じみたの歴史
− 1989年〜1990年 −


私の1989年〜1990年の出来事です。
日付 出来事 初めての人
1989   セガでのプロジェクト第1弾 メガドライブ「ソーサリアン」  
1989/?/?
ライブ  平川雄一バンド 新大久保「Someday」・・・菊地康正さん飛び入り
平川雄一(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、苅田<$子>恭子(as)
久保田浩(p)、浅田聡(b)
 <初めてのライブ>
 
1989?   理科大ジャズ研の夏合宿・・・くじびきバンド  
1989/11/26(日)   理大祭「あけみ」・・・理科大ジャズ研同期「Eve」のセンチメンタルムード熱唱  
1989/12/11(月) セッション 吉祥寺「赤いからす」・・・$子に誘われて
 <ドラムの諸田富男氏に会う>
諸田富男(ds)
1989/12/29(金)   セガサウンドの納会  
1990   セガでのプロジェクト第2弾 メガドライブ「ムーンウォーカー」  
1990/01/23(火)
〜1990/01/27(土)
  初めての海外 サイパン旅行・・・セガのプロジェクトの打ち上げ  
1990/01/31(水)   ライブ鑑賞 ジャック・ディジョネット・スペシャル・エディション
 青山「ブルーノート」
 
1990/02/28(水) ライブ鑑賞 オスカー・ピーターソン・トリオ+1 青山「ブルーノート」
 <ピーターソンはデカかった>
 
1990/03/04(日)   法政ニューオレ同期「河野哲也」結婚式二次会 神楽坂「タゴール」  
1990/04/17(火)  
ライブ  波多野素子グループ 西麻布「Woody Bell」
波多野<Payapa>素子(vo)、久保田浩(p)、志村洋一(b)、田中尚穂(ds)
 <初めての「Wood Bell」>
志村洋一(b)
田中尚穂(ds)
1990/04/27(金)  
とん かつセッション・・・ドラムの田中邦男さんの自宅セッション
田中邦男(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、今津雅人(ts)
久保田浩(p)、浅田聡(b)
今津雅人(ts)
1990/05/02(水)
仕事  じみたデュオ 赤坂「Rose Inn」
久保田浩(p)、××××(eb)
 <謎のエレベー>
守屋純子(p)
1990/05/06(日)  
とん かつセッション・・・2回目
 田中邦男(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、宮本大路(bs)
久保田浩(p)、浅田聡(b)
宮本大路(bs)
1990/05/21(月) セガ「SSTバンド」でレコーディング・・・総監修 野呂一生
 <CD発売>
 
1990/06/01(金) ライブハウス新宿「J」の学生バンドコンテストに出場
 <学生バンド?・・・なんか変じゃない?>
 <窃盗発生、しかもモノは役に立たず>
 
1990/06/17(日)   理科大ジャズ研先輩「真対治男」結婚式二次会  
1990/06/22(金)  
明大 和泉祭に出演・・・平川雄一バンド
 平川雄一(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、苅田<$子>恭子(as)
 相楽賢哉(tb)、久保田浩(p)、浅田聡(b)
 
1990/06/30(土)  
仕事  東京プリンスホテルでの結婚披露宴
 (理科大ジャズ研先輩「浅田聡」さん関係)
久保田浩(p)、浅田聡(b)、平川雄一(ds)
 
1990/09/08(土)   リクルート社のパーティでの演奏・・・理科大ジャズ研OBバンド  
1990/09/30(日)   理科大ジャズ研先輩「戸井正彦」&外部のピアニスト「重松英子」
  結婚式二次会
 
1990/10/14(日)   学バンセッション 東工大ジャズ研・・・ナバロ、荻原さん、西尾さん  
1990/10/18(木) 自己啓発セミナーに勧誘される
 <ふざけた飲み会>
 
1990/10/28(日)   セガ同期「上原くん」結婚披露宴・・・演奏なしで参加  
1990/11/03(日)   仕事 赤坂「ベイクルーズ」での結婚パーティ
    (理科大ジャズ研同期「Φ(フェイ)」関係)
 
1990/11/03(日)   明大駿台祭に遊びに行く 畔柳直之(ds)
1990/11/24(土)
仕事  九段「ハミルトンパーク」での結婚式二次会
 ・・・相楽賢哉・平川雄一バンド
菊池成浩(tp)、谷口英治(ts)、相楽賢哉(tb)
久保田浩(p)、菰渕樹一郎(eb)、平川雄一(ds)
菊池成浩(tp)
菰渕樹一郎(eb)
1990/11/25(日)
ライブ  小沢祐二バンド 八王子「BASH!」
小沢祐二(ts)、久保田浩(p)、小野寺浩(b)、鏡剛(ds)
 <初めての八王子「BASH!」>
 <小沢バンド開始>
鏡剛(ds)
1990/12/01(日)   早稲田スイング研のリサイタルを見に行く  
1990/12/04(火)   ライブ鑑賞 オスカー・ピーターソン・トリオ+1 青山「ブルーノート」・・・2回目  
1990/12/08(土)   法政ニューオレのリサイタルを見に行く  
1990/12/09(日)   理科大ジャズ研忘年会セッション 大井町「JAM BOX」  
1990/12/12(水) セッション 目黒「SONOKA」
 <初めてのSONOKAセッション>
石田博(as)
白鳥利卓(b)
藤沢博延(ds)
1990/12/21(金)   早稲田スイング研のクリスマスセッションに遊びに行く  
1990/12/23(日)   コンサート観賞 スティービー・ワンダー 東京ドーム
 ・・・スティービーは見えなかった
 
1990/12/29(土)   ライブ観賞 日野皓正セッション 新宿「ピットイン」   

セガでのプロジェクト第1弾 メガドライブ「ソーサリアン」
1989 / 23歳〜24歳
 私はセガに約5年間勤めました。正確には4年と10ヶ月です。セガではコンシューマー配属(家庭用ゲーム)でした。家庭用ゲームのサウンド関係の仕事をやっていました。ゲーム機器はメガドライブとメガCDです。
 私は実はセガにはサウンドで入社したのではありません。理科大の応用物理学科ということを利用してハードウェアで入社しました。入社してからもう一度希望部署を申請するんですが、まず入社時の希望部署を変える人はいません。ところが私は入社してからサウンド開発をやっている部署があるというのを知りました。そこでダメもとで「第一希望サウンド、第二希望ハードウェア」と書いて出したら、いきなりサウンドの係長と話をすることになり、そしてサウンド配属になってしまいました。予想外の出来事でした。このせいでサウンド希望で入社したある人がハードウェア配属になってしまいました。ごめんなさいね。
 やっていたのはゲームソフトの音作りだけではありませんでした。サウンド関係のプログラムもやっていました。メガCDのプログラムは私1人でやりました。開発ツール関係もやりましたね。あとPCM関係もやりました。私信・・・磯田重晴さん、たいへんお世話になりました。年は同じなんですけどね。磯田さんがセガに住んでた(^^)おかげでどれだけ助かったことか。私のコンピュータ関係の師匠です。
 私は約5年間いた中、なぜか長期プロジェクトしかやりませんでした。約1年に1つのプロジェクトしかやりませんでした。多い人は1年に何本もやっています。たまたまそうなっちゃったんですけどね。

 これはセガでのプロジェクトの第1弾です。メガドライブ版の「ソーサリアン」というゲームの音楽です。元々は日本ファルコムという会社のゲームです。この音楽担当は古代祐三という人でした。ゲーム音楽界では名が知られているらしいです。この中の曲の移植と新たに加える曲がありました。移植はほとんど私がやりました。4、5曲でしたかね。あとは当時の係長と一緒に半分ずつ作曲しました。多かったですね。何十曲あったでしょうか。しかも元のゲームがあるからそれに近いような感じで作ったほうがよいのです。結構たいへんだったですね。
 このゲームはテレビのCMで放送されました。CMで流れるというのは聞いていたので、その時間にテレビを付けて待っていました。すると聞き慣れた曲が・・・私の曲じゃないですか。たまたまCM用に選んだシーンが私の曲だったんですね。自分の曲がテレビで流れている・・・驚きました。

★ライブ 平川雄一バンド 新大久保「Someday」・・・菊池康正さん飛び入り
 <初めてのライブ>
1989/?/? / 23歳
 平川雄一(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、苅田<$子>恭子(as)、久保田浩(p)、浅田聡(b)

 ライブハウスでライブをやったのはこれが初めてでした。

 大学5年目の末に誘われたドラムの平川バンドで、ライブハウスでライブをやることになりました。この日、テナーの菊地康正さんが遊びに来ていて、飛び入りしました。
 確かこの時は、平川バンドのレギュラーだったトロンボーンの相楽賢哉くんがいなかったような気がしますが。いなかったのはナバロだっけか?よく覚えていません。2管だったような覚えがあります。

理科大ジャズ研の夏合宿・・・くじびきバンド
1989? / 23歳?
 これはこの年だったかどうか覚えていません。
 夏合宿の中日です。夏合宿にいる現役やOBたちでセッションの企画をしました。バンドメンバーをあみだくじで決め、曲をダーツで決めるというものでした。誰と一緒に演奏するか、何の曲になるかわかりません。これはおもしろいです。私は後輩のドラムのたいこと一緒にやることになりました。そしてダーツの時間です。ダーツはたいこがやることになりました。ダーツにはいろいろ曲が書いてあります。真ん中はブルースです。外側に向かっていくにしたがって曲が難しくなります。はずれは「Giant Steps」です。たいこの結果は・・・はずれ・・・見事です。ドラムだからいいですよね・・・・決定です。なんちゅうこっちゃ・・・。他のメンバーもぶつぶつ言ってます。しかもはずれを出したのはたいこだけ。なんちゅうこっちゃ・・・やりました。

理大祭「あけみ」・・・理科大ジャズ研同期「Eve」のセンチメンタルムード熱唱
1989/11/26(日) / 23歳?
 理科大ジャズ研で、私と同期のトランペットの「Eve」の卒業です。まあこれはその場にいないとわからないかもしれません。
 彼は大学に入る前にやっていたらしく、ドラムもできます。理大祭の最終日、その年度で卒業予定の人は紹介されます。
 どういうわけか、ドラムに座ります。突然歌います・・・いや、叫んでいます。
    「インナァ、センチィ、メンタルゥ・・・」
    「ムーーード!」
ドラムを叩きます。
    「ドドドドン!」
また、叫びます。
    「インナァ、センチィ、メンタルゥ・・・」
    「ムーーード!」
ドラムを叩きます。
    「ドドドドン!」
また叫びます・・・なんぢゃいこれは????
 理科大ジャズ研の大先輩、村山先生が撮ったビデオが残っているらしいです。

★セッション 吉祥寺「赤いからす」・・・$子に誘われて
 <ドラムの諸田富男氏に会う>
1989/12/11(月) / 24歳
 理科大ジャズ研の後輩の$子に誘われて、吉祥寺にあるライブハウス「赤いからす」のセッションに行きました。この日いたのは、ピアノの深井克則さん、ベースの安部国雄さん、そして、その後の私の音楽生活の中心人物となるドラムの諸田富男さんでした。諸田さんとはこの日は挨拶だけしました。特に何もありませんでした。

 後日です。ある日、新宿のスタジオ「Doing」でセッションをやっていた時に、ラッパのナバロが諸田さんを連れてきました。ラッパのナバロはその時すでに諸田さんのバンドをやっていたので諸田さんを呼んで来てくれたのです。諸田さんはスタジオに入って私の顔を見るなり、
    「あれぇ、どこかで会ったような・・・」
私が「赤いからす」のことを言うと、
    「おお、そうだそうだ。あの時のピアノだ。」
「赤いからす」では別に名刺を渡したわけでもないし、そんなに諸田さんを話をしたわけでもありません。挨拶程度です。この時は諸田さんなんていう人は私からすれば一緒にセッションをするようなレベルではありません。プロミュージシャンの1人です。はぁ、ジャムセッションに何人もいたピアノの中の1人を覚えてくれているなんて、うれしいじゃありませんか。

 それからです。私が新宿の「J」へ諸田バンドを見に行くようになりました。行くと必ず1曲は弾かされます。そしてそのうち諸田さんの仕事に誘われるようになって、最後、諸田バンドに入ることになるのです。思えばこの「赤いからす」のセッションで初めて諸田さんを見たのでした。
 私は諸田さんにお世話になったというレベルではありません。私の音楽生活は諸田さんなしでは語れません。諸田さんに育てられたようなもんです。
 ちなみに諸田バンドからは多くのミュージシャンが出ています。アルトの池田篤さんや「やまじょー」こと山田穣くんやベースの俵山昌之さんなどは無名時代からやっていたそうです。レギュラーメンバーや何回か呼んだ人を含めると数知れません。私も割と長い間レギュラーメンバーだったのでいろいろなミュージシャンと演奏しました。トランペットの高瀬龍一さん、西尾健一くん、宮本やすしくん、アルトの小川高生さん、近藤和彦さん、宮崎勝央くん、吉野ミユキちゃん、テナーの若松孝さん、安保徹さん、野村潤くん、臼庭潤くん、トロンボーンの青木泰成さん、ベースの志村洋一さん、藤田耕平さん、増根哲也さん、林正男さん、大角一飛さん、矢野伸行くん、他にもいたと思います。ピアノの松浪さんや永井さんにも会いましたね。

セガサウンドの納会
1989/12/29(金) / 24歳
 セガでももちろん納会はあります。最初は部でやるんですけど、しばらくするとサウンドの人はサウンドの部屋で飲み始めます。サウンドの部屋というのはいわゆるふつうの会社の状態ではありません。楽器がそこらじゅうにころがってます。私もシンセ1台、エレピ1台持ってました。ギターを持っている人もたくさんいました。楽器以外でもカセットデッキ、CDプレイヤー、エフェクター類、ミキサー、スピーカーなどが机にいっぱいでした。これはですね・・・飲んで遊ぶには最適な環境です。しかもいたんですねえ、ジャズが出来る人が。いやジャズ屋ではなくても、フュージョンが好きな人ならチック・コリアのスペインぐらいはできます。結構楽しかったですね。

初めての海外 サイパン旅行・・・セガのプロジェクトの打ち上げ
1990/01/23(火)〜1990/01/27(土) / 24歳
 初めての海外旅行です。サイパンへ行きました。一緒に行ったのはセガの人たちです。この旅行はセガのプロジェクトの打ち上げです。ぜいたくですね。
 セガに入っての最初のプロジェクトはかなり長期間でした。私がセガに入る前から始まっていました。そのプロジェクトが秋に終わり、みんなで打ち上げを考えていたところ、あまりに大変なプロジェクトだったため、飲み会ではなく海外旅行という案が出ました。もちろん普通は飲み会です。私にとっては突然の話です。私は海外へは行ったことがありません。いきなり海外旅行かい?最初は冗談だと思っていたんですがだんだん話が本格的になってきました。で、場所はどこにするか?私はどうせ行くならポピュラーなところではなく、アフリカとかインドとかのほうがいいと主張、他にも私と同じ考えの人がいたんですが、却下。まあ打ち上げですからねえ。それにそういうところは金もかかるし、ちょっと危ない。
 ということでサイパンに決まりました。サイパンではツアーの付属メニュー以外はほとんど泳いでました。海自体はきれいなんですけどねえ・・・1m置きにナマコがいるのはやめてほしいです。どっか行ってよ、じゃ済みません。サンダルを履いたまま泳いでました。
 あとはおみやげの酒ですね。この当時は海外の酒は日本ではえらく高かったです。私がこの時買った酒なんですが、日本円で6千円ぐらいで買ったカミューのブランデーは日本では4万円、8千円ぐらいで買ったレミーマルタンのブランデーは日本では6万円もしていました。これは安すぎます。あと1本何か買いました。税関は3本までしか許してくれませんからね。

セガでのプロジェクト第2弾 メガドライブ「ムーンウォーカー」
1990 / 24歳〜25歳
 マイケル・ジャクソンです。マイケル・ジャクソンのゲームです。セガでのプロジェクトの第2弾です。メガドライブ用のゲームです。
 このゲームに使われた曲は5曲で、すべてマイケル・ジャクソンの曲です。「スムース・クリミナル」「スリラー」「ビリージーン」「ビート・イット」「バッド」、まあどれも有名な曲です。ちなみに「バッド」でオルガンソロを弾いているのはジミー・スミスだったんですね。こんなところで小遣い稼ぎをしていたとは。
 本当は最初は著作権料の関係でマイケル・ジャクソンの曲は3曲だけで、残りの2曲は私のオリジナルでした。2曲マイケルっぽい曲を作ったんですが、海外の担当者が後から「著作権料はなんとかならんか? 全部マイケルの曲にしたい。」とか言い出して、勝手に全部マイケルの曲にしてしまいました。最初からそう言えっちゅーの。マイケル・ジャクソンはもちろんそんなことは知りません。全部マイケルの曲になってから聴いてもらいました。
 マイケル・ジャクソンのゲームは家庭用のメガドライブ用のゲームとゲームセンター用のゲームがありました。なんとゲームセンター用のサウンドを担当した人は、海外出張してマイケル・ジャクソン本人に会ってしまいました。私は家庭用ゲームというだけで会い損なってしまいました。あ〜あ、運が悪いこと。

ライブ鑑賞 ジャック・ディジョネット・スペシャル・エディション 青山「ブルーノート」
1990/01/31(水) / 24歳
 ジャック・ディジョネット(ds)、グレッグ・オズビー(as)、ゲイリー・トーマス(ts)、ミック・グッドリック(g)、ロニー・プラキシコ(b)

青山の「ブルーノート」にジャック・ディジョネットのスペシャル・エディションのライブを見に行きました。ディジョネットはキース・ジャレットのスタンダーズのトリオで好きでした。しかしスペシャル・エディションは名前しか知りませんでした。
 ライブ開始のアナウンスがされると、メンバーが左側からぞろぞろ登場します。私はディジョネットの姿はビデオで知っていました。う〜ん、やっぱり出ました。
    「鬼瓦」
オニがわら・・・ほんとにおっかない顔ですね。ビデオのあのまんまです。恐すぎます。
 そして曲が始まりました。まあなんと難しい曲ばかりでしょう。スタンダードらしき曲は1曲もありません。メンバーの誰かのオリジナルばかりです。変拍子の曲も何曲かありました。それも1回聴いただけじゃわかりません。13拍子の曲なんか数えているうちに曲が終わってしまいます。う〜ん、いいライブっていえばいいライブなんですが、あまり楽しいライブではありませんでしたね。グレッグ・オズビーやゲイリー・トーマスなどは有名ですけど、ディジョネット1人だけ飛び抜けてすごかったという印象でした。
 「ブルーノート」のライブは1日に2ステージあり、どちらかを予約します。2ステージとも予約をするとお金も2回分かかります。この日、私は1ステージ目を見に行ったんですが、お客さんはあまりいませんでした。1ステージ目が終わると、「2ステージ目の予約客が少ないため、1ステージ目のお客さんはそのまま残っていても結構です。」とのアナウンスがありました。まあ、タダで見れるならってことで2ステージ目も全部見ました。

★ライブ鑑賞 オスカー・ピーターソン・トリオ+1 青山「ブルーノート」
 <ピーターソンはデカかった>
1990/02/28(水) / 24歳
 オスカー・ピーターソン(p)、ハーブ・エリス(g)、レイ・ブラウン(b)、ボビー・ダーハム(ds)

 青山の「ブルーノート」にオスカー・ピーターソンのライブを見に行きました。ライブってのはいいですね。私はコンサートよりライブのほうが親近感があって好きです。日本でこんな大物がライブで見れるようになったんだから事情は変わったもんです。
 ピーターソンはさすが日本でも大人気とあって値段も1万3千円とブルーノートでも最高金額。しかも1週間2ステージの全ライブ満席、予約をとるのもたいへんです。このメンバーは初期のバーブ時代のオリジナルトリオ+1ということもあって特に人気が高かったのかもしれません。このトリオで活動してたのは1950年代です。何十年かぶりに再会したのです。3人ともこの時現役で活躍してるってのがうれしいじゃありませんか。
 当日、前のほうで見たいので開場の1時間以上前に行ったら、すでにもう列が出来てました。でも運良く前から3、4番目あたりに座れました。
 さて、ライブが始まります。また始まり方が大物らしい始まり方です。司会はいません。スピーカーから声だけがします。
    「オン・ドラムス、ボビー・ダーハム!」
ステージの左側から出てきたのは、
    「脳天ハゲのおっさん」
・・・失礼。MPS時代のピーターソントリオをやってたすごいテクニックを持ってるドラムです。タキシードに蝶ネクタイです。これはまたみんなタキシードだな。
 さあ、演奏開始です。拍手が鳴り止むと、まずはそのドラムのテクニックを披露、フリーのソロをやります。おお、さすがです。しばらくフリーソロをやった後、心地よいミディアム・ファーストぐらいの4ビートを刻み始めます。
 再びスピーカーから声がします。
    「オン・ベース、レイ・ブラウン!」
レイ・ブラウンという名前を知らない人はジャズファンではありません。ジャズファンなら誰でもその名前は知っています。ロン・カーターなどもテレビに出ていて有名ですが、そのキャリアからすると比ではありません。私が高校の時に買ったオーレックス・ジャズ・フェスティバルのレコードにレイ・ブラウンが入ってました。私はその時からのファンです。いよいよジャズベースの大御所中の大御所、巨匠レイ・ブラウンの登場です。ついにその姿が見れるのです。
 ステージの左側からあの顔が現れました。ビデオでその顔や弾く姿は知ってます。ビデオで弾いてるあの顔と同じく、ニコっと笑ってます。う〜ん、いい感じのおじさんです。会場は割れんばかりの拍手大喝采です。きっとレイ・ブラウン目的で来ている人も多かったでしょう。ベースを起こしてドラムに合わせて2ビートで弾き始めます・・・ああ、これぞ巨匠レイ・ブラウンの音です。CDで知ってる、誰よりも図太く重圧感のある、あの音。強力なビート感。まさにあの音がわずか数メートル先で鳴っています。これは感動もんです。レイ・ブラウン大好き人間としては、もうこれだけでも十分です。
 再びスピーカーから声がします。
    「オン・ギター、ハーブ・エリス!」
来ました来ました、とても人のよさそうな白髪のおじいさんが。CDのジャケットで顔は知ってます。楽器やってなかったらアメリカの田舎でじゃがいもでも作ってそうなおじいさんです。こちらもジャズギターでは大御所中の大御所です。また割れんばかりの拍手大喝采です。おじいさん、ニコニコ笑ってます。う〜ん、いい感じです。しかし・・・ううぅ・・・年とりましたねえ。もう見るからにおじいさんです。どう見ても田舎でじゃがいもを作ってなきゃいけないおじいさんです。無理して蝶ネクタイをしてます。タキシードを着てます。相当無理してます。こんなおじいさんが楽器ちゃんと弾けるんでしょうか。ギターを抱えてドラム・ベースに合わせて簡単なソロを弾き始・・・ををを!まさにあのハーブ・エリスです。全然おとろえてないじゃありませんか。一発でわかるあのちょっとこもり気味の音。白人とは思えないブルージーなフレーズ。鳴ってますよ目の前で。これまた感動もんです。
 そして最後にスピーカーから声がします。
    「オン・ピアノ、センセーショナル、オスカー・ピーターソン!!」
ステージの左側から見えてきたのは、
    「巨大岩石」
・・・違う。生き物のはず。よく見ろよ。
 で、でっ、でたー!!! ステージの左側から出てきたのは、なんと!
    「大関、小錦!」
・・・ん?よく見ると違うぞ。ステージの左側から出てきたのは・・・ををを! これぞ正にジャズ界の、
    「巨大デブちん」
・・・ったくもって失礼な!
    「ジャイアント・ピーターソン」
こと、
    「巨大オスカー・ピーターソン」
です。いや、もうそういうしかありません。テレビというのはなんでも平均的に見えるもんですが、それでもピーターソンはデカく映ってます。相当デカいことは予想してましたが・・・巨大です。縦にも横にも巨大です。前にも後ろにも、上にも下にも、右にも左にも巨大です。斜めにも巨大です。地下にも巨大です。全方向巨大です。かつて厚生年金会館のピアノのイスをブッコわしたといううわさ・・・うわさじゃありません。200%真実です。私が保証します。イスの10個や20個ブッコわれて当然です。おおそうだ、日本製のイスだったからだめなのです。他の場所のイスは大丈夫だったんでしょうか。イスは100個ぐらい用意しておかなきゃだめです。
 会場が爆発せんばかりの拍手大喝采と同時に、「うわぁ〜!」とか、「えーっ!」とかの声がたくさん聞こえてきます。そうでしょう。わかります。また別の女性の声で、「おっ、おおきぃ〜!」という声が聞こえます。あなたも初めて見たんでしょう。よーくわかります。
 とにかくまず巨大です。とても同じ人間とは思えません。こんな地球上にめったにいない巨大が、なんでピアニストなんでしょうか?なんかもっと他に有効利用がありそうなもんですけど。
 いやぁ、ほんとに驚きました。ライブってのはいいですね、別の面でも・・・。
 さすがにこれだけの巨体で年も年だからゆっくりとしか歩けません。じわっじわっと、でんでん虫歩きでピアノの前まで行きます。客に向かって一礼。そしてピアノのイスに座ります。ん?・・・イス!・・・をを、大丈夫。ブッコわれません。きっと特特特特特注のイスでしょう。しかしまあ座っても巨大なこと。出っ腹が鍵盤の下にもぐり込んどるやんか。そんなワザありか?それにあのフルコンサートサイズのピアノがこんなに小さく見えるのはいったいどういうことか? 私の目が悪いのか、オスカー遠近術でも使っているのか・・・。
 さあいよいよ巨大の演奏が、いや、巨匠の演奏が始まります。ベースのラインがイントロっぽくなってます。おっ、始まりそうな雰囲気です。ついにピーターソンが弾き始めました。ハニー・サックル・ローズです。ピーターソンです。まさにピーターソンです。いつも聴いてるピーターソンそのものです。聞こえてくる音は目の前で弾いてるピーターソンです。ハニー・サックル・ローズ・・・裏切りません。やはりこの人はこういうスタンダードをやってくれるのです。それもオーソドックスににいつもの調子でやるのです。なんと心地よいことでしょう。いつものピーターソンフレーズ100%です。高い金払って見に来た甲斐はありました。
 他の曲はスタンダードかピーターソンのオリジナル、といっても彼のオリジナルはスタンダードに聞こえるようなオリジナルばかりです。
 そして最後にずっ速のピーターソンのブルース。他のメンバーに演奏をさせておいて、まず彼がメンバー紹介をします。これが終わると各々のソロです。ドラムソロまで終わると彼は1人だけになって彼にしか出来ないケタ外れのテクニックのソロを披露します。そして全員が一斉に入ってテーマをやり、半分のテンポになってエンディングへ。そして最後、彼お決まりのダンパーペダル+上から下へのグリッサンド、で、低音オクターブのみの「ジャン」。ライブ終了です。
 演奏が終わってイスから立ち上がります。イスよ、よく耐えました。他のメンバーも立ち上がります。ハーブ・エリスおじいさんも・・・ヨイショっ・・・立ち上がります。バンド一同、客に向かって一礼をします。そしてステージの左側へ戻ります。左側へ戻るピーターソンのその姿は、
    「巨大」
でした。

法政ニューオレ同期「河野哲也」結婚式二次会 神楽坂「タゴール」
1990/03/04(日) / 24歳
 法政ニューオレで同期のトロンボーンの河野くんの結婚式二次会が神楽坂の「タゴール」でありました。彼の実家は福岡県の柳川市です。大学を卒業して田舎に戻りました。披露宴は福岡で行なったんですが、東京での演奏仲間のために東京でも二次会を開きました。ニューオレの人たちや六大学ビッグバンド連盟の人たちがたくさん集まりました。

ライブ 波多野素子グループ 西麻布「Woody Bell」・・・志村洋一、田中尚穂
 <初めての「Wood Bell」>
1990/04/17(火) / 24歳
 波多野<Payapa>素子(vo)、久保田浩(@)、志村洋一(b)、田中尚穂(ds)

 ジャズ研の1つ下の後輩、Payapaこと波多野素子が当時通っていたボーカルスクールの「Woody Bell」でライブを行うことになり、このメンバーとして参加しました。これが私の初めての「Woody Bell」でのライブでした。
 ベースの志村さんは、セッションなどで会っていたんですが、ライブで一緒に演奏するのはこれが初めてでした。
 尚穂はタカホです。男です。ドラムのタカホさんとは初めて一緒に演奏しました。 

とんかつセッション・・・ドラムの田中邦男さんの自宅セッション
1990/04/27(金) / 24歳
 田中邦男(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、今津雅人(ts)、久保田浩(p)、浅田聡(b)

 知る人ぞ知る「とんかつセッション」にラッパのナバロに誘われ行きました。
 これはドラムの田中邦男さんの自宅のセッションです。日本人でアート・ブレイキーといえばこの人です。アートブレイキー本人とも親交があったようです。かつてプロだった氏は自宅を改造。とんかつ屋をやりながら、プロミュージシャンを自宅に呼びセッションをし録音をするという日々を送っていました。呼んだミュージシャンのリストを見ると有名なミュージシャンがぞろぞろでした。
 確かに田中邦男さんはアート・ブレイキーそのものでした。

★仕事 じみたデュオ 赤坂「Rose Inn」
 <謎のエレベー>
1990/05/02(水) / 24歳
 久保田浩(p)、××××(eb)

 この日セガで仕事中、知り合いから電話があり、突然「今日演奏できますか?」と。空いていたので行きました。お店の名前はこの日まで知りませんでした。
 ここで一緒に演奏したアマチュアのエレキベースの人がなんだかなあ・・・ベースの人が私に聞きました。
    「次は何をやりますか?」
私は、
    「How High The Moonにしましょうか。」
もちろんスタンダード中のスタンダードです。すると、
    「えっ? How High The Moon?」
    「そういう新しい曲はよく知らないですね。」
How High The Moonってそんなに新しい曲かぁ?
 この日の演奏終了後、別の仕事を終えたピアノの守屋純子さんが遊びに来ました。初めて会いました。

とんかつセッション・・・2回目
1990/05/06(日) / 24歳
 田中邦男(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、宮本大路(bs)、久保田浩(p)、浅田聡(b)

 とんかつセッションにもう一度ラッパのナバロに誘われたので行きました。
 バリトンサックスの宮本さんはとてもよかったです。テナーも吹いていました。

★セガ「SSTバンド」でレコーディング・・・総監修 野呂一生
 <CD発売>
1990/05/21(月) / 24歳
 セガのゲーム音楽のアレンジ版CDのレコーディングにピアノで参加しました。こんなこともやってたんですねえ。
 2曲ほど弾きました。そのうち1曲はほんのちょっとですがソロスペースもありました。
 総監修はカシオペヤのギターの野呂一生さんでした。ギターを弾くと思いきや・・・なんかよくわかりませんが・・・パーカッションで参加してました。
 CDですから販売してます。セガの人はCDに実名は出せませんので内容文には「じみた」で出ています。

★ライブハウス新宿「J」の学生バンドコンテストに出場
 <学生バンド?・・・なんか変じゃない?>
 <窃盗発生、しかもモノは役に立たず>
1990/06/01(金) / 24歳
 新宿のライブハウス「J」主催の学生バンドコンテストがあり、これに出場しました。全部で6大学出演がありました。

<学生バンド?・・・なんか変じゃない?>

 明治ジャズ研のラッパのナバロが、当時私も参加していた平川バンドに話を持ってきました。ということで私は明治大学のジャズ研で出演しました。さて明治大学のメンバーは・・・私は理科大です。すでに明治ってのが変です。

    ナバロ (tp、 明治ジャズ研 、現役)
    $子 (as、 明治ジャズ研 、現役)
    相楽賢哉 (tb、 明治ジャズ研 、現役)
    じみた (p、 明治ジャズ研 、現役)
    浅田聡 (b、 明治ジャズ研 、現役)
    平川雄一 (ds、 明治ジャズ研 、現役)

いいじゃないですか。何かヘンですか?・・・あやしいって?・・・だめかやっぱり・・・この時はダマせたんだけどなあ・・・すいません。ウソをついてました。

バンドメンバー調書
    だれぢゃ! どこぢゃ! ほんとに現役か!
    ナバロ 明治ジャズ研 現役
    $子 理科大ジャズ研 OB
    相楽賢哉 明治BS OB
    じみた 理科大ジャズ研 OB
    浅田聡 理科大ジャズ研 OB
    平川雄一 早稲田ダンモ 現役

なんぢゃこれは? どこが明治のジャズ研ぢゃ!
 ナバロだけです、合ってるのは。まあ知ったこっちゃありません。私は誘われただけです。彼が、
    「明治の現役で出るよりこのバンドで出たほうが優勝できるかもしれないから。」
バレたって彼のせいです。あたしゃ逃げまっせ。
 一応コンテストですからねえ。これはビッグ、ストロング、ヘヴィ、ターボな「いんちきバンド」です。バンド内に1人や2人犯人がいるならまだしも、5人も逮捕とは・・・。
 まあとにかくこれで「J」に出ました。ところで演奏はというと・・・あまりいいものではなく、これはだめだなとみんなで言っていました。でも別に私はいいんです、理科大ですから。何位になろうが関係ない。というかバンドメンバーも結果はどちらかというとどうでもよかった。
 後日、優勝の知らせが・・・優勝バンドだけ再度「J」で演奏しなければなりません。
 再びこのバンドで「J」で演奏しました。司会の「J」のマスターのバードマン幸田さんの、
    「優勝は明治大学です!」
にまずいなあと・・・。
 優勝バンド演奏の日、静谷昌治(as)、伊地知晋平(ts)、横地太郎(ts)もいました。
 優勝賞品がいくつかあったと思うんですが、この中のドイツビール「ミラー」のグラスは私がいただきました。私のうちにある「ミラー」のグラスはこの時もらったものです。

<窃盗発生、しかもモノは役に立たず>

 このコンテストの日の演奏終了後、バンドのメンバーで飲みに行きました。飲み会は終わり、相楽くんと平川くんは帰りました。残りの人たちで買い物をしにコンビニへ入りました。ちょうどその時、コンビニの横に商品の仕入用のトラックが止まりました。運転手が荷物をコンビニに持っていった時、$子がトラックをのぞいてから言います。
    「ねえねえ、肉があるよ!」
だからどうしたの?
    「今なら盗めるよ!」
ナニィ?
    「盗んじゃおうか?」
エエッ!
    「よし!」
たいへんです! 窃盗発生です! 泥棒発生です! 犯罪発生です!・・・ほんとに盗んでしまいました。
 時間も夜遅かったので、ナバロと$子はうちへ泊まることになりました。
 うちへ着きました。さて盗んだ肉をどうするか? $子、
    「パエリアを作ろう!」
そんな材料も器具もないのに・・・
    「本物のパエリアってのはこうやって作るんだよ。」
そりゃ本物はそうかもしれないけど、材料はないし器具はないし・・・
    「よし、作ろうよ!」
$子ってのは一度言い出したら人の言うことは聞きません。プライパンに米を入れ、水を入れ、肉を入れ・・・なんか作り始めました。ちょっと気がかりですがもうしょうがないです。任せましょう。あとは待つだけらしいです。みんな台所から部屋へ移ります。
 しばらくしてから台所へ行き、フライパンを覗くと・・・
    (@_@)
    (◎_◎)
    (?_?)
なんじゃこれは???・・・できたのは、
    「犬のメシ」
です。味見しました。味はそんなに悪くはありません。しかし・・・どう見ても、
    「犬のメシ」
です。3人で「犬のメシ」を食しました。
 いやあ$子ってのはおもしろい人ですよ。たまに「$子さんって名前知ってますよ。」って言われますが、知る人ぞ知る$子ってのは昔はこんな子でした。ちなみに窃盗はこの1回だけじゃありませんよ・・・。

理科大ジャズ研先輩「真対治男」結婚式二次会
1990/06/17(日) / 24歳
 理科大ジャズ研で1つ上の先輩、ベースの真対さんの結婚式二次会に参加しました。私は演奏者ではありません。
このパーティの最後で真対さんが演奏したんですが、それがベースではなくギター、それもソロでした。真対さんがギターを弾くってのは知りませんでした。ジャズ研の人たちも、これから真対さんがソロギターを弾くと聞いて、
    「何? ギターだと?」
    「おい、ちゃんと弾けんのかよ?」
ヤジを飛ばします。そして、ギターソロが始まります。
    「!」
    「うめー!」
だいたいジャズ研に4年間もいてギターを弾けるんなら、ちょっとぐらい遊びでギターを弾くほうが当たり前です。少なくとも私は1回も見たことはありません。演奏中、
    「真対って、ベースよりギターのほうがうまいんじゃねーの?」
こんな声も聞こえました。ベースよりいいかどうかはわかりませんが、確かにうまいです。
 演奏は1曲でした。終わるとジャズ研の人たちが、
    「真対ぃ〜、やるなあ〜」
みんな感心していました。いや〜、こんな隠しダマを持っていたとは・・・パーティの最後にやってくれました。

明大和泉祭に出演・・・平川雄一バンド
1990/06/22(金) / 24歳
 平川雄一(ds)、豊田<ナバロ>晃(tp)、苅田<$子>恭子(as)、相楽賢哉(tb)、久保田浩(p)、浅田聡(b)

 明治大学の和泉祭に平川バンドで出演しました。
 この時、私のオリジナル曲を演奏したんですが、後日、明治の学祭でジャズ研に遊びにいったときに、ジャズ研の人に「和泉祭で演奏したあの曲がよかった」と言われたのにはうれしかったですね。初めて自分の曲を、聴いた人から誉められた思い出があります。

仕事 東京プリンスホテルでの結婚披露宴 (理科大ジャズ研先輩「浅田さん」関係)
1990/06/30(土) / 24歳
 久保田浩(p)、浅田聡(b)、平川雄一(ds)

 理科大ジャズ研先輩の浅田さんに誘われて、東京プリンスホテルのマグノリアホールで結婚披露宴の演奏を行ないました。
 この日、確か朝早く浅田さんがうちに来て、2曲ぐらいコピーしてから行った覚えがあります。結婚披露宴演奏の当日の朝、新曲2曲コピーってのも度胸もんです。ちなみに私も浅田さんも絶対音感があるために・・・いや〜、学生のころよく2人でコピーしましたね。

リクルート社のパーティでの演奏・・・理科大ジャズ研OBバンド
1990/09/08(土) / 24歳
 林至(g)、牛山善太(g)、久保田浩(p)、浅田聡(b)、能登谷厚(ds)

 理科大ジャズ研OBのドラムの市川さんの関係で、リクルート社のバンド演奏会のようなパーティに参加しました。いくつかリクルート社員のバンドが出演していました。社内でこういうパーティがあるってのもいいですね。

理科大ジャズ研先輩「戸井正彦」&外部のピアニスト「重松英子」結婚式二次会
1990/09/30(日) / 24歳
 菅原一道(vo)、戸井正彦(har)、高島<Eve>直樹(tp)、苅田邦久(ts)、谷川淳(ts)、久保田浩(p)、小寺(b)、西川亨(ds)

 理科大ジャズ研で3つ上の先輩、ベースの戸井さんと、私もよく会っていたピアノの重松英子さんの結婚式二次会がありました。場所は銀座の「サテンドール」でした。このころは銀座にも「サテンドール」がありましたね。
 戸井さんは楽器はベースですが、理科大のジャズ研には最初ハーモニカで入ってきたというのを聞いていました。しかしこの日まで私は聴いたことはありませんでした。はあ〜、ちゃんと吹けるじゃないですか。なんでベースになっちゃったんでしょう。ハーモニカなんて人口も少ないですからね。ハーモニカ続けてたらよかったのに。
 この時の男性ボーカルの菅原一道さんはよかったですね。

 戸井さん・・・ちなみにピアノのYagoではありません・・・は私は個人的にはたいへんお世話になった人です。大学の途中で結成された戸井バンドのメンバーにもなりました。リッチー・バイラークやチック・コリアの曲などをやりました。
 合宿ではToy車は必須でしたね。ボロボロのタウンエース。いい感じでしたね。ガソリンは半分しか入れないんです。満タンにすると、
    「重くて燃費が悪い」
から・・・なんか納得できる車でしたね。
 あとはゲームですかね。私が大学1年の時に買ったパソコン「FM-7」を戸井さんに貸したんですが、だいぶたって戻って来たとき、ゲームの山が付属品でした。そんなにゲーム好きではない私としてもあんなにいっぱいあるんじゃあ・・・やってしまいましたね。ジャズ研の人たちもあのたくさんのゲームでよく遊びました。

学バンセッション 東工大ジャズ研・・・ナバロ、荻原さん、西尾さん
1990/10/14(日) / 24歳
 豊田<ナバロ>晃(tp)、久保田浩(p)、荻原光徳(b)、西尾研一(ds)

 東工大のジャズ研にナバロと一緒にセッションをしに行きました。東工大ってのはいいメンバーがそろっています。

★自己啓発セミナーに勧誘される
 <ふざけた飲み会>
1990/10/18(木) / 25歳
 セミナーに行ったわけではありません。ある女の人と飲みに行った時の話です。私は別にこういうセミナーを否定しているわけではありません。
 ある女の人と飲みに行くことになりました。2人だけです。まあ言ってみればデートのようなもんです。そういう感じではなかったですけど・・・まあ言ってみればデートのようなもんですよね。一応、ジャズ関係者でした。
 2人で飲みに行きました。いきなり最初からでした。その子の話してることは私にはよくわかりませんでした。セミナーだとか自己啓発だとかの言葉は一切出ませんでした。なんだか「自分をもっとすてきにする」だとか「世界をもっと広げる」とかの話をいきなりされました。私はそういう話を聞くために一緒に飲みに来たわけではない。いったい何の話をしているのかわかりませんでした。おもしろくない。そのうち、何か勧誘をしていることに気が付きました。私はそういう話は嫌いです。もう全然おもしろくありません。だんだん勧誘の話は加速して行きました。そのうちお金の話をし始めました。とんでもありません。
 結局最後までその話をされました。そのお店を出たのは割と早い時間だったんですが、私はもうそれから一緒に飲みに行く気はありません。嘘の理由を言って帰りました。

 どうも話を総合すると・・・その子は誰かにその自己啓発セミナーに誘われて行ったらしい。その自己啓発セミナーは最終段階で何人かを勧誘をしなければならないらしい。その勧誘相手として私を選んだ・・・ということでした。私は普通に飲むつもりでしたが、この子は最初から勧誘をしようと決めていたようですね。ちなみにそのセミナーは50万円かかるそうです。人それぞれ考えがあるでしょうが、私にとっては、完全なる無駄金です。まったくとんでもない飲み会でした。


 思い出したので、ついでにここに書いておきます。勧誘のことです。

 高校3年の3月、大学で東京へ出ようとしていた時期です。ある日突然、英語教材の勧誘電話がかかってきました。私はそのころそういう勧誘は知らなかったので説明会へわざわざ遠くまで出かけました。行ってみると30万ぐらいするものでした。しかし私は東京でどのくらい生活費がかかるのか全然知りませんでしたし、30万という金額が高いのか安いのかもわかりませんでしたので、そのまま帰ってきてその話を親にしました。そうすると、私の代わりに親が電話でさっさと断ってしまいました。

 大学1年の時です。もう忘れましたが何かの勧誘で電話がかかってきました。電話の最後で「いついつどこに来てください」っていうやつです。この時も勧誘自体を知らなかったのでOKしました。その待ち合わせをした日、その日はジャズ研の先輩たちと一緒にいました。そして先輩たちに、私がこれからある喫茶店に呼び出しをされたということを言うと、「そんなのブッチすればいいんだよ」と言われました。それでも私は行ったんですが、勧誘の人はなぜだかいませんでした。その後ジャズ研のみんなのところに戻り、勧誘者がいなかったことを言うと、「ほれみろ、いいかげんなもんだろ」と言われました。なぜその勧誘者が来なかったのかはわかりません。その後その勧誘者からは電話はありませんでした。

 大学2年の時です。ある日の夕方です。その日は昼のバイトがあって、それが終わり駅へ行きました。またその日は、その後すぐ居酒屋「駒安」のバイトがありました。早く行かなければなりません。駅で改札を入ろうとした時、改札のあたりで何かを勧誘している人たちがいます。そして私も声をかけられました。その人は私にとても真剣(そう)に話をしてきます。私もあまりに真剣に話をするので聞いてました。でもすぐ勧誘をしていることがわかりました。私はこの後バイトがあります。早く電車に乗らなければならない。でもこの人はとても真剣に話をしている。断り切れず、話をずっと聞いていました。すると昼のバイトをしているところの人たちが通りがかりました。そして私に「早く帰りなさいね」と笑いながら声をかけました。ああやっぱり勧誘ってそういうものなのか・・・でもあまりに真剣なのでしばらく聞いてました。でももう時間です。これ以上時間をかけるとバイトに遅刻します。もう時間だということを言うと、向こうが「また会ったらお話しましょう」と・・・ふざけんな!こっちは遅刻ぎりぎりまで聞いてやってんのに。二度とおまえとは話さん!・・・結局1時間も話を聞いてました。
 この時から私は知らない人からの勧誘を一切拒否するようになりました。

 電話勧誘ってなんなんでしょうね。私も何回もありました。家にもかかってきましたし、セガにもかかってきました。いったいどこで家や会社の電話番号を調べるのか?・・・なんかそういう業者があるそうですね。裏で出回っている電話番号リストというものがあるそうですね。犯罪です。電話で勧誘された時は、内容なんか無視して、逆にこちらから「私の電話番号をどこで調べましたか?」「その電話番号リストはどこで仕入れましたか?」と言って、こちらからつっこめばたいてい向こうから電話を切ります。変な勧誘には注意しましょう。 

セガ同期「上原くん」結婚披露宴・・・演奏なしで参加
1990/10/28(日) / 25歳
 セガで同期の上原くんの結婚披露宴に招待されました。なぜこんな個人的なことをここに書いたかというと・・・演奏せずに結婚披露宴に参加したのはこの1回だけだからです。ちなみに上原くんは私と同じ理科大出身です。

仕事 赤坂「ベイクルーズ」での結婚パーティ (理科大ジャズ研同期「Φ(フェイ)」関係)
1990/11/03(土) / 25歳
 高島<Eve>直樹(tp)、苅田邦久(ts)、久保田浩(p)、栗原<Φ(フェイ)>祟(b)、坂上学(ds)

 理科大ジャズ研同期のΦ(フェイ)に誘われて、赤坂のアマンドにある「ベイクルーズ」で結婚パーティの演奏を行ないました。

明大駿台祭に遊びに行く・・・畔柳直之
1990/11/03(土) / 25歳
 ラッパのナバロに誘われて明治大学の駿台祭に遊びに行きました。このときドラムの畔柳くんが遊びにきていました。初めて会いました。
 畔柳くんは成蹊大学のジャズ研です。テナーの若松さんの後輩ですね。またドラムの諸田さんに子どもの頃からドラムを習っていたそうです。

★仕事 九段ハミルトンパークでの結婚式二次会・・・相楽賢哉・平川雄一バンド
1990/11/24(土) / 25歳
 菊池成浩(tp)、谷口英治(ts)、相楽賢哉(tb)、久保田浩(p)、菰渕樹一郎(eb)、平川雄一(ds)

 明治BSの相楽くんの関係の結婚式二次会の演奏をしました。場所は九段ハミルトンパークでした。
 谷口英治(ts)です。テナーです。彼はテナーもできます。仕事ではテナーも吹いてました。
 トランペットの菊池くんとエレベーの菰渕くんに初めて会いました。菊池くんはこの時は明治BSの現役ですね。大学は明治ではなかったと思います。

★ライブ 小沢祐二バンド 八王子「BASH!」・・・鏡剛
 <初めての八王子「BASH!」>
 <小沢バンド開始>
1990/11/25(日) / 25歳
 小沢祐二(ts)、久保田浩(p)、小野寺浩(b)、鏡剛(ds)

 八王子のジャズ喫茶「BASH!」で、法政ニューオレの後輩のテナーの小沢くんのバンドでライブ演奏をしました。メンバーは、

    小沢祐二(ts)  法政ニューオレ3年
    じみた(p)  理科大ジャズ研OB
    小野寺浩(b)  法政ニューオレ3年
    鏡剛(ds)  慶応ライト3年

私以外は、みんな大学3年生です。この小沢バンドでしばらくの間活動しました。

 このころは「BASH!」は八王子にあり、ライブもやっていませんでした。テナーの小沢くんが「BASH!」でライブを企画しました。「BASH!」がライブハウスになったのは彼のおかげです。
 「BASH!」はこのライブ以降、しばらくは八王子に近い大学のジャズ研などが出演していました。そのうちプロも出演するようになり、六本木に移転しました。

 ニューオレの後輩のテナーの小沢くんは・・・「バカ」と呼ばれてました。いや、そんなに「バカバカ」って言われてたわけじゃないんですけど・・・ニューオレで「バカ」といえば小沢くんのことです。彼は学生の頃はとにかくお金がなかったですね。そこらじゅうの人にお金を借りてました。ちゃんと返したのかな?東京に本社がある会社に行くようになってからも「バカ」が出たようです。新入社員だというのに早速遅刻。これで彼の福島左遷は決まってしまいました。その後は会津若松へ・・・すばらしい人生です。こういう人がいるからいいんですよ・・・でもとてもいい人ですよ。私は会津若松に2回も遊びに行きました。

 ニューオレの後輩のベースの小野寺くんも個性ばりばりですね。見た目はおやぢです。しかも高校時代は柔道部だからガタイもよい。さらにおやぢしてます。東京に住んでいるのに関西弁です。某大手ゲームメーカーに就職しましたね。私もセガでしたから同業でした。大学は私と同じく5年間いたため彼もいろんなところに遊びに行ってたようです。理科大ジャズ研もちょっとだけやりました。この頃の学バン界で小野寺の名を知らない人はいないでしょう。見た目はおやぢですが根は真面目なんですよね。

 ドラムの鏡くんもとても個性的な人です・・・というんでしょうか。彼はこの頃慶応の近くの3畳1間のアパートに住んでるとか言ってました。そんな物件あったんですかねえ。でも彼はアパートへは帰りませんでした。慶応の三田校舎のライトの部室に住んでました。私が行くといつもいました。本人もそう言ってたから間違いなく住んでたでしょう。で、風呂はどうするか?・・・足洗い場のようなところで裸で水を浴びるんですねえ。誰に見られようが関係なく浴びてました。この時代にこんな人がいたんですねえ。でもドラムはすばらしかったです。

 こんな後輩3人に、一緒にバンドやりましょうと言われればやっちまいますよ。よく一緒に練習したりライブやったり飲んだりしました。

早稲田スイング研のリサイタルを見に行く
1990/12/01(日) / 25歳
 早稲田スイング研のリサイタルを見に行きました。場所は豊島公会堂でした。

ライブ鑑賞 オスカー・ピーターソン・トリオ+1 青山「ブルーノート」・・・2回目
1990/12/04(火) / 25歳
 オスカー・ピーターソン(p)、ハーブ・エリス(g)、レイ・ブラウン(b)、ジェフ・ハミルトン(ds)

 青山のブルーノートにオスカー・ピーターソンのライブを見に行きました。2回目です。この頃、ピーターソンは約1年おきにブルーノートに来ていました。私は毎回見に行ってましたので、計4回見に行きました。メンバーは、ドラムだけ前回と替わってジェフ・ハミルトンでした。
 内容は前回と同様です。ドラムのジェフ・ハミルトンもとてもよいです。個人的には前回のボビー・ダーハムよりも好きです。すばらしいライブでした。

法政ニューオレのリサイタルを見に行く
1990/12/08(土) / 25歳
 法政ニューオレのリサイタルを見に行きました。場所は有楽町の読売ホールでした。

理科大ジャズ研忘年会セッション 大井町「JAM BOX」
1990/12/09(日) / 25歳
  理科大ジャズ研の人たちで忘年会がてらのセッションを行いました。場所は大井町のスタジオ「JAM BOX」でした。

★セッション 目黒「SONOKA」
 <初めてのSONOKAセッション>
1990/12/12(水) / 25歳
 石田博(as)、守屋純子(p)、白鳥利卓(b)、藤沢博延(ds)

 目黒のライブハウス「SONOKA」のセッションに、理科大ジャズ研の先輩のテナーの谷川さんに誘われて一緒に行きました。SONOKAのセッションに行くのは初めてでした。お店自体も知りませんでした。
 とにかくこの日は私にとっては驚きの一夜でした。来てたセッション参加者たちのレベルの高いこと。リーダーバンドのレベルとまったく変わりませんでした。出てくる人出てくる人、みんなすごい演奏ばかりなのでとても緊張しました。とてもよい経験をしました。アルトの多田誠司さんもこの日いたと思います。
 またこの年の5月2日に赤坂のクラブ「Rose Inn」で会っていたピアノの守屋さんに会いました。
  ドラムの藤沢さんは、私がこの後、SONOKAのセッションに何回か行って一緒に演奏した後、若くして亡くなりました。とてもよいドラムでした。

早稲田スイング研のクリスマスセッションに遊びに行く
1990/12/21(金) / 25歳
早稲田スイング研のクリスマスセッションに遊びに行きました。

コンサート観賞 スティービー・ワンダー 東京ドーム・・・スティービーは見えなかった
1990/12/23(日) / 25歳
 東京ドームにスティービー・ワンダーのコンサートを見に行きました。この大きさの規模のコンサートに行ったのは初めてです。こういう人はこれぐらい大きな場所でないとコンサートはやりませんからね。座った場所はかなり上のほうでした。したがってスティービーは私の場所からは「点」です。点にしか見えません。音楽は聞こえますが姿はよく見えません。こういうことだろうと思ったから、私は大きなコンサートには行かなかったんです。もう少し小さな場所ならまだいいんですけど、これならCDを聞いてたほうが私はいいです。

ライブ観賞 日野皓正セッション 新宿「ピットイン」
1990/12/29(土) / 25歳
 日野皓正(tp)、鈴木宏昌(p)、秋山一将(g)、坂井紅介(b)、岡田佳太(ds)

 新宿ピットインに日野皓正セッションを見に行きました。私は、ヒノテルはこの時はフュージョンをやるもんだと思って見に行ったんですが、すべて4ビートジャズで、そのほとんどがスタンダードの曲でした。テレビではヒノテルを何回も見ていましたが・・・やはりですね、この人はいいです。生で見て改めてそう思いました。誰がなんと言おうが、日本のトップトランペッターに間違いありません。

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