の近くの居酒屋「磯忠」へ移動します。
 2次会が始まりました。と、ここで第1噴射勃発。私が座っていたテーブルの隣のテーブルで、1年生のEveがなんと、
    「テーブルの上に噴射!」
な、なっ、なんちゅうことを・・・まあ大学生らしい飲み会ですね。
 2次会も終わりました。さあ帰りましょう・・・3次会です。
    「ええっ?まだどっか行くの?」
帰れません。飲み会ってのはこういうものなのか・・・。だいぶ人数が減って、道の反対側の居酒屋「庄屋」へ移動します。
 3次会です。みんなくつを脱いで座敷へ行きます。と、ここで第2噴射勃発。誰かが、
    「くつの中へ噴射!」
したらしい。
    「ああ!くつの中に・・・誰だよ!」
目撃したのは誰もいなかったんですが、どうも犯人は私が昨日から会っている1年生の松本のようでした。といっても1年生は初めての飲み会です。先輩にがんがんつがれます。つがれたのを飲まないと「もっともっと」とか言われます。飲まされてるだけですから先輩も怒るわけにいきません。
 3次会も終わりました。もう時間も遅いです。これ以上はなさそうです。帰れます。やっと解放です。
    「今日はこいつんちに泊まり行こうぜ。」
解放されません。いきなり5人がうちへ来ることに。私のアパートは6畳1間です。やめてくれ!
 5人のうちの1人は、「くつ噴射」した1年生の松本で、私と同じく大学から歩いて10分ぐらいのところに住んでるのは知っていました。ということは帰れる・・・なんでうちに泊まるんか! 残りの4人は先輩で、そのうちの2人、水無瀬さんと角谷さんは私のアパートから5分もかからないところに住んでいました。なんだ帰れるんじゃん・・・なんでうちに泊まるんか!・・・まあ早速1年生のアパートの場所確認と見物ですね。残り2人のうち、1人は帰れなくなった先輩、木下さん。もう1人は帰れなくなった「女」の先輩「まゆみちゃん先輩」でした。・・・「まゆみちゃん先輩」・・・付けりゃいいってもんぢゃないだろ・・・でも本当にそう呼んでました・・・。私はジャズ研に入部した昨日まで、東京には誰も知り合いはいません。もちろん誰もうちに来たことはありません。はぁ、こんな狭いボロアパートにですよ、入部した次の日にいきなり5人、それも女の人まで泊まりに来ますか。東京の1人暮らしってのはさわがしいですね。
 泊まった人たちの中で、男の先輩3人はさっさと先に寝てしまいました。これがそろいもそろって体がデカい。残ったのは「まゆみちゃん先輩」、1年生の松本、私の3人。寝る場所がありません。仕方なくこたつを囲んで3人で話をします。そのうち松本もうつろうつろ。わずかに空いてた場所に、ひん曲がって寝てしまいました。
 結局、「まゆみちゃん先輩」と私は朝まで寝れませんでした。私は初めての徹夜でした。

 ※理科大のジャズ研の飲み会の特徴として、
    「つまみは食うな、酒は残すな。」
というのがありました。体にはよくありません。でも貧乏学生が酒を飲みたいという願望には合ってます。特にこの「つまみは食うな」が激しい。1年生はほどんどつまみを食えません。ちょっとでもたくさん箸でつまもうなら、
    「なんだそれは! 一気だ!」
何かというとビール一気です。コーンバターってありますよね。コーンは1粒づつしか食っちゃいけないのです。間違って2粒つまもうなら、
    「あーっ! 2粒! 一気だ!」
コーン1粒づつなんて・・・ほんとに「つまみ」です。
 焼き魚などの皿は全部食べ終わっても皿はかたづけてもらいません。醤油を垂らします。七味唐辛子をふりかけます。
    「醤油の七味かけ」
これで十分つまみです。箸でちょっとずつ舐めます。
 酒がすすむとビールから焼酎とか日本酒とかになります。つまみは食いたいが金はない。酒は飲みたい。どうすればいいか?
    「ビールをつまみ」
テーブルの上にはいわゆるつまみはなく、焼酎とビールだけ。これもやってました。

「じみた」という名
1984/05 / 18歳 / 大学1年目
 ある日の練習の帰り、ジャズ研の人たちで道を歩いてる途中で、先輩の苅田さんが突然言いました。
    「じみたぁ。」
は? 誰?・・・どうも私らしい。他の先輩たちも不思議がっていました。
    「ジミー・スミスと久保田だから『じみた』でいいんだ。」
これで一同納得(せんでいいのに)。まああだ名なんてのはこんなものでしょうね。
 私は子どものころから本名で呼ばれたことはあまりありません。なんかいつも変なあだ名をつけられます。これがいやで・・・いや違う・・・大学で北九州から東京へ出て来たんですが、あだ名付けられ病はやはり直らなかったみたいです。

 私の名づけ親は苅田さんだったんですね。この名前が日本のジャズ界に広まろうとは・・・私でさえ思いません。今から思うとありがた〜いことです。

 ※実は大学卒業後勤めるセガでも多くの人から「ジミー」と呼ばれていました。もちろん自分から言ったわけではありません。セガの同期入社の人に理科大の人がもう1人いてその人はスキー部だったんですが、ジャズ研で私を「じみた」ではなく「ジミー」って呼んでいた蓑下さんという先輩がいて、蓑下さんはスキー部にも入ってました。そこからもれてしまったらしいのです。ある日セガでその同期の人に、
    「ナニィ?」
    「おまえ理科大じゃ『ジミー』って呼ばれてんの?」
    「なんだそりゃ? ハハハ・・・」
こういう変なことはすぐ広まってしまいます。もう次の日から同期連中からは「ジミー」です。なんでこうなっちゃうんでしょうね。

ジャズ喫茶でボーカリストの丸山繁雄さんを紹介される
 <丸山さんって誰?>
 <トランペッター下神竜哉さん>
1984/05 / 18歳 / 大学1年目
 理科大のそばにジャズ喫茶「コーナー・ポケット」というお店があります。ジャズ研に入部して何日かたって、先輩にそのお店に連れて行かれました。私は高校3年までは北九州の田舎にいます。ジャズ喫茶という存在そのものを知りません。それどころか喫茶店というものにも行ったことがありませんでした。
    「ふ〜ん、東京にはこんなお店があるのか。」
コーヒー1杯400円で好きなだけレコードが聞けます。貧乏学生とはいえ、これは安いもんです。よく行くようになりました。

 <丸山さんって誰?>

 男性ボーカリストの丸山繁雄さんは酔狂座というバンド名で活動しています。私が東京に出る少し前、東京にあるたくさんの大学の学生ビッグバンドの中から演奏のうまい連中を集めてきてビッグバンドを組み、そのビッグバンドとプロミュージシャン何人かをバックに歌うという企画のコンサートがありました。これが丸山繁雄酔狂座オーケストラです。私が東京に出てからもこの学生のバックバンドの企画は続きました。
 私が東京へ出る前の酔狂座オーケストラに、理科大ジャズ研の先輩のテナーの苅田さんとトロンボーンの角谷さんが参加していました。その関係で丸山さんと理科大ジャズ研は少しだけつながりがありました。しかし私はそんな事情は知りません。コーナー・ポケットのマスターから名前だけは聞いてました。それに私は北九州の田舎出身ですから、日本のジャズミュージシャンの名前なんか全然知りませんでした。知っていたのはジョージ川口とナベサダとヒノテルぐらいです。
 ある日、先輩の苅田さんと一緒にコーナー・ポケットに行きました。少したってから男のお客さんが入ってきました。苅田さんはその人を知ってるらしく挨拶しました。ちょっとたってから私に、
    「丸山さんだよ。」
ああ、この人が以前名前を聞いた丸山さんなのか・・・それだけです。丸山さんが日本のジャズ界で有名なのを知ったのはだいぶ後からです。

 <トランペッター下神竜哉さん>

 その酔狂座オーケストラには、当時東洋大学グルービーサウンズにいたトランペットの下神竜哉さんも参加していました。よくコーナーポケットに来ていたので私も知り合いになりました。
 この後何年もたってからです。彼は、その後世界で活躍することになるオルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーになります。でも私はその頃、彼がデ・ラ・ルスに参加していることは知りませんでした。いや、それよりも・・・カールスモーキー石井・・・そうです。いつのまにか、あの「米米CLUB」のメンバーとして活動していたのです。はぁ〜、あの下神さんがねえ・・・
 いつだったか、コーナー・ポケットのマスターから、下神さんがコーナー・ポケットに米米CLUBのバンド連中を連れてくるという話を聞きました。そしてその日、私もコーナー・ポケットに行きました。私はこの時もう下神さんに何年も会っていません。彼はすでに日本の音楽界のメジャー中のメジャーのバンドにいます。しばらくしてから米米CLUBの人たちが入ってきました。テレビで見ていた人たちばかりです。もちろん下神さんもいます。下神さんは私のことを覚えてくれていました。うれしかったですね。
 その日、下神さんはしばらく普通に酒を飲んでいましたが、そのうちなんと涙を流し始めました。そして叫んでいました。
    「オレはほんとはジャズがやりてーんだよー!」
あんなメジャーなバンドで何不自由なく大いに楽しんでるはずなのに・・・コーナー・ポケットに来たのが久しぶりだったのもあるでしょうけど・・・超メジャーなバンドにいるプロのミュージシャンってそういうものなのかなあと、いろいろ考えさせられました。

効果音テープでいたずら
1984/05 / 18歳 / 大学1年目
 私は1年生の時に「効果音テープ」というのを持っていました。電車の走る音とか鳥の鳴き声とかが入っているカセットテープです。なんか興味があったんでしょうね。普通は理由もなくこういうものは持っていません。
 ある日、先輩の何人かがうちに泊まりにきました。効果音テープを発見します。
    「なんだそれは?」
    「それ1人で聴くの?」
    「おまえ、なんて変なものを持ってんだよ。」
笑われます。買っちゃったんだから仕方がない。
 その先輩たちの中で、私の5つ上の先輩の水無瀬さんが言います。
    「よし、これでいたずら電話しようぜ。」
当時ジャズ研にいた、私の1つ上の女のドラムの先輩の「チャヨ」さんに水無瀬さんが電話をします。
    「おう、チャヨ?」
    「今からいいものを聴かせるからコピーしろよ。」
受話器をラジカセに近づけます。
    「ボーン!」
寺の鐘の音です。チャヨさん、もちろんなんだかわかりません。
    「えっ? 今のなんですか?」
水無瀬さんが言います。
    「おまえドラムだろ? わかんねーのか?」
    「よく聴けよ。」
受話器をラジカセに近づけます。
    「ボーン!」
水無瀬さんが言います。
    「わかったか?」
    「コピーしたら『265のよいごっくん』に電話してこい。」
電話を切ってしまいました。私の当時の電話番号は265−4159でした。そんな突然「よいごっくん」って言ったって・・・先輩たち大爆笑です。もちろん電話はかかってきません。
 しばらくして水無瀬さんがまた電話します。
    「おい、チャヨ。なんで電話してこねーんだよ。」
なんか楽しかったです。

理科大ジャズ研の新歓コンパ
 <新歓コンパ>
 <翌日は・・・>
 <彼はどこへ?>
1984/05/26(土) / 18歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研の新歓コンパです。目的は1年生をつぶすことです。1年生をつぶすためにやります。1年生はもれなくつぶれます。
 新歓コンパが終わると1年生同士でバンドが組まされます。私はオルガンとドラムのデュオバンド、もう1つは3管バンドでした。
 この時点で1年生は全部で8人いました。その中で、血液型がB型の人が1人、O型の人が1人、残り6人はA型でした。これは多いです。「ジャズ研にA型の時代が来た。やばい。」とか言われていましたが・・・あまり関係ありませんね。

 <新歓コンパ>

 この日は練習日だったんですが、私と同期の初田(はつた)は私と同じ学科で、私と初田はこの日を含めて3日間、学科の泊まり込みでの研修だったので練習には参加できませんでした。一緒に帰って来たんですが、新歓コンパが始まるまでちょっと時間があったので一緒にうちへ来ました。2人で悩んでます。
    「今日どのくらい飲まされるんだろう?」
    「つまみは食えないんだよね。」
    「何か食っていったほうがいいのかな?」
うちにあった焼きそばを作って食べることにしました。そして大学へ行きます。みんな待ってます。
 お店は神楽坂を登りきったあたりの居酒屋「鳥忠」、初めて行くお店です。座敷に行くと、テーブルは上から見ると「凹」の形にすでにセッティング済み。この中へ1年生たちは入ります。いやな感じ。私はわりと飲めるほうでしたが、今日は許容範囲以上に飲まされるはず。
 新歓コンパが始まります。部長があいさつ。乾杯。そしてまず「凹」の左側で何人かの先輩たちに挨拶。ビールをコップ一気飲み。少し前へ進んでそこの先輩たちに挨拶。一気飲み。次は正面の先輩たちに・・・一周します。この時点でもうだいぶキてます。
 そしていよいよ始まります。
    「芸」
の時間が。1年生は何か「芸」をやらなければなりません。芸の出来によって日本酒を何杯一気飲みするか変わります。といっても何をやってもつぶされるのは同じなんですけどね。
 まず1年生の1人が芸をやります。日本酒を一気飲みします。つらそう・・・。次の1年生です。また一気飲みです。つらそう・・・。
 途中、先輩がお盆にとっくりを10本ものっけて運んで来ます。
    「さあさあ、芸がおもしろくないやつにはこのボーリング酒がありますからね。」
そんなに持ってくるか! あ〜あ、やだな・・・
 次は私の番です。真ん中に立たされてまず自己紹介をします。いくつか質問され、それに答えます。そして最後お決まりの質問、司会の先輩が言います。
    「目指すミュージシャンは?」
    「ジミー・スミスです。」
そんなの入部したときから先輩たちは知ってます。まったくもう、何を言わせるんぢゃ!・・・ちなみにこれ、1年生の間は何かイベントがあるたびに言わされます。まあ、おまじないのようなもんです。
 先輩が続けます。
    「それでは、将来のジミー・スミスに、」
    − ここからみんなで合掌 −
    「乾杯、しようじゃないか!」
ビールのコップ一気飲みです。またです。
 そして芸の時間です。先輩のちょっと変な行動をまねしたところ、まあまあのウケ。司会の先輩が他の先輩たちに向かって言います。
    「さあ今の芸に対して何杯でしょう?」
    「2杯」「3杯」「3杯」「4杯」「2杯」・・・
    「それでは平均をとって3杯。」
日本酒です。ビールグラスです。そんな量飲んだことありません。あ〜、日本酒コップ3杯一気飲みです。飲みます。拍手されます。私の時間はこれで終わりです。次の人の芸です。見てます。だんだん目が回ってきて・・・つぶれます。これでみんなつぶれると新歓コンパは終了です。
 そして1年生たちは先輩たちに担がれ、大学へ運ばれます。そして3号館の1Fのモータープールに投げ出されます。みんなつぶれてます。あばれてる人もいます。つぶれている人には、白いチョークで一人一人枠で囲み、横に矢印を書いて名前を書きます。
    「○←じみた」
1年生たちはつぶれているから知りません。しばらくして少し落ち着いたところで、1年生たちを大学の近くに住んでいる人の何軒かの家に分散させます。私は大学から歩いて10分ぐらいのところに住んでたので先輩3人に運ばれてうちへ。先輩たちも泊まります。

 <翌日は・・・>

 翌日です。目が覚めると大二日酔いです。こんなに気持ち悪いのは初めてです。しばらくうちで休憩します。そして泊まった先輩たちと一緒に大学へ行きます。するとなんと、モータープールにチョークでいっぱい人の型やらジャズ研の1年生の名前が・・・私の名前も発見・・・
    「現場検証」
と呼ばれていました。

 <彼はどこへ?>

 これはあとから聞いた話です。
 新歓コンパが終わり、1年生たちが大学でつぶれてしばらくたってからです。いつのまにか1年生の松本がいないではありませんか。先輩たち、
    「あれっ、松本は?」
    「あれ? いねぇーじゃん。ちゃんと連れてきたはずだけど。」
探しますがどこにもいません。
    「あいつ、1人で帰ったのかなあ?」
どこを探してもいません。当時彼の家には電話はなく、大家さんからの呼び出ししか出来なかったので、そんな遅い時間では電話も出来ません。ちょっと心配です。でも探してもいないんだからしょうがない。先輩たちはあきらめました。
 翌日、彼は部室にひょっこり現れました。
    「おまえ、何やってたんだ?」
 実は、松本は・・・酔ったまま、なぜか自宅とは反対の飯田橋の駅のほうへ歩いて行き、途中電話ボックスへ入り、そこでダウン。彼はそこから記憶はありません。
 目が覚めました。なぜかオリの中にいます。ははぁ〜、これは先輩がいたずらしてるんだろう。
    「出せ!」
オリを叩きます。
    「ドンドンドンドン!」
    「早く出せ!」
そこに現れたのは、制服を着た人・・・トラ箱、酔っぱらいセンターです。うすうす彼も気が付きはじめました。
    「どうもほんとらしい。」
お世話になったそうです。

中古パソコン「FM-7」を購入
1984/06 / 18歳 / 大学1年目
 東京に出てきた時、高校の時に買った「日立ベーシックマスターレベル2」というパソコンを持ってきました。でもこれは中古で買ったのですでに相当古いものです。ちなみに白黒です。カラーは表示されません。そこで新たに購入することにしました。、少なくともカラー表示される機種で、中古で安い機種を探して「FM-7」を購入しました。
 買った時に本体だけでなく、いろいろ付属品がありました。漢字ROMもその1つでした。当時は標準では漢字は表示されず、別途漢字ROMを購入しなければなりませんでした。これはとてもよろしいです。その他にゲームがありました。「マージャンゲーム」と「信長の野望」というゲームでした。ちなみに私はそんなにゲームはやりません。マージャンはしません。
 理科大のジャズ研の先輩の苅田さんは、1人暮らしで当時は要町に住んでいました。大学までは地下鉄です。私のうちは大学から歩いて10分ぐらいでした。なのでたまにうちに泊まりにきていました。ところが、私がパソコンを購入すると早速マージャンを開始。タダでできますからね。でもマージャンは1人でしかできませんから、そのうち「信長の野望」をやり始めました。これは2人で考えながらできます。一旦やり始めると朝になってしまいますけどね。でもおもしろかったんでしょうね。毎週のようにうちに泊まりに来るようになりました。まあこれをやるために泊まりに来てたようなもんですね。本当に「信長の野望」は一緒によくやりました。

本をしまう場所は?・・・理科大ジャズ研OB大橋さん
1984/06? / 18歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研のOBにベースの大橋さんという人がいます。私が入部した時は、すでにOBでした。
 ある日、ジャズ研の飲み会に大橋さんが遊びに来ました。私は初めて会います。居酒屋「駒安」で一緒に飲みます。
 そして飲み会が終わりました。今日は何人かうちへ泊まりに来ることになりました。大橋さんも泊まりではないが、うちへちょっとだけ遊びに来ることになりました。
 みんなでうちへ来ました。早速、大橋さん、部屋探検開始です。ゴソゴソ勝手に私の部屋のモノをいじってます。いじったものはそのままです。だんだん部屋がくずされます。他の先輩たちは笑っています。途中、大橋さん、私の本を取って、
     「これはここにしまうものなんだよ。」
冷凍室に入れてしまいます。だからやめてくださいって・・・私が取り出します。
 さんざんちらかした後、さっさと帰ってしまいました。残った先輩たち、
     「ああいう人だよ。」
まあしょうがないですね、先輩ですから。
 翌日です。朝、みんな帰りました。そして私は授業を受けに大学へ行きました。
 授業も終わり、うちに帰ってきました。さてジュースでも飲むか。ちょっと暑いから氷でも入れるか・・・冷凍室を開けます。そこに置いてあったのは、なんと、
    「大学の教科書」
教科書が凍ってます。冷たい教科書です。まったくいつの間に・・・やられました。

居酒屋「駒安」で「じみた基金」開始
1984/06? / 18歳 / 大学1年目
 私は高校時代は真面目なほうでした。高校も地元では有名な進学校でした。別にガリ勉君ではありませんでしたが、どちらかというとクソマジメな部類に入るほうでした。その状態で1人で東京へ出てきました。
 理科大ジャズ研に入ってからも、この部分を引きずっていました。こんな感じの私を見ていた居酒屋「駒安」の社長や駒安でバイトをしていた先輩たちが、
    「よし、じみたを誕生日に風俗に行かせよう。」
い、いや、私はそんなことをしてもらわなくても・・・
    「金がかかるから、駒安に来たお客さんに募金してもらおう。」
勝手に始まってしまいました。
    「じみた基金」
設置されました。駒安の入り口のカウンターに「じみた基金」と書かれたウィスキーWhiteのデカボトルの瓶が。・・・まったくぅ、店のカウンターにこんなものを置いて・・・お客さんは「じみた基金」を見ても何の募金だかわかりません。しかしなぜだかお金はたまっていきます。
 そしてめでたく誕生日(10月10日)にこれをいただきました。さあ、結果ははたして・・・行ってません。だいたいデカボトルといったって瓶に1円玉やら5円玉が満杯になっても、たいした金にはなりません。あっ、確か伊藤博文の千円札が1枚入ってましたけどね・・・いいや、これでもたいした金にはなりません。いや、それよりも、自分から風俗に行きたいなんて言ったんじゃない、強制実行されようとしたのです。
 いただいたお金は生活費の足しにしました。駒安のお客様方、どうもありがとうございました。

初めてフリージャズを聴く
1984/07 / 18歳 / 大学1年目
 理科大のそばにジャズ喫茶「コーナー・ポケット」というお店があります。私はよくこのお店に出入りしていました。
 ある日お店に行くと、客は私1人でした。しばらくして、お店のマスターに用事ができました。
    「好きなレコード聴いてなよ。」
マスターは外に出て行きました。私は1人で留守番です。
 さて何を聴こうかな・・・テナーのジョン・コルトレーンは高校の時から知ってて好きでした。お店にコルトレーンのレコードは何十枚も置いてあります。私が知らないコルトレーンのレコードもたくさんあります。
    「OM」
ジャケットを見るとなんだか気持ち悪い。「OM」? これは何だろう? まあコルトレーンだからいいに決まってる。そしてレコードをかけます。すると、
    「ヒュードロドロ・・・」
薄気味悪いの笛の音が・・・
    「おい! 留守番中に幽霊を出す気か!」
ちょっとすると、いきなり呪いの言葉が・・・
    「ジャズだぞ! 何をやってんだ!」
しばらく呪いの言葉が続いた後、
    「・・・オム。 オム! オーム! オーーム!!」
な、なっ、なんだ!・・・そしてとてもテナーとは思えない音、
    「ブヒーブギァーボヒャー!」
その後は集団でフリー演奏。
    「なんだこれは!」
    「これがコルトレーンか!」
    「これがジャズか!」
初めてフリージャズを聴きました。
 初めて聴いた演奏で、このようになった場合、
    「もう二度と聴かん。」
になると思うんですが、私はそうではなかった。
    「いったいこれはどういう音楽なのか?」
「OM」と「アセンション」を買ってしまいました。この年の夏合宿が終わったあと、帰省するときにこの2つをテープに録音して持っていきました。これで実家でじっくり聴ける・・・。
 結果・・・コルトレーンはよくわかりませんでした。まあコルトレーンはフリージャズをやっている頃に「私は聖者になりたい」とか「私は神の姿を見た」と言ってるぐらいですから。少しぐらい音楽が宗教がかってもおかしくはない。でも嫌いではありません。後期コルトレーンの「惑星空間」は好きですし、「クル・セ・ママ」も結構好きです。
 しかし別の成果が出ました。コルトレーンバンドのピアニスト、マッコイ・タイナーが好きになったのです。それまではマッコイはそれほど気になる存在ではありませんでしたが、コルトレーンのフリージャズを聴き込むことでマッコイが音楽で何を表現したいのかがよくわかるようになりました。その後、私はマッコイフリークになってしまいました。

みんなより先に行った、理科大ジャズ研の夏合宿
 <満喫した2日間>
 <私の名前は?>
 <オルガン合戦>
 <山田杯>
1984/08 / 18歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研での初めての夏合宿です。場所は新潟県石打スキー場にある「ロッジ白道」です。
 期間は7泊8日です。真ん中の中日は、バンド練習の代わりに何かイベントがあり、夜はセッションとなります。イベントは天気がよければ野球大会です。この年も野球大会をやりました。最終日の前日の夜は、打ち上げ・・・のはずなんですが「山田杯」です。

 <満喫した2日間>

 居酒屋「駒安」の社長は、実家が新潟県の佐渡島です。この合宿が始まる2日前に実家へ帰ることになっていました。また、苅田さんという先輩がいるんですが、実家が新潟県の長岡市。そこで先輩の苅田さんと私の2人でみんなより一足早く合宿場へ行くことにしました。夜、駒安が閉店してから、社長の車に便乗して出発です。
 当時、東京から新潟へ行くにはたいへん時間がかかりました。関越自動車道にまだ関越トンネルができてなく、関越自動車道は東京から群馬県の前橋までしか開通していませんでした。前橋からは国道です。途中、現在この関越トンネルがある三国峠を超えなければなりません。出発してから8時間ぐらいかかったでしょうか。新潟駅へ着きました。そこで社長と別れます。2人で電車で石打の駅へ行きます。そこで「ロッジ白道」のマスターに迎えに来てもらいます。舗装されてない道をガタガタ揺れながら登って行きます。そして「ロッジ白道」へ着きました。
 いいもんです。夏のスキー場のロッジです。しかも2人だけです。夏合宿の最終日前日には、新歓コンパ以来の1年生つぶしのイベント「山田杯」が待ってます。2日間は満喫しましょう。
 苅田さんは、私の4つ上の先輩で、当時現役では一番上の先輩、ジャズ研の親分的存在です。しかもこの時はレギュラーバンド「スパイラル・ステップス」のバンドリーダーで演奏もうまい。私個人的には、すでに私のうちに毎週といっていいほど泊まりに来ていた先輩で、とてもかわいがってもらえました。
 練習をするのも2人だけです。1年生は1年生同士でしかバンドを組めませんから、こんな大先輩と一緒に練習できるのはとてもうれしいです。プールもあります。2人だけで広々と泳げます。
 2日目の夜、ちょうど長岡の花火大会がありました。2人で見に行きました。全国にも有名だけあってさすが規模が大きいです。十分満喫し、電車に乗りました。そして石打の駅に着きました。もう夜遅いですが、今日はマスターに迎えにきてもらえません。2人で歩いて合宿場まで行きます。途中、橋の横に柳が・・・気持ち悪いです。山のふもとまで来ました。ここからはただひたすら登るだけです。道は舗装されてません。街灯もほとんどありません。真っ暗な山道を2人で登って行きました。石打の駅から1時間ぐらい歩いたでしょうか。合宿場へ着きました。
 3日目、夏合宿の初日です。昼間は2人で練習やらプールやらで満喫。そして夕方、ジャズ研の人たちが到着しました。その中で1人、1年生のφ(フェイ)が車で酔ってしまったようです。部屋に入るなりダウン。最終日前日は1年生つぶしの「山田杯」です。車酔いとはいえ、いきなり合宿初日に同期がダウンとは。なんかいやーな予感。

 <私の名前は?>

 この「ロッジ白道」のマスターに娘たちがいるんですが、その一番上の子は当時まだ小さかったです。先輩の苅田さんは何年も合宿場に来てますから、この子はもう顔も名前も知ってます。
    「苅田さん」
ちゃんと名前で呼んでいます。まだ小さいですしジャズ研は年1回しか来ませんから、そんなにたくさんの人たちの名前は覚えられません。しかし、私はこの合宿でみんなより2日前から来ています。名前を覚えてくれました。
    「もう1人の苅田さん」
結局この年、ずっとこう呼ばれていました。

 <オルガン合戦>

 理科大のジャズ研の合宿が他大学と違うことは、OBがたくさん参加することです。いや〜、OBが来るわ来るわ、現役と同じ人数ぐらい来ました。さすがOB、みんな演奏がうまいです。
 そのOBの中に私の5つ上の代になるピアノの高橋さんがいました。聞くとなんでも、
    「エレクトーン2級(@_@)」
エレクトーン2級なんてこの当時全国に何人いるんでしょうか。
 練習場にオルガンが置いてあったので驚いたんでしょう。
    「へえ、オルガンが入ったのか。」
    「何? エレクトーン出身? オレと同じだよ。」
    「よし、オルガン合戦だ!」
2級の人に6級の人が立ち向かうわけがありません。そんなものはいやです。が、先輩は先輩、文句なんか言えません。まあ合戦といってもそれぞれが別々に演奏するだけです。
 演奏が終わって高橋さん曰く、
    「う〜ん、負けた!」
そんなわけないでしょう。こっちはまだジャズ始めて間もないんですから。その後も会うたびに、
    「あの夏合宿でオルガン合戦をやって負けたんだ。」
って言ってましたが。そんなことないですって。
 高橋さんにはその後たいへんお世話になりました。私がジャズ研3年目の時、高橋さんが持っていたエレクトーンを私に譲ってくれたのです。譲ってくれた機種は相当古い機種で、販売当時100万円ぐらいしたはずです。この機種は普通は個人で購入するものではなく、ヤマハのスタジオの一番高い部屋においてあって発表会なんかで使うものです。さすが2級、持っているものも違います。
 譲り受けたエレクトーンはそれから2回目の引越しまでの約13年間お世話になりました。

 <山田杯>

 最終日前日の夜、打ち上げ・・・ではなく、いよいよ1年生つぶしのイベント「山田杯」です。・・・これはいったい何なんでしょうか? 新歓コンパとか打ち上げとかの名前ならわかります。「山田杯」? 名前からしてなんか変です。先輩に聞くと、なんでもずいぶん上のOBの山田さんという人が作ったとかなんとか。なんかスキャットをやらされるらしいです。新歓コンパ以来、また芸もやらなければなりません。優勝者を決めるそうです。こんなのに優勝してどうなるんでしょう? 日本酒一気の量が増えるんでしょうか? いや、優勝なんか関係なくどうせ日本酒も一気させられます。いやだなあ・・・。
 練習場の横の部屋に1年生は待機させられます。そして入場行進して練習場へ。おおげさすぎます。司会が開会宣言をします。みんなで乾杯。
 早速、芸の時間が始まりました。私は今回同期2人でやることにしていました。当時ジャズ研にいた(理大祭が終わってやめた)1年生のトロンボーンの小林という人が、
    「なあ、これおもしろいんじゃねぇーか?」
マッサージです。私が彼のマッサージをする、彼が気持ちよさそうに喘ぐ、これだけです。こんなの、おもしろいんでしょうか? 見ようによっては男同士がヤッてるようにも見える。まあいいか。
 真ん中で2人でマッサージをやります。やっぱりあんまりウケません。「なんだそりゃ?」とか聞こえます。まあ別に芸はウケたってウケなくたってどうせ飲まされるのは同じです。少しだけ笑いをとって終わりです。ところが後日、これが話題に・・・。先輩がこれを写真に撮っていたのです。夏合宿写真集にありました。
    「ゴキブリの後尾」
捨てちゃいました。
 さて、私はこの芸に対して日本酒をビールグラスで3杯でした。これは新歓コンパで一気したのと同じ量・・・ってことは、あの気持ち悪さがまた・・・。最初からああなるってわかってて飲むってのは最悪です。でもこの時は先輩に、「まあいっぺんに一気しなくてもいいや。少し時間をかけてもいいや。」と。これで少しは大丈夫か。ちょっとだけ時間をかけて飲みました。ここで、もしつぶれなければまた飲まされます。私は洗面器をかぶり、つぶれたふりをしました。まあどうせそのうち目が回ってくるのさ・・・回りません。なぜだか全然酔いません。しょうがないです。洗面器をかぶったままつぶれたふりをしています。酔いません。酔いが回るどころか、完全に抜けてしまいました。
 山田杯はすすんでいます。全員の芸が終わり、先輩たちが優勝者を決めています。そして優勝者の発表です。
    「優勝は、φ(フェイ)!」
φ(フェイ)の優勝です。おめでとう・・・めでたくない。
    「優勝旗の授与です!」
・・・な、なんだあ?・・・掃除機の枝に布団が掛かってます。φ(フェイ)が掃除機布団を授与されます。そして司会が閉会宣言。やっとわけのわからん「山田杯」が終了しました。
 その後ちょっとして、φ(フェイ)が日本酒を一気しています。いや、一気というより、日本酒を流し込んでいます。ものすごい勢いで流し込んでいます。おいおい、そんなに注入して大丈夫なのかよ?
 私はもう全然酔ってません。山田杯は終わっているので、すでに練習場の建物から宿のほうへ戻っている人もいます。私もしょうがないから少し酔っているふりをしながら練習場の外に出ます。そして1人で宿のほうへ戻ります。
 宿に着くと10人以上飲んでいる人がいます。なぜかつぶされるはずの同期のEveもいます。彼も酔わなかったんでしょう。先輩が私を見るなり文句を言います。
    「なんだ、おまえも大丈夫だったのかよ!」
    「しょうがねーな。まあいいや。一緒に飲むか。」
一緒に飲み始めます。そこに練習場から先輩の谷川さんが戻ってきました。
    「ナ ・ ニ ・ を ・ や ・ っ ・ て ・ る ・ ん ・ だ ・ !」
いきなり、Eveの肩を「パシッ!」っと叩きます。
    「お ・ ま ・ え ・ も ・ だ ・ !」
私の肩も「パシッ!」と叩きます。・・・先輩たちは過去にこの山田杯でさんざんな目にあったのでしょう。相当くやしかったんでしょうね。でももう山田杯は終わってます。この後は普通に飲みました。結局私はつぶれませんでした。
 翌日、夏合宿の最終日です。朝食時間、食堂に山田杯優勝者、φ(フェイ)はいません。爆睡中です。私は前日、ものすごい勢いで日本酒を流し込んでる彼の姿を見ました。彼がいったいどのくらいの量飲んだのか予想がつきません。
 朝食も終わり、片づけ時間です。まだ爆睡しています。なぜか腕がひじから上を向いてます。
    「なんちゅう寝方やねん?!」
    「その腕はなんや?」
みんなで笑います。
    「ちゃんと寝なさい。」
腕を下げさせます。しかしなぜだかまた上を向きます。何回やっても上を向きます。
    「なんや、これは?!」
練習のしすぎで腕を伸ばすのがいやだったんでしょうか?腕を上に向けたまま爆睡してました。

生まれて初めてのバイト、居酒屋「駒安」での「人間リフト」
1984/10? / 19歳? / 大学1年目
 飯田橋にあった理科大ジャズ研御用達の居酒屋「駒安」は、客席には1階と2階がありました。厨房の横には酒やつまみを運ぶためのリフトがありました。ある日、このリフトが動かなくなってしまいました。修理には1週間ぐらいかかりそうです。
 ある時、駒安でバイトをしていたジャズ研の先輩の角谷さんから突然言われました。
    「じみた、人間リフトやんない?」
私は事情を知りません。人間リフト?何だそれは?
    「駒安のリフトがこわれたから階段で運んでほしいんだ。」
これは疲れそうです。どうしたもんか。こっちも困ったもんです。大学の近くに住んでいるというのはいい面もあり、悪い面もありますね。何かというとすぐお呼び出しが掛かります。他にやりたい人は・・・そんないかにも疲れそうなこと、すすんでやる人はいません。
    「じみたぁ、頼むよぉ〜、やってくれよぉ〜。」
そんなに駒安が困ってるんなら・・・
    「わかりました。」
駒安でどのくらいの量がリフトで上下してるのかはわかりません。リフトにはかなりの量が乗せられますが、人が運ぶのはある程度の量までです。どのくらい階段を往復すればいいのか、そんなことは駒安の社長でもわかりません。やってみないとわかりません。
 私はこの時までバイトというものをやったことがありませんでした。初めてバイトをしに駒安へ行きます。
    「おお、来たか。」
いよいよ始まります。居酒屋での変なバイト「人間リフト」が。
 社長から簡単に注意点を言われます。
    「おまえは店員のバイトじゃないからその辺に立ってればいいや。」
    「客にはちゃんと挨拶しろよ。」
なんだか中途半端な変な場所に立たされます。開店。客が来始めます。空いているうちは客は1階だけです。客が1階にしかいない間は私は価値がありません。変な場所に突っ立ってる「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」しかしゃべらないロボットです。1階がいっぱいになってきました。そしてついに2階に客を入れました。2階の注文が来ます。まずビールです。ロボットから人間へ・・・私の役目登場です。ビール瓶を何本かお盆に乗せて階段を上ります。2階で降ろします。1階へ下ります。そして元の変な定位置に戻ります。
    「なんだ簡単じゃん。」
ただこれを閉店までやればいいのです。楽チン楽チン。
 1階は満席。2階にどんどん客を入れます。往復回数が少しずつ増えます。
 何時間経ったでしょうか。だいぶ疲れました。
    「まだ半分かよ〜。」
この仕事、何が疲れるって・・・これはやってみればわかります。まずその階段がかなりせまいです。しかも急です。持ってる重さもかなりあります。大ジョッキ数杯とかは普通に運んでも十分重たいのに、これを階段で2階までです。さらに乗っけるのはお盆です。階段の途中でつまづいて倒したり落っことしたりしたらたいへんです。気をつけて運ばなければならない。この「気をつけて」が疲れを倍増させるのです。
 閉店間際です。もう足が棒です。
    「あ〜、まだかよ〜。」
 やっと閉店です。しかし2階にある残った洗い物、ぜ〜んぶ私の役目。
    「あ〜、まだあんのかよ〜。」
1日100往復はしてました。思った以上の以上の以上の以上の以上のバイトでした。リフトの修理は1週間ぐらいかかります。あと4日間もやんのかよ〜・・・やりました。
 私の生まれて初めてのアルバイト、
    「人間リフト」
が終了しました。

丸山繁雄 with じみたライブ・・・実現しなくてよかった。なぜ?
1984/10? / 19歳 / 大学1年目
 理科大のそばにあるジャズ喫茶「コーナーポケット」によく行ってた私は、ある時、お店のマスターから言われます。
    「ボーカルの丸山さんと2人でうちの店で演奏してみろよ。」
ええっ! 私はまだジャズは始めたばかりです。しかもこの当時は歌があまり好きじゃなかった。大学でやってるバンドだってインストものばかり。ジャズボーカルの曲なんか1曲も知りやしない。なんでそういうことになるのか?
 私は絶対否定をしますが、マスターは私の言うことを聞いてくれません。
 そして丸山さんが空いてる日、一緒に演奏する日、でもその日は駒安でのアルバイト「人間リフト」が予定されている日でもありました。バイトは当日の開店前にお店に行ってみないとあるのかどうかわかりません。
 私は昼過ぎに、大学から鍵盤1段のオルガンと足ベースをお店に運んでセッティングします。しばらくして丸山さんがギターを持って店に入って来ます。おそらくバイトがあることを伝えてから、一応リハーサル開始。やっぱり全然知らない曲ばかりです。何をやったか覚えてませんが、1年生ごときと一緒に演奏するのだから超メジャーなスタンダードばかり選んでくれたと思います。でも私は全然知らなかった。それに初見で演奏なんて1年生じゃ無理です。さらにバックの演奏は丸山さんのギターと私のオルガンのたった2人だけ・・・やりたくない。どうしてもやりたくない。そして夕方、バイトがあるのかどうかを聞きに駒安へ・・・頼む、バイトがあってほしい・・・
    「今日やってくれ。」
やった!コーナー・ポケットに戻り、バイトがあることを丸山さんに言うと、
    「いや〜、残念だなあ〜。」
    「そっ、そうですね。」
違います。よかったのです、私は。
 こうしてライブは実現しませんでした。丸山さんとしては、まあ1年生だし、失敗してもいいや、ちょっとしたお遊びライブでもやってみようか、と軽い気持ちだったでしょう。私は、初心者が緊張して演奏したり歌ったりする気持ち、とてもよくわかります。でも後から思うと、こんなへたくそな初心者と一緒に演奏しようとしてくれたなんて、とてもありがたいことです。もし実現してたら、相当私にプラスになったことでしょう。

ライブ鑑賞 丸山繁雄酔狂座オーケストラ 新宿「ピットイン」
 <初めて見たピアニスト板橋文夫>
1984/10? / 19歳 / 大学1年目
 丸山さんが新宿のピットインでライブをやるというので理科大ジャズ研の先輩たちと一緒に見に行きました。これが私の初めてのライブ鑑賞です。この日初めてライブハウスというものに行きました。
 会場時間よりだいぶ前に行き、一番前の席を4人で陣取りました。目の前はピアノです。3mぐらい先にピアノのイスがあります。私はオルガンでしたが、目の前に鍵盤があるってのはラッキーです。
 開演です。演奏者たちがステージへあがります。ピアノの板橋文夫さん・・・まわりがこう呼んでたんで「板さん」って言わせていただきますが・・・板さんも私の目の前にあるピアノのイスに座りました。私は日本人のプロのジャズピアニストで初めて見る人です。・・・まあ、あまり多くは語りませんが・・・知っている人も多いと思いますが・・・・弾く前から体が揺れていました。足が震えていました。まったく落ち着きがありませんでした・・・こ、こっ、こんな人がピアノ弾けんのか?・・・
 演奏が始まりました。板さんは・・・やはり揺れてるし、震えてるし・・・途中、板さんのピアノソロは盛り上がってくると・・・立ち上がって揺れて・・・あーっ!そんなことしたらピアノが壊れるぞ・・・しかも私の目の前です。3m先の出来事です・・・恐かった。とても恐かった・・・とにかく私はこの日、ショックで言葉はまったく出ませんでした。この時一緒に見に行った先輩は板さんと競演したことがある先輩だったんですが、聞くと、
    「昔、首にタオル巻いて、鼻垂らしながら道を歩いてたよ。」
ある別の人に聞くと、
    「ライブで曲が終わった後、板さんが『あっ、鍵盤がねー』ってことがあった。」
鍵盤が横に落ちてたらしい。また別の人に聞くと、
    「あるお店のこけら落としで板さんが来たんだけど、その日ブッコわれた。」
はい、理解できます。でもこの1年後、私は板さんにハマッてしまいますが・・・

 この時演奏した曲の中で、丸山さんのオリジナルでラグビー組曲の中の「タックル・ダウン」。私、ああいうなんか日本的な、ちょっとあたたかい感じがする曲って好きなんですよね。北九州の田舎出身ってのもあるんですかね。日本人が作る曲って、向こうぽい曲よりも明らかに日本人が作ったっていうような曲のほうが好きです。
 あと、丸山さんのオリジナルで「リエのサンバ」と丸山サンバこと「The Farther's Song」。これも好きです。

俺<φ(フェイ)>の練習時間は?
1984/? / 19歳? / 大学1年目
 理科大ジャズ研で私と同期に、ベースのφ(フェイ)という人がいます。・・・φ・・・これはギリシャ文字で「ファイ」です。彼はフェイというあだ名を付けられたんですが、似てるからいいやって自分で「φ」にした・・・φ(フェイ)は1年生の時、ジャズ研のベーシストが少なかったため、先輩のバンドにも参加していました。
 ジャズ研の部誌には、次の練習日の予定時間が書いてあります。ある時、φ(フェイ)の参加しているバンドの誰かに用事があって、そのバンドは次回の練習をしないことになりました。部誌に書いてあります。

    日曜日
    1年生バンド  9:00〜10:00
    △△バンド  10:00〜12:00
    :

φ(フェイ)の参加しているバンドの練習時間は書いてありません。これを見たφ(フェイ)、
    「なんでオレの時間がないんだよ?」
勝手に書き足します。

    日曜日
    1年生バンド  9:00〜10:00 < 俺(φ)
    △△バンド  10:00〜12:00
    :

・・・どこに書いとるんぢゃ。しかもその「俺」ってバンドはなんや?!
 なんかおかしかったです。

理科大ジャズ研のコンサート
1984/11/03(土) / 19歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研での初めてのコンサートです。会場は渋谷のエピキュラスです。
 私はオルガンですけど、こういう会場に普通はオルガンなんか置いてません。エレクトーンがあったのでそれを借りました。
 バンド名とメンバーは、

     <じみた>
    じみた(org→elctone)
    坂上学(ds)

はあ〜、デュオです。もう1つの1年生バンドは7人です。豪華な3管編成で、しかもギターまでいる。1人くらいよこしてくれたっていいぢゃんか。
 曲は、ジミー・スミスのオリジナルのブルース「Keep On Comin'」とチャーリー・パーカーのブルース「Bille's Bounce」の2曲のみ。なんとブルース2発。今思うとどえらい選曲です。

理大祭「あけみ」
 <1年生はつらい>
 <じみたは真っ黒>
 <じみパパ事件>
 <マイルス小林氏はどんな人だったか?>
1984/11/22(木)〜1984/11/25(日) / 19歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研での初めての大学祭、理大祭です。開催日は毎年11月23日付近の4日間です。理科大ジャズ研では毎年、ジャズ喫茶「あけみ」というお店を開店しています。

 <1年生はつらい>

 初日の前日は準備日です。まず部屋作りです。教室の窓に暗幕を張ります。これで昼でも真っ暗になります。壁や天井にも暗幕を張ります。これで音の跳ね返りがなくなります。天井から電球を吊るします。よくできてます。教室がジャズ喫茶に様変わりです。他の仕事も山ほどあります。
 学祭期間中は1サークルにつき5人まで教室に泊まることができます。私は1人暮らしで、泊まれば次の日遅刻ってこともないので、準備日は先輩に混じって私が泊まることになりました。閉館の時間、夜11時を過ぎると建物自体のドアに鍵が掛かり、出入りが出来なくなります。

 準備日の閉館の時間です。この時間からもたいへんです。閉館までは部屋作りのような大仕事で目いっぱいです。その他のことはこれからやらないといけない。この時残った仕事で一番たいへんだったのは洗い物でした。膨大な数の洗い物をやらないといけないんですが、何せ泊まりの1年生は私だけ。これが命令です。洗い場は同じ階にはなく、エレベーターで運びます。いったい何回往復すればいいやら・・・やりました、1人で全部。

 翌日、理大祭初日です。すべて完成・・・といいたいところなんですが、物が少々足りません、買ってこなければならないものがいくつかあります。朝、早速買い出し命令です。先輩の真対さんが買い出しリストを書いています。その中にコーヒー用のミルクがありました。クレマトップっていう液体のクリームがありますよね。当時私はクレマトップを知りませんでした。私がリストを受け取り、それを見ると、
    「・・・、・・・、クレマトップ」
クレマトップ? 聞いたことがない。
    「何ですか、クレマトップってのは?」
    「クリープみたいなやつ。」
コーヒーに入れる粉末のあの「クリープ」です。が、これを私は、
    「クリップみたいなやつ。」
に聞き間違えてしまいます。
    「えっ?何ですか?」
    「クリープみたいなやつ。店に行けばわかる。」
一度聞き間違えると「クリップ」とインプットされてしまいます。
    「クリップみたいなやつで店に行けばわかる・・・」
    「・・・文房具屋か。」
買い出しへ行きます。その他の物を買ってから文房具屋へ行きます。クリップを置いてあるところを探します・・・ありません、クレマトップって書いてるやつは。
 教室に戻り、先輩の真対さんに言います。
    「クレマトップがありませんでした。」
    「えっ・・・あるはずだよ。」
私はそんな名前のモノを知らないのでもう一度聞きます。
    「クレマトップって何ですか?」
    「クリープみたいなやつだよ。店に行けばわかるって。」
また同じ答えが・・・私にインプットされてるのは「クリップ」。
 仕方ありません。また同じ文房具屋へ行きます。一応、もう一度クリップを置いてあるところを見ますが、やっぱりありません。これ以上探しても無駄だから店の人に聞きます。
    「すいません。クレマトップってありますか?」
    「クレマトップ?」
    「クリップのような物なんですけど。」
    「クレマトップですか? そういうのは聞いたことないですねえ。」
店のおばちゃんも知らなかった・・・ない、ないです。店にありません。
 教室に戻り、真対さんに言います。
    「やっぱりありませんでした。」
    「あ・・・そう。」
 ちょっとたってから、他の1年生に買い出し命令がありました。
 そしていくつかの物を買ってきました。机の上に買ってきた物を広げると・・・その中になんと「クレマトップ」って書いてある瓶があるじゃないですか。
    「ナニィ? これがクレマトップ?」
    「どこがクリップぢゃい!」
まあ、私も私ですが・・・2回も聞いてるんだからコーヒーに入れるだとかミルクだとか、もう一言説明できなかったんでしょうか。まったくもって散々です。
 2度もスカをし、ヘタってたところ、今度は別の先輩に、
    「氷を買ってきて。」
また買い出しです。氷屋へ行き、ブロックの氷を買います。ああ、氷は重たい。重たいのを運んで教室へ戻ります。
 途中、道で別の先輩、浅田さんに遭遇。浅田さんは私が何をしているのかは知りません。
    「おい、ふらふらしてないでちゃんと仕事しろよ。」
・・・あたしゃ1年生1人で泊まって全部洗い物をし、朝っぱらから2回もスカって、今、氷を買ってきたというのに、ふらふらしてるだとぉ・・・
    「仕事してんぢゃ!」
    「この氷が見えんのか! ボケ!」
の言葉はもはや出ませんでした。
    「あ・・・はい。」
1年生というのはつらいもんです。

 <じみたは真っ黒>

 この当時、私はよく学生ズボンを履いていました。高校の時に履いていたズボンです。私は服にはあまり興味がありません。あまりみっともなければいいんです。着れれば何十年だって着ます。それと、上は黒の服も持ってました。
 私の服のローテーションで、この時ちょうど上も下も黒になりました。教室の壁は暗幕が張ってあり、黒です。
 理大祭の夜は、理大祭の実行委員会の人が、泊まりの5人以外に誰か泊まってないか何回か見回りに来ます。でも理大祭期間の夜中は楽しいもの、5人だけじゃありません。5人以外はどこかに隠れないといけません。
    「壁を向いて立ってみろよ。」
    「ほら、おまえ見えないよ。」
    「保護色じゃんか。」
    「おまえは隠れんでいいぞ。実行委員会が来たらそうしてろ。」
しばらくは保護色で遊ばれてました。

 <じみパパ事件>

 この理大祭の期間、私の父が上京し、うちに泊まっていました。ジャズ研の人たちには、私の父がうちに泊まっていることをあらかじめ言ってありました。
 理大祭のある日、ジャズ研の人たちで大学の近くに飲みに行きました。飲み会が終わり、大学の近くに住んでいた先輩のアパートに別の先輩が泊まることになったんですが、それに私もついて行きました。このアパートはうちからも近いです。しかしそこで酒を飲み、結局泊まってしまいました。したがってこの日、うちにいるのは私の父1人だけです。私はいません。
 理科大ジャズ研で私の3つ上に、鈴木さんという先輩がいます。この先輩、いたずら大好き人間です。私の父がうちに泊まることを聞いた鈴木さん、早速いたずらを考えます。
    「オレがじみたのおやぢになりすまして、じみたに電話してやろう。」
まあちょっとしたいたずらです。
 この日の夜です。
    「もうじみたは家に帰ってるだろう。」
いたずら開始です。うちに電話します。
    鈴木さん : 「もしもし。」
    じみた父 : 「はい。」
    鈴木さん : 「おう、浩か。」
    じみた父 : 「は?」
    鈴木さん : 「父さんはなぁ、今までおまえに苦労をかけた。」
    じみた父 : 「?」
    鈴木さん : 「これからはおまえを大事にしようと思う。」
    じみた父 : 「?」
    鈴木さん : 「それから父さんはなぁ・・・」
    じみた父 : 「あのぅ、私は浩の父ですが。」
    鈴木さん : 「!・・・し、しっ、失礼しました!」
次の日私は、泊まった先輩のアパートから理科大へ直接行きました。しばらくして鈴木さんが来ました。鈴木さんは私を見るなり、
    「オメー、なんで家にいねぇーんだよ!」
私は何も知りません。
    「ええっ? どうしたんですか?」
事情を聞いて納得。まだブツブツ文句を言ってます。
    「ったくー! オメーが家にいねぇーから、恥かいちゃったじゃねーか!」
知ったこっちゃありません。いたずらもほどほどにしましょう。

 <マイルス小林氏はどんな人だったか?>

 池袋のライブハウス「Miles' Cafe」のマスター、マイルス小林さんは理科大ジャズ研のOBです。マイルス氏は誰にでも、
    「私のことは『マイルス』と呼んでください。」
    「『さん』はいりません。」
と言っていますが、私はこの年から会っていますので小林さんと言わさせていただきますけど・・・というか、自分の名前まで「マイルス」にするとは思わなかった。

 理大祭「あけみ」では4日間のうちの1日、「フェス」という日を設けます。ジャズ研のOBは連日のようにセッションをしに来るんですが、フェスの日はそれとは別に多くのOBに集まってもらいセッションをしてもらうためにわざわざ1日設けるのです。フェスは夕方から始まります。
 OBたちは「あけみ」に来ると、教室内の適当なところに座り酒を飲むなり話をするなり楽しみます。
 そしてフェスが始まります。司会のジャズ研の部長が挨拶をし、まず1年生の現役の人たちがブルースを演奏します。司会が1人ずつメンバーを紹介します。そしてブルース演奏を続けたまま現役のメンバーが1人ずつ入れ替わります。入れ替わるたびに司会が紹介します。だんだん上の学年に入れ替わります。そして現役の一番上の学年になります。
 ブルース演奏は続けたまま、今度は若いOBの人に少しずつメンバーが入れ替わります。同じく部長が紹介します。だんだん上のOBに入れ替わります。司会の現役の部長は知らないOBも来ているため、名前がわからないことがあります。ここで司会を交代します。司会といえばこの人、ドラムの友村さんにバトンタッチします。いい司会です。とても威勢がよいです。体型も名物司会してます。とてもいい感じです。そしてまただんだん上のOBに入れ替わります。今度は司会の友村さんも知らない人が来ています。そこで最後の司会、ビブラフォンの佐野さんの登場です。落ち着きのある司会です。これまたいい感じです。そして一番上のOBまで入れ替わります。
 フェスはだいだいこんな感じです。

 小林さんは「あけみ」に現れると・・・座りません。なぜか現役がいるテーブルにビール瓶を持って1人1人に挨拶をしているようです。なぜこの人はそんなことをしてるんだろう?
 そして次は私の番です。ビール瓶を持ってます。
    「トランペットの小林です。よろしく。」
ビールを注がれました。別に一気ではなさそうです。
    「名前は?」
    「じみたと言います。ジミー・スミスが好きなもんで・・」
    「楽器は?」
    「オルガンです。」
    「へえ、オルガンかあ。がんばってね。」
次の人のところへ行ってしまいました。わざわざそんなことしなくても・・変わったOBだなあ・・・

 フェスが始まって一番上のOBになります。小林さんがトランペットを持ってステージへ行きます。トランペットにマイクを取り付けました。そしてなぜかエフェクターをセッティングしています。他の人はブルースを演奏しています。
    「ヒュ〜ン・・・」
    「ホワン・・・」
生のトランペットの音ではありません。ものすごいエフェクターがかかっています。他の人はブルースを演奏しています。1人だけサウンドチェックをしているようです。
 サウンドチェックが終わったようです。やっと小林さんのブルースの演奏が聴けます。
    「ヒュ〜ン・・・」
    「ホワン・・・」
さっきと同じやんか・・・そしてまわりのブルース演奏がくずれていきます。だんだんフリーになります。何をやっているのかよくわかりません。
 しばらくフリーだったのが8ビートになってしまいました。確か4ビートのブルースだったはず・・・

 毎年こんな感じだったですかね。今のマイルス小林氏しか知らない人は信じられないかもしれませんが。

 これは私がまわりから聞いた話です。
 小林さんが現役のころ、あるバンドコンテストに出たそうです。このバンドは電化マイルスのコピーバンドだったらしいのですが、もう1つとても良いバンドもあって、審査員たちがどっちを優勝させたらいいかわからなくなったそうです。当時、電化マイルスのコピーをしているバンドはプロも含めて皆無だったそうです。
 また現役のころ、バンド合戦のようなもので、あの大橋巨泉氏に、「日本でこんな演奏をやっているバンドは初めてだ。すばらしい。」とお誉めの言葉を頂いたらしいです。この話はそのバンドコンテストの時の話なんですかね。

 今のマイルス氏は私からすれば、あの小林さんも演奏が変わったなあという感じですけどね。

ピアノへ転向させられる・・・理科大ジャズ研のバンド会議
 <ピアノへ転向させられる>
 <1年生が先輩をクビ>
 <すさまじい理大祭「あけみ」の打ち上げ>
1984/12/08(土) /19歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研のバンド会議です。理大祭で1年間のバンドは終了します。そして次の1年間のバンドを決めるためバンド会議をやります。ところがこれに1年生は参加できません。先輩たちが決めたバンドに従うしかないのです。どんなバンドになるかは終わってみないとわかりません。

 <ピアノへ転向させられる>

 バンド会議が終わる時間、1年生全員でバンド会議をやっている教室へ入って、黒板を見ると・・・
ピアノ ベース ドラム
・・・、・・・ ・・・ ・・・ ・・・
・・・ じみた ・・・ ・・・
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
ピアノ・・・オルガンじゃない・・・あれほどピアノがいやでエレクトーンにしたのに・・・ピアノです。まさかピアノになるとは・・・参加できないんだからどんなメンバーになっても仕方ありません。でも楽器を変えられるなんて・・・
 この当時もやはりピアノの鍵盤のタッチの重さがとてもいやでした。20年間やわらかい鍵盤で慣れちゃってる指ではピアノの音がちゃんと出ません。
 なんというバンド会議でしょう。でも仕方ありません。決められたものは決められたものです。従うしかありません。
 このバンド会議で、私は無理矢理ピアノをやらされてしまうことになりました。ここに「ジャズピアニストじみた」が誕生するわけです、何がきっかけで人生が変わるかわかりませんね。

 <1年生が先輩をクビ>

 私のピアノ転向は私個人の出来事です。それとは別に理科大ジャズ研としてこのバンド会議で、ある出来事が起こりました。バンド会議よりだいぶ前からの話をします。
 この年の夏合宿のある夜、1年生が何人かいる中へ、別の1年生の人が入って来て文句を言い出しました。
    「なんなんだよ! あの人は!」
どうもある先輩に迷惑をかけられたようです。また別の日、別の1年生の人も同じような文句を言っていました。
 この先輩が、焼酎をストレートで飲みながら突然言った言葉があります。
    「やっぱり焼酎は生(き)に限るねえ。」
焼酎はきに限る?・・・き?
    「きだよ、き。なまだよ。わかってねーな。」
1年生たちは、
    「なんなんだよ! 『き』ってのは!」
状態になっています。
 いつの頃からでしょうか。1年生たちの間ではその先輩のことを、
    「ホラっちょ」
と言うようになりました。「ホラっちょ」以外の先輩たちもだんだんこのことを知るようになりました。
 そしてこの
    「なんなんだよ! ホラっちょは!」
状態は加速していきました。
 秋のコンサート近くです。私のバンドとは別の、もう1つの1年生バンドでは、オリジナル曲、
    「ホラっちょブルース」
が出来上がりました。練習時間、この曲を聴いた先輩たちは笑っていました。
 コンサートです。先輩たちは1年生バンドが何を演奏するかは知りません。はたしてこの「ホラっちょブルース」をやるのか? 1年生バンドは時間が短いです。2曲ぐらいしか演奏できません。1曲目・・・違います。練習してた曲です。2曲目・・・違います。これも練習してた曲です。もうこのバンドは終わりの時間です。と、ここで、
    「ホラっちょブルース」
が!・・・最後、メンバー紹介の時にやってしまったのです。「ホラっちょ」以外の先輩たちは大爆笑です。

 バンド会議です。「ホラっちょ」は当時3年生でしたから次の年もバンドはあります。しかしバンド会議の時間になってもなぜか現れません。これは予定外です。来ないんなら仕方ないです。ちゃんとした理由があってバンド会議に参加しない人もいますから、来ない人がいても別に構いません。バンド会議は始まります。なぜか「ホラっちょ」はいつまでたっても来ません。
 バンド会議終了後だったか直前だったか、バンド会議をやっている教室に「ホラっちょ」が現れました。黒板に彼の名前は・・・ありませんでした。
 バンド会議終了後、1年生たちを呼びに来た先輩が言います。
    「ホラっちょビーク。」
1年生たちの間で努力(?)してきた甲斐がありました。

 <すさまじい理大祭「あけみ」の打ち上げ>

 バンド会議は、理科大のジャズ研が年1回だけマジになる時です。理大祭が終わってバンド会議までの2週間、次のバンドを決めるため、裏工作が各地で行われ、そのための秘密の飲み会も開かれます。なにせバンド会議の日の夕方に、向こう1年のバンドが決まってしまうんですから。しかも1年生は参加すらできない。不満者が続出するのは当然です。バンド会議後、理大祭の打ち上げがあるんですがこれがすさまじい。
 この日もバンド終了後、理大祭の打ち上げです。みんなで居酒屋「駒安」へ行きます。開始2時間後、早くも不満第一号が同期から発生。1年生の初田が飲みすぎでダウン、店の外に連れ出しそこでダウン、噴射。ああ、彼は終わってしまった。
 場所を変えて二次会です。ここで不満第二号がまたまた同期から発生。1年生のΦ(フェイ)が、
    「クッソー!」
    「クッッソー!!」
といいながら涙を流し始めた。もう彼は終わっています。この後、この横にいた先輩の木下さん(4年生)と浅田さん(3年生)の2人が口論になりました。そして最後、
    浅田さん : 「だってかわいそうじゃん!」
    木下さん : 「いや、そういうもんなんだよ。」
浅田さんの目に涙がちらっと見えました。と、浅田さんは突然トイレへ。人前で涙を見せたくなかったのでしょう。その後、木下さんは私たちに、
     「やさしいんだよ彼は。とってもやさしいんだよ。」
もちろん「彼」とは浅田さんのことです。こんな飲み会は経験したことがありません、私はただただ見てるしかありませんでした。

留年決定
1985/03 / 19歳 / 大学1年目
 私は大学時代、勉強が大好きでした。大学は勉強をするところです。ジャズ研なんかあまり顔を出していません。授業もほとんど休むことなく出席しました。試験の成績も優秀でした。こんな勉強好きですから、大学を4年で卒業するのはもったいない。学部の事務室に要望書を提出しました。
    「より一層の勉学のため、1年を再度やらせていただきたく要望致します。」
この要望書は正式に受理されました。そしてめでたく私は1年生をもう1度・・・やめんか!!

 私は応用物理学科です。物理系ですから授業の中に実験があります。実験は必須科目です。単位を落とすと2年生にはなれません。実験は年間で3回休むとそれだけで単位がとれなくなります。私は3回休んでしまいました。その時点でほぼ留年は決定です。
 大学の成績はABCDの4段階で評価されます、Aが一番よく、ABCは単位取得、Dだと単位は取れません。
 試験は一応全部受けました。成績表を受け取ります。見ると外国語がだめでした。外国語は必須科目です。Dがついてます。実験を見ると、
    「C」
なんだ?3回休むと落ちるという話はなんだったの?ってことは外国語で落ちたのか。やっぱり昔からの
    「こくごがにがて」
を引きずってます。外国語はこくごです。やっぱり
    「だめちん」
です。留年決定です。
 留年といっても、次年度必ずとらなけれなならない科目は外国語だけです。他の理学系の科目は全部単位をとってしまった。落とすはずだった長い時間の実験もない。あとは必須ではない科目がちょっとあるくらい・・・大学2年目はおもいっきり暇になってしまいました。

 私の代の8人中、1年生の留年が決定したのは私だけ。クソッ!・・・「じみた」のフォローをしよう。最終的にはですね、この8人中、大学5年目を経験したのは私を含めて6人でした。私以外の5人は4年生を2回やることになるのですね。へへへ。それに、私より1年後に卒業した同期もいるなあ・・・まあ大学に何年いようがあまり関係ないですね。就職は少し難しくなるかもしれませんが。
 しかし理科大ジャズ研は留年率が高い。私の代で計算をしてみますと・・・同期の中の1人は大学が早稲田大学なので理科大とはちょっと事情が違うから除外します・・・計算すると、理科大生7人中5人留年ということは、
    「留年率70%」
です。まあジャズってのはそれほどハマッてしまうものなんですよ。

理科大ジャズ研の春合宿
 <新札は使えなかった>
 <西湖自転車一周と変な犬>
 <トライアングル>
1985/03 / 19歳 / 大学1年目
 理科大ジャズ研での初めての春合宿です。場所は山梨県にある五大湖の1つ、西湖の湖畔にある民宿「東村」です。
 東村は、宿とは別に宿から歩いて数分のところに、かやぶき屋根の2F建ての一軒家があります。ここが練習場として使えます。古い感じがとてもよいです。外に出ると富士山が見えます。周りは何もないので24時間音だしOK。音楽系サークルはよく利用していたようです。
 春合宿の時期ともなると、1年生もようやく人権が出てきます。それまでは、下っぱ、パシリ、奴隷、ゴミです。バンドも1年生バンドではなくバンド会議で決まったバンドです。先輩に混じってバンドが出来ます。
 期間は7泊8日です。真ん中の中日は、バンド練習の代わりに何かイベントがあり、夜はセッションとなります。最終日の前日の夜は、打ち上げでセッションです。

 初日、着いてから夕食後、早速セッションです。セッションをやっている途中で雪が降ってきました。私は何か用事があって宿に一旦歩いて戻りました。しばらくしてからまたかやぶき屋根のほうへ歩いて行きました。外はもうだいぶ雪が積もってます。道を歩いてると1年生の学(まなぶ)の車を発見。何人かが車の周りを囲んでいます。その場所へ行くと・・・タイヤが空回りして車が動かないのでした。みんなで一生懸命押します。やっと空回りしなくなりました。車は無事走って行きました。これは一晩で相当積もるだろうなあ。
 次の日、見事に積もっていました。

 ある日、部屋で1人でゴロンと横になっていました。そこへ先輩の谷川さんが入ってきました。私の頭より上のほうに顔が見えました。
    「おう、じみたか。」
そうです。私です。谷川さん、私の顔をよく見ます。
    「をっ? 反対だったのか。」
顔が逆に見えてたんですね。
    「おまえの顔はリバーシブルだなあ。」
・・・リバーシブルな顔って・・・なんぢゃそりゃ?・・・まあ別にいいんですけど。

 <新札は使えなかった>

 私はこの年合宿場には電車で行きました。他に電車で行く人たちもたくさんいました。西湖の横にある河口湖までは電車で行けます。そこからはバスです。ところでこの前年の末、新しい紙幣が発行されました。一万円札が聖徳太子から福沢諭吉へ、五千円札が聖徳太子から新渡戸稲造へ、千円札が伊藤博文から夏目漱石へ替わろうとしていた時です。この春合宿の時期は、もう東京ではほとんど新紙幣になっていました。
 河口湖でバスに乗り、合宿場の近くのバス停でジャズ研のみんなが降りようとした時です。新札で払おうとすると、バスの運転手が、
    「新札は使えませんので。」
ナニーッ! これはゼニぢゃ、ゼニ! それも新品ぢゃ! 使えんっちゅーのはどういうことぢゃ!・・・さすが異国です。使えません。新札はお金ではないのです。どうも新札は、
    「人生ゲームのお札」
らしい。しかもこの時は三紙幣とも全部入れ替わってる。っちゅーことは持ってる紙幣は全部、
    「だめちん」
どうするんぢゃ?・・・みんなで小銭を集めて・・・・なんとかなりました。まったく合宿初日早々なんということ・・・

 <西湖自転車一周と変な犬>

 中日です。この年の中日のイベントは、西湖自転車一周でした。貸し自転車をやっているところがありました。みんなで自転車を借りに行きます。そこに犬がいました。この犬・・・ジャズ研は年一回春しかこの場所に行きません。春は犬の○○の時期です。この犬はオスです。どうもまわりに他の犬はいないようです。合ってるかどうかわかりませんが、犬の気持ちになってみましょう。
    「うれしい、こんなにたくさんの人が来て。」
    「これで子供ができるよ。」
    「ねえねえ、子供欲しくない?」
    「僕、欲しくてたまんないよ。」
    「ねえねえ!」
    「もう我慢できない!」
・・・人に向かってなんということをする犬でしょう。先輩に向かってヤって「これはダメなんだ」とあきらめた犬、今度は私の足に・・・毎年こうでした。名物の犬でした。
 1人1台ずつ自転車を借ります。2人乗り自転車も何台かありました。私は2人乗り自転車に乗ることに。乗るのは私が前、先輩の苅田さんが後ろです。あれ、結構たいへんなんですね。一生懸命こぎます。みんなに遅れないようにこぎます。道には初日に降った雪がまだたくさん残ってます。道の脇は雪だらけです。途中、信号でもあったんでしょうか。
    「あっ!あぶなーい!」
    「ブレーキ!」
2人乗り自転車です。自転車には2人分の体重がのっかってます。地面は雪だらけです。
    「ブレーキがきかなーい!」
なんと前方には雪のデカいかたまりが・・・
    「止まらなーい!」
    「・・・」
    「ボム!!」
なんでこうなっちゃうんでしょうね。

 <トライアングル>

 最終日の前日の夜、打ち上げセッションです。みんながいろいろ演奏したあと、誰かが持ってきたトライアングルで参加。ドラムに座っているのは同期のトランペットのEve。彼は昔やってたらしくドラムもできます。サンバだか16ビートだかの曲をやり始めます。私は Eveの横でトライアングルで16ビートを刻みそれに合わせます。右手で往復で鳴らし左手で手元を握ぎ握ぎするってやつです。ああ、なんか実に気持ちがいい。途中、先輩の望月さんがニコっと笑って親指をたてて「Good!」のサイン。おっ、イケてるらしい。なんだかEveのドラムもいいぞ。
    「じみたはピアノよりトライアングルのほうがいい・・・」
このセッションはとても楽しかったです。

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