じみたの歴史

1989~1990年(23歳~25歳)

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1989年
☆セガでのプロジェクト第1弾
「メガドライブ ソーサリアン」

1989年?月?日
<新大久保 Someday>
「平川雄一 グループ」
豊田"ナバロ"晃(tp) 苅田"$子"恭子(as) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 平川雄一(ds)
※初めてのライブハウスでのライブ
※テナーの菊地康正さんが飛び入り

1989年?
☆理科大ジャズ研の夏合宿でくじびきバンド
<石打 ロッジ白道>

1989年12月11日(月)
☆セッション参加
<吉祥寺 赤いからす>
深井克則(p) 安部国雄(b) 諸田富男(ds)
※初共演:諸田富男(ds)
※$子に誘われて
※ドラムの諸田富男氏に会う

1989年12月29日(金)
☆セガ・サウンドの納会

1990年1月23日(火)27日(土)
☆サイパン旅行
※初めての海外
※セガのプロジェクトの打ち上げ

1990年
☆セガでのプロジェクト第2弾
「メガドライブ ムーンウォーカー」

1990年1月31日(水)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「ジャック・ディジョネット スペシャル・エディション」
グレッグ・オズビー(as) ゲイリー・トーマス(ts) ミック・グッドリック(g) ロニー・プラキシコ(b) ジャック・ディジョネット(ds)

1990年2月28日(水)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「オスカー・ピーターソン トリオ+1」
オスカー・ピーターソン(p) ハーブ・エリス(g) レイ・ブラウン(b) ボビー・ダーハム(ds)
※ピーターソンはデカかった

1990年3月4日(日)
☆河野くん 結婚式二次会
(法政ニューオレ同期)
<神楽坂 タゴール>

1990年4月17日(火)
<西麻布 ウッディベル>
「波多野素子 グループ」
波多野"Payapa"素子(vo) 久保田浩(p) 志村洋一(b) 田中尚穂(ds)
※初共演:志村洋一(b) 田中尚穂(ds)
※ウッディベルに初出演

1990年4月27日(金)
☆とんかつセッション
「ドラムの田中邦男さんの自宅セッション」
豊田"ナバロ"晃(tp) 今津雅人(ts) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 田中邦男(ds)
※初共演:今津雅人(ts)

1990年5月2日(水)
<赤坂 ローズイン>
「久保田浩 デュオ」
久保田浩(p) ×××(eb)
※初対面:守屋純子(p)
※謎のエレベー

1990年5月6日(日)
☆とんかつセッション 2回め
「ドラムの田中邦男さんの自宅セッション」
豊田"ナバロ"晃(tp) 宮本大路(bs) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 田中邦男(ds)
※初共演:宮本大路(bs)

1990年5月21日(月)
☆セガの「SSTバンド」でレコーディング
※総監修はカシオペアの野呂一生さん
※CD発売

1990年6月1日(金)
☆新宿「J」の学生バンドコンテストに出場
<学生バンド?なんか変じゃない?>
<窃盗発生、しかもモノは役に立たず>

1990年6月17日(日)
☆真対さん 結婚式二次会
(理科大ジャズ研先輩)
<場所?>

1990年6月22日(金)
☆明治大の学祭に出演
<明大 和泉祭>
「平川雄一 グループ」
豊田"ナバロ"晃(tp) 苅田"$子"恭子(as) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 平川雄一(ds)

1990年6月30日(土)
<御成門 東京プリンスホテル>
「結婚披露宴」
(理科大ジャズ研先輩 浅田さん関係)
じみた(p) 浅田(b) 平川(ds)

1990年9月8日(土)
☆リクルート社のパーティでの演奏
<リクルート社 東新橋ビル>
「理科大ジャズ研OBバンド」」
林(g) 牛山(g) じみた(p) 浅田(b) 能登谷(ds)

1990年9月30日(日)
☆戸井さん・重松さん 結婚式二次会
(理科大ジャズ研先輩・知人)
<銀座 サテンドール>
菅原一道(vo) 戸井(har) Eve(tp) 苅田(ts) 谷川(ts) じみた(p) 小寺(b) 西川亨(ds)

1990年10月14日(日)
☆学バンセッション
<東工大 ジャズ研>
豊田"ナバロ"晃(tp) 久保田浩(p) 荻原光徳(b) 西尾研一(ds)

1990年10月18日(木)
☆自己啓発セミナーに勧誘される
※ふざけた飲み会

1990年10月28日(日)
☆上原くん 結婚披露宴
(セガ同期)
<場所?>
※演奏なしで参加

1990年11月3日(日)
<赤坂 ベイクルーズ>
「結婚パーティ」
(理科大ジャズ研同期 φ(フェイ)関係)
じみた(p) φ(フェイ)(b)

☆明治大の学祭へ遊びに行
<明大 駿台祭>
※初共演:畔柳直之(ds)

1990年11月24日(土)
<九段 ハミルトンパーク>
「結婚式二次会」
「相楽賢哉・平川雄一 グループ」
菊池成浩(tp) 谷口英治(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 菰渕樹一郎(eb) 平川雄一(ds)
※初共演:菊池成浩(tp) 菰渕樹一郎(eb)

1990年11月25日(日)
<八王子 BASH!>
「小澤祐二 グループ」
小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 小野寺浩(b) 鏡剛(ds)
※初共演:鏡剛(ds)
※BASH!に初出演
※小澤バンド開始

1990年12月4日(火)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「オスカー・ピーターソン トリオ+1」
オスカー・ピーターソン(p) ハーブ・エリス(g) レイ・ブラウン(b) ボビー・ダーハム(ds)
※2回目

1990年12月12日(水)
☆セッション参加
<目黒 SONOKA>
石田博(as) ?(p) 白鳥利卓(b) 藤沢博延(ds)
※初めてのSONOKAセッション
※初共演:石田博(as) 白鳥利卓(b) 藤沢博延(ds)

1990年12月23日(日)
☆コンサート観賞
<東京ドーム>
「スティービー・ワンダー」
※スティービーは見えなかった

1990年12月29日(土)
☆ライブ観賞
<新宿 ピットイン>
「日野皓正 セッション」
日野皓正(to) 宮本大路(ts) 秋山一将(g) 坂井紅介(b) 岡田佳太(ds)
ゲスト;鈴木宏昌(p) 日野元彦(ss)


1989年
☆セガでのプロジェクト第1弾
「メガドライブ ソーサリアン」

 私はセガに約5年間勤めました。正確には4年10ヶ月です。セガではコンシューマー配属(家庭用ゲーム)で、家庭用ゲームのサウンド関係の仕事をやっていました。機器はメガドライブとメガCDです。

 私は実はセガにはサウンドで入社したのではありません。理科大の応用物理学科ということを利用してハードウェアで入社しました。入社してからもう一度希望部署を申請するんですが、まず入社時の希望部署を変える人はいません。ところが私は入社してからサウンド開発をやっている部署があるというのを知りました。そこでダメもとで「第一希望サウンド、第二希望ハードウェア」と書いて出したら、いきなりサウンドの係長と話をすることになり、そしてサウンド配属になってしまいました。予想外の出来事でした。このせいでサウンド希望で入社したある人がハードウェア配属になってしまいました。ごめんなさいね。

 やっていたのはゲームソフトの音作りだけではありませんでした。サウンド関係のプログラムもやっていました。メガCDのプログラムは私1人でやりました。開発ツール関係もやりましたね。あとPCM関係もやりました。私信・・・磯田重晴さん、たいへんお世話になりました。年は同じなんですけどね。磯田さんがセガに住んでた(^^)おかげでどれだけ助かったことか。私のコンピュータ関係の師匠です。

 私は約5年間いた中、なぜか長期プロジェクトしかやりませんでした。約1年に1つのプロジェクトしかやりませんでした。多い人は1年に何本もやっています。たまたまそうなっちゃったんですけどね。

 これはセガでのプロジェクトの第1弾です。メガドライブ版の「ソーサリアン」というゲームの音楽です。元々は日本ファルコムという会社のゲームです。この音楽担当は古代祐三という人でした。ゲーム音楽界では名が知られているらしいです。この中の曲の移植と新たに加える曲がありました。移植はほとんど私がやりました。4、5曲でしたかね。あとは当時の係長と一緒に半分ずつ作曲しました。多かったですね。何十曲あったでしょうか。しかも元のゲームがあるからそれに近いような感じで作ったほうがよいのです。結構たいへんだったですね。

 このゲームはテレビのCMで放送されました。CMで流れるというのは聞いていたので、その時間にテレビを付けて待っていました。すると聞き慣れた曲が・・・私の曲じゃないですか。たまたまCM用に選んだシーンが私の曲だったんですね。自分の曲がテレビで流れている・・・驚きました。


1989年?月?日
<新大久保 Someday>
「平川雄一 グループ」
豊田"ナバロ"晃(tp) 苅田"$子"恭子(as) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 平川雄一(ds)
※初めてのライブハウスでのライブ
※テナーの菊地康正さんが飛び入り

 ライブハウスでライブをやったのはこれが初めてでした。

 大学5年目の末に誘われたドラムの平川バンドで、ライブハウスでライブをやることになりました。この日、テナーの菊地康正さんが遊びに来ていて、飛び入りしました。

 確かこの時は、平川バンドのレギュラーだったトロンボーンの相楽賢哉くんがいなかったような気がしますが。いなかったのはナバロだっけか?よく覚えていません。2管だったような覚えがあります。


1989年?

理科大ジャズ研の夏合宿・・・くじびきバンド

 これはこの年だったかどうか覚えていません。

 夏合宿の中日です。夏合宿にいる現役やOBたちでセッションの企画をしました。バンドメンバーをあみだくじで決め、曲をダーツで決めるというものでした。誰と一緒に演奏するか、何の曲になるかわかりません。これはおもしろいです。私は後輩のドラムのたいこと一緒にやることになりました。そしてダーツの時間です。ダーツはたいこがやることになりました。ダーツにはいろいろ曲が書いてあります。真ん中はブルースです。外側に向かっていくにしたがって曲が難しくなります。はずれは「Giant Steps」です。たいこの結果は・・・はずれ・・・見事です。ドラムだからいいですよね・・・・決定です。なんちゅうこっちゃ・・・。他のメンバーもぶつぶつ言ってます。しかもはずれを出したのはたいこだけ。なんちゅうこっちゃ・・・やりました。


1989年12月11日(月)
☆セッション参加
<吉祥寺 赤いからす>
深井克則(p) 安部国雄(b) 諸田富男(ds)
※初共演:諸田富男(ds)
※$子に誘われて
※ドラムの諸田富男氏に会う

 理科大ジャズ研の後輩の$子に誘われて、吉祥寺にあるライブハウス「赤いからす」のセッションに行きました。この日いたのは、ピアノの深井克則さん、ベースの安部国雄さん、そして、その後の私の音楽生活の中心人物となるドラムの諸田富男さんでした。諸田さんとはこの日は挨拶だけしました。特に何もありませんでした。

 後日です。ある日、新宿のスタジオ「Doing」でセッションをやっていた時に、ラッパのナバロが諸田さんを連れてきました。ラッパのナバロはその時すでに諸田さんのバンドをやっていたので諸田さんを呼んで来てくれたのです。諸田さんはスタジオに入って私の顔を見るなり、

  「あれぇ?どこかで会ったような・・・」

私が「赤いからす」のことを言うと、

  「おお、そうだ。あの時のピアノだ。」

「赤いからす」では別に名刺を渡したわけでもないし、そんなに諸田さんを話をしたわけでもありません。挨拶程度です。この時は諸田さんなんていう人は私からすれば一緒にセッションをするようなレベルではありません。プロミュージシャンの1人です。はぁ、ジャムセッションに何人もいたピアノの中の1人を覚えてくれているなんて、うれしいじゃありませんか。

 それからです。私が新宿の「J」へ諸田バンドを見に行くようになりました。行くと必ず1曲は弾かされます。そしてそのうち諸田さんの仕事に誘われるようになって、最後、諸田バンドに入ることになるのです。思えばこの「赤いからす」のセッションで初めて諸田さんを見たのでした。

 私は諸田さんにお世話になったというレベルではありません。私の音楽生活は諸田さんなしでは語れません。諸田さんに育てられたようなもんです。

 ちなみに諸田バンドからは多くのミュージシャンが出ています。アルトの池田篤さんや「やまじょー」こと山田穣くんやベースの俵山昌之さんなどは無名時代からやっていたそうです。レギュラーメンバーや何回か呼んだ人を含めると数知れません。私も割と長い間レギュラーメンバーだったのでいろいろなミュージシャンと演奏しました。トランペットの高瀬龍一さん、西尾健一くん、宮本やすしくん、アルトの小川高生さん、近藤和彦さん、宮崎勝央くん、吉野ミユキちゃん、テナーの若松孝さん、安保徹さん、野村潤くん、臼庭潤くん、トロンボーンの青木泰成さん、ベースの志村洋一さん、藤田耕平さん、増根哲也さん、林正男さん、大角一飛さん、矢野伸行くん、他にもいたと思います。ピアノの松浪さんや永井さんにも会いましたね。


1989年12月29日(金)
☆セガ・サウンドの納会

 セガでももちろん納会はあります。最初は部でやるんですけど、しばらくするとサウンドの人はサウンドの部屋で飲み始めます。サウンドの部屋というのはいわゆるふつうの会社の状態ではありません。楽器がそこらじゅうにころがってます。私もシンセ1台、エレピ1台持ってました。ギターを持っている人もたくさんいました。楽器以外でもカセットデッキ、CDプレイヤー、エフェクター類、ミキサー、スピーカーなどが机にいっぱいでした。これはですね・・・飲んで遊ぶには最適な環境です。しかもいたんですねえ、ジャズが出来る人が。いやジャズ屋ではなくても、フュージョンが好きな人ならチック・コリアのスペインぐらいはできます。結構楽しかったですね。


1990年1月23日(火)~27日(土)
☆サイパン旅行
※初めての海外
※セガのプロジェクトの打ち上げ

 初めての海外旅行です。サイパンへ行きました。一緒に行ったのはセガの人たちです。この旅行はセガのプロジェクトの打ち上げです。ぜいたくですね。

 セガに入っての最初のプロジェクトはかなり長期間でした。私がセガに入る前から始まっていました。そのプロジェクトが秋に終わり、みんなで打ち上げを考えていたところ、あまりに大変なプロジェクトだったため、飲み会ではなく海外旅行という案が出ました。もちろん普通は飲み会です。私にとっては突然の話です。私は海外へは行ったことがありません。いきなり海外旅行かい?最初は冗談だと思っていたんですがだんだん話が本格的になってきました。で、場所はどこにするか?私はどうせ行くならポピュラーなところではなく、アフリカとかインドとかのほうがいいと主張、他にも私と同じ考えの人がいたんですが、却下。まあ打ち上げですからねえ。それにそういうところは金もかかるし、ちょっと危ない。

 ということでサイパンに決まりました。サイパンではツアーの付属メニュー以外はほとんど泳いでました。海自体はきれいなんですけどねえ・・・1M置きにナマコがいるのはやめてほしいです。どっか行ってよ、じゃ済みません。サンダルを履いたまま泳いでました。

 あとはおみやげの酒ですね。この当時は海外の酒は日本ではえらく高かったです。私がこの時買った酒なんですが、日本円で6千円ぐらいで買ったカミューのブランデーは日本では4万円、8千円ぐらいで買ったレミーマルタンのブランデーは日本では6万円もしていました。これは安すぎます。あと1本何か買いました。税関は3本までしか許してくれませんからね。


1990年
☆セガでのプロジェクト第2弾
「メガドライブ ムーンウォーカー」

 マイケル・ジャクソンです。マイケル・ジャクソンのゲームです。セガでのプロジェクトの第2弾です。メガドライブ用のゲームです。

 このゲームに使われた曲は5曲で、すべてマイケル・ジャクソンの曲です。「スムース・クリミナル」「スリラー」「ビリージーン」「ビート・イット」「バッド」、まあどれも有名な曲です。ちなみに「バッド」でオルガンソロを弾いているのはジミー・スミスだったんですね。こんなところで小遣い稼ぎをしていたとは。

 本当は最初は著作権料の関係でマイケル・ジャクソンの曲は3曲だけで、残りの2曲は私のオリジナルでした。2曲マイケルっぽい曲を作ったんですが、海外の担当者が後から「著作権料はなんとかならんか? 全部マイケルの曲にしたい。」とか言い出して、勝手に全部マイケルの曲にしてしまいました。最初からそう言えっちゅーの。マイケル・ジャクソンはもちろんそんなことは知りません。全部マイケルの曲になってから聴いてもらいました。

 マイケル・ジャクソンのゲームは家庭用のメガドライブ用のゲームとゲームセンター用のゲームがありました。なんとゲームセンター用のサウンドを担当した人は、海外出張してマイケル・ジャクソン本人に会ってしまいました。私は家庭用ゲームというだけで会い損なってしまいました。あ~あ、運が悪いこと。


1990年1月31日(水)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「ジャック・ディジョネット スペシャル・エディション」
グレッグ・オズビー(as) ゲイリー・トーマス(ts) ミック・グッドリック(g) ロニー・プラキシコ(b) ジャック・ディジョネット(ds)

 青山の「ブルーノート」にジャック・ディジョネットのスペシャル・エディションのライブを見に行きました。ディジョネットはキース・ジャレットのスタンダーズのトリオで好きでした。しかしスペシャル・エディションは名前しか知りませんでした。

 ライブ開始のアナウンスがされると、メンバーが左側からぞろぞろ登場します。私はディジョネットの姿はビデオで知っていました。う~ん、やっぱり出ました。

 鬼瓦

オニがわら・・・ほんとにおっかない顔ですね。ビデオのあのまんまです。恐すぎます。

 そして曲が始まりました。まあなんと難しい曲ばかりでしょう。スタンダードらしき曲は1曲もありません。メンバーの誰かのオリジナルばかりです。変拍子の曲も何曲かありました。それも1回聴いただけじゃわかりません。13拍子の曲なんか数えているうちに曲が終わってしまいます。う~ん、いいライブっていえばいいライブなんですが、あまり楽しいライブではありませんでしたね。グレッグ・オズビーやゲイリー・トーマスなどは有名ですけど、ディジョネット1人だけ飛び抜けてすごかったという印象でした。

 「ブルーノート」のライブは1日に2ステージあり、どちらかを予約します。2ステージとも予約をするとお金も2回分かかります。この日、私は1ステージ目を見に行ったんですが、お客さんはあまりいませんでした。1ステージ目が終わると、「2ステージ目の予約客が少ないため、1ステージ目のお客さんはそのまま残っていても結構です。」とのアナウンスがありました。まあ、タダで見れるならってことで2ステージ目も全部見ました。


1990年2月28日(水)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「オスカー・ピーターソン トリオ+1」
オスカー・ピーターソン(p) ハーブ・エリス(g) レイ・ブラウン(b) ボビー・ダーハム(ds)

※ピーターソンはデカかった

 青山のブルーノートにオスカー・ピーターソンのライブを観に行きました。ライブハウスというのはいいですね。私はコンサートホールよりライブハウスのほうが親近感があって好きです。日本でこんな大物がライブハウスで観られるようになったのですから事情は変わったものです。

 ピーターソンはさすが日本でも大人気とあって値段も1万3千円とブルーノートでも最高金額。しかも1週間2ステージの全ライブ満席、予約するのも大変です。このメンバーは初期のバーブ時代のオリジナルトリオ+1という事もあって特に人気が高かったのかもしれません。このトリオで活動していたのは1950年代です。何十年かぶりに再会したのです。3人ともこの時まで現役で活躍しているというのが嬉しいじゃありませんか。

 当日、前のほうで観たいので開場の1時間以上前に行ったら、すでにもう列が出来ていました。うーん、さすが大人気のピーターソンです。でも運良く前から3、4番目あたりに座る事が出来ました。

 さて、ライブが始まります。また始まり方が大物らしいです。司会はいません。スピーカーから声だけがします。

  「オン・ドラムス!」
  「ボビー・ダーハム!」

ステージの左側から出てきたのは、

  「脳天ハゲのおっさん」

・・・失礼しましたm(_ _)m。MPS時代のピーターソントリオをやっていた凄いテクニックを持っているドラマーです。姿はタキシードに蝶ネクタイです。今日はみんなタキシードだな。

 さあ、演奏開始です。拍手が鳴り止むと、まずはそのドラムのテクニックを披露。フリーソロをやります。さすがです。しばらくソロをやった後、心地よいミディアム・ファーストぐらいの4ビートを刻み始めます。

 再びスピーカーから声がします。

  「オン・ベース!」
  「レイ・ブラウン!」

 レイ・ブラウンという名前を知らない人はジャズファンではありません。ロン・カーターなどテレビに出ていて有名なベーシストもいますが、そのキャリアからすると比ではありません。高校時代に買ったオーレックス・ジャズ・フェスティバルのレコードにレイ・ブラウンが入ってて、私はその時からのファンです。いよいよジャズベースの大御所中の大御所、巨匠レイ・ブラウンの登場です。ついにその姿が見れるのです。

 ステージの左側からあの顔が現れました。ビデオでその顔や弾く姿は知っています。ビデオの顔と同じく、ニコっと笑ってます。う~ん、いい感じのおじさんです。会場は割れんばかりの拍手大喝采です。きっとレイ・ブラウン目的で来ている人も多かったでしょう。

 置いてあったベースを起こし、ドラムに合わせて2ビートで弾き始めます・・・ああ、これぞ巨匠レイ・ブラウンの音です。CDで知っている誰よりも図太く重圧感のある、あの音。強力なグルーブ感。まさにあの音がわずか数メートル先で鳴っています。いや~、これは感動ものです。レイ・ブラウン大好き人間としては、もうこれだけでも十分です。

 再びスピーカーから声がします。

  「オン・ギター!」
  「ハーブ・エリス!」

 来ました来ました、とても人の良さそうな白髪のおじいさんが。CDのジャケットで顔は知っています。楽器をやっていなかったらアメリカの田舎でじゃがいもでも作ってそうなおじいさんです。こちらもジャズギターでは大御所中の大御所です。また割れんばかりの拍手大喝采です。おじいさん、ニコニコ笑ってます。う~ん、いい感じです。しかし・・・

 ううぅ・・・歳とりましたねぇ。もう見るからにおじいさんです。どう見ても田舎でじゃがいもを作ってなきゃいけないおじいさんです。無理して蝶ネクタイをし、無理してタキシードを着ています。相当無理しています。こんなおじいさんがちゃんとギター弾けるんでしょうか?置いてあったギターを抱えてドラムとベースに合わせて簡単なソロを弾き始・・・ををを!まさにあのハーブ・エリスです。全然衰えていないではありませんか。一発でわかるあのちょっとこもり気味の音。白人とは思えないブルージーなフレーズ。鳴ってますよ、目の前で。これまた感動ものです。

 そして最後にスピーカーから声がします。

  「オン・ピアノ!」
  「センセーショナル!
  「オスカー・ピーターソン!!」

ステージの左側から見えてきました!

  「巨大岩石」

・・・違う。生き物のはず。よく見ろよ。

 で、でっ、でたー!!!ステージの左側から出てきたのは、なんと!

  「大関、小錦」

・・・ん?よく見ると違うぞ。ステージの左側から出てきたのは・・・

 ををを!これぞ正にジャズ界の、

  「巨大デブちん」

・・・ったくもって失礼な!

  「ジャイアント・ピーターソン」

こと、

  「巨大オスカー・ピーターソン」

です。いや、もうそういうしかありません。テレビというのは何でも平均的に見えるものですが、それでもピーターソンはデカく映ってます。相当デカいことは予想していましたが・・・巨大です。縦にも横にも巨大です。前にも後ろにも、上にも下にも、右にも左にも巨大です。斜めにも巨大です。地下にも巨大です。全方向巨大です。かつて厚生年金会館のピアノのイスをブッコわしたといううわさ・・・うわさじゃありません。200%真実です。私が保証します。イスの10個や20個ブッコわれて当然です。おおそうだ!日本製のイスだったからダメなのです。小錦用のイスじゃないと。普通のイスなら100個ぐらい用意しておかなきゃダメです。

 会場が爆発せんばかりの拍手大喝采と同時に「うわぁ~!」とか「えーっ!」とかの声が沢山聞こえてきます。そうでしょう。わかります。また別の女性の声で「おっ、大きぃ~!」という声が。うーん、あなたも初めて見たんでしょう。よーくわかります。

 とにかくまず巨大です。とても同じ人間とは思えません。こんな地球上にめったにいない巨大が何でピアニストなんでしょうか?他にもっと有効利用がありそうなものですが。

 いやぁ、ホントに驚きました。ライブというのはいいですね、別の面でも・・・

 さすがにこれだけの巨体で歳も歳ですからゆっくりとしか歩けません。じわっじわっと、でんでん虫歩きでピアノの前まで行きます。客に向かって一礼。そしてピアノのイスに座ります。ん?・・・イスーっ!!をを、大丈夫。ブッコわれません。きっと特特特特特注のイスでしょう。しかしまあ座っても巨大な事。出っ腹が鍵盤の下にもぐり込んどるやんか。そんなワザありか?それにあのフルコンサートサイズのピアノがこんなに小さく見えるのはいったいどういう事か?私の目が悪いのか?オスカー遠近術でも使っているのか・・・

 さあいよいよ巨大の演奏が、いや、巨匠の演奏が始まります。ベースのラインがイントロっぽくなっています。始まりそうな雰囲気です。そしてついにピーターソンが弾き始めました。ハニー・サックル・ローズです。ピーターソンです。まさにピーターソンです。いつも聴いているピーターソンそのものです。聴こえてくる音は目の前で弾いてるピーターソンです。ハニー・サックル・ローズ・・・裏切りませんね。やはりピーターソンはこういうスタンダードをやってくれるのです。それもオーソドックスにいつもの調子でやるのです。なんと心地良い事でしょう。いつものピーターソンフレーズ100%です。高い金を払って観に来た甲斐はありました。

 他の曲はスタンダードかピーターソンのオリジナル、といっても彼のオリジナルはスタンダードに聞こえるような曲ばかりです。

 そして最後にずっ速のピーターソンのブルース。他のメンバーに演奏をさせておいて、まず彼がメンバー紹介をします。これが終わると各々のソロです。ドラムソロまで終わると彼は1人だけになって彼にしか出来ないケタ外れのテクニックのソロを披露します。そして全員が一斉に入ってテーマをやり、半分のテンポになってエンディングへ。そして最後、彼お決まりのダンパーペダル+上から下へのグリッサンド、で、低音オクターブのみの「ジャン」。ライブ終了です。

 演奏が終わってイスから立ち上がります。イスよ、よく耐えました。他のメンバーも立ち上がります。ハーブ・エリスおじいさんも・・・ヨイショっ、立ち上がります。バンド一同、客に向かって一礼をします。そしてステージの左側へ戻ります。左側へ戻るピーターソンのその姿は、

 「巨大」

でした。


1990年3月4日(日)
☆河野くん 結婚式二次会
(法政ニューオレ同期)
<神楽坂 タゴール>

 法政ニューオレで同期のトロンボーンの河野くんの結婚式二次会が神楽坂の「タゴール」でありました。彼の実家は福岡県の柳川市です。大学を卒業して田舎に戻りました。披露宴は福岡で行なったんですが、東京での演奏仲間のために東京でも二次会を開きました。ニューオレの人たちや六大学ビッグバンド連盟の人たちがたくさん集まりました。


1990年4月17日(火)
<西麻布 ウッディベル>
「波多野素子 グループ」
波多野"Payapa"素子(vo) 久保田浩(p) 志村洋一(b) 田中尚穂(ds)

※初共演:志村洋一(b) 田中尚穂(ds)
※ウッディベルに初出演

 ジャズ研の1つ下の後輩、Payapaこと波多野素子が当時通っていたヴォーカルスクールの「Woody Bell」でライブを行うことになり、このメンバーとして参加しました。これが私の初めての「Woody Bell」でのライブでした。

 ベースの志村さんは、セッションなどで会っていたんですが、ライブで一緒に演奏するのはこれが初めてでした。

 尚穂はタカホです。男です。ドラムのタカホさんとは初めて一緒に演奏しました。


1990年4月27日(金)
☆とんかつセッション
「ドラムの田中邦男さんの自宅セッション」
豊田"ナバロ"晃(tp) 今津雅人(ts) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 田中邦男(ds)
※初共演:今津雅人(ts)

 知る人ぞ知る「とんかつセッション」にラッパのナバロに誘われ行きました。

 これはドラムの田中邦男さんの自宅のセッションです。日本人でアート・ブレイキーといえばこの人です。アートブレイキー本人とも親交があったようです。かつてプロだった氏は自宅を改造。とんかつ屋をやりながら、プロミュージシャンを自宅に呼びセッションをし録音をするという日々を送っていました。呼んだミュージシャンのリストを見ると有名なミュージシャンがぞろぞろでした。

 確かに田中邦男さんはアート・ブレイキーそのものでした。


1990年5月2日(水)
<赤坂 ローズイン>
「久保田浩 デュオ」
久保田浩(p) ×××(eb)
※初対面:守屋純子(p)
※謎のエレベー

 この日セガで仕事中、知り合いから電話があり、突然「今日演奏できますか?」と。空いていたので行きました。お店の名前はこの日まで知りませんでした。

 ここで一緒に演奏したアマチュアのエレキベースの人がなんだかなあ・・・ベースの人が私に聞きました。

  「次は何をやりますか?」

私は、

  「How High The Moon にしましょうか。」

もちろんスタンダード中のスタンダードです。すると、

  「えっ?How High The Moon?」

  「そういう新しい曲は
   よく知らないですね。」

How High The Moon ってそんなに新しい曲かぁ?

 この日の演奏終了後、別の仕事を終えたピアノの守屋純子さんが遊びに来ました。初めて会いました。


1990年5月6日(日)
☆とんかつセッション 2回め
「ドラムの田中邦男さんの自宅セッション」
豊田"ナバロ"晃(tp) 宮本大路(bs) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 田中邦男(ds)

※初共演:宮本大路(bs)

 とんかつセッションにもう一度ラッパのナバロに誘われたので行きました。

 バリトンサックスの宮本さんはとてもよかったです。テナーも吹いていました。


1990年5月21日(月)
☆セガの「SSTバンド」でレコーディング
※総監修はカシオペアの野呂一生さん
※CD発売

 セガのゲーム音楽のアレンジ版CDのレコーディングにピアノで参加しました。こんなこともやってたんですねえ。

 2曲ほど弾きました。そのうち1曲はほんのちょっとですがソロスペースもありました。

 総監修はカシオペヤのギターの野呂一生さんでした。ギターを弾くと思いきや・・・なんかよくわかりませんが・・・パーカッションで参加してました。

 CDですから販売してます。セガの人はCDに実名は出せませんので内容文には「じみた」で出ています。


1990年6月1日(金)
☆新宿「J」の学生バンドコンテストに出場

 新宿のライブハウス「J」主催の学生バンドコンテストがあり、これに出場しました。全部で6大学出演がありました。

<学生バンド?なんか変じゃない?>

 明治ジャズ研のラッパのナバロが、当時私も参加していた平川バンドに話を持ってきました。ということで私は明治大学のジャズ研で出演しました。さて明治大学のメンバーは・・・私は理科大です。すでに明治ってのが変です。

 ナバロ(tp) 明治ジャズ研 現役
 $子(as) 明治ジャズ研 現役
 相楽賢哉(tb) 明治ジャズ研 現役
 じみた(p) 明治ジャズ研 現役
 浅田聡(b) 明治ジャズ研 現役
 平川雄一(ds) 明治ジャズ研 現役

いいじゃないですか。何かヘンですか?・・・あやしいって?・・・だめかやっぱり・・・この時はダマせたんだけどなあ・・・すいません。ウソをついてました。

 バンドメンバー調書
 ナバロ(tp) 明治ジャズ研 現役
 $子(as) 理科大ジャズ研 OB
 相楽賢哉(tb) 明治ジャズ研 OB
 じみた(p) 理科大ジャズ研 OB
 浅田聡(b) 理科大ジャズ研 OB
 平川雄一(ds) 早稲田ダンモ 現役

なんぢゃこれは?どこが明治のジャズ研ぢゃ!

 ナバロだけです、合ってるのは。まあ知ったこっちゃありません。私は誘われただけです。彼が、

「明治の現役で出るよりこのバンドで出たほうが優勝できるかもしれないから。」

バレたって彼のせいです。あたしゃ逃げまっせ。

 一応コンテストですからねえ。これはビッグ、ストロング、ヘヴィ、ターボな「いんちきバンド」です。バンド内に1人や2人犯人がいるならまだしも、5人も逮捕とは・・・。

 まあとにかくこれで「J」に出ました。ところで演奏はというと・・・あまりいいものではなく、これはだめだなとみんなで言っていました。でも別に私はいいんです、理科大ですから。何位になろうが関係ない。というかバンドメンバーも結果はどちらかというとどうでもよかった。
 後日、優勝の知らせが・・・優勝バンドだけ再度「J」で演奏しなければなりません。

 再びこのバンドで「J」で演奏しました。司会の「J」のマスターのバードマン幸田さんの、

  「優勝は明治大学です!」

にまずいなあと・・・。

 優勝バンド演奏の日、静谷昌治(as)くん、伊地知晋平(ts)くん、横地太郎(ts)くん、もいました。

 優勝賞品がいくつかあったと思うんですが、この中のドイツビール「ミラー」のグラスは私がいただきました。私のうちにある「ミラー」のグラスはこの時もらったものです。

<窃盗発生、しかもモノは役に立たず>

 このコンテストの日の演奏終了後、バンドのメンバーで飲みに行きました。飲み会は終わり、相楽くんと平川くんは帰りました。残りの人たちで買い物をしにコンビニへ入りました。ちょうどその時、コンビニの横に商品の仕入用のトラックが止まりました。運転手が荷物をコンビニに持っていった時、$子がトラックをのぞいてから言います。

  「ねえねえ、肉があるよ!」

だからどうしたの?

  「今なら盗めるよ!」

ナニィ?

  「盗んじゃおうか?」

エエッ!

  「よし!」

大変です!窃盗発生です!泥棒発生です!犯罪発生です!・・・ほんとに盗んでしまいました。

 時間も夜遅かったので、ナバロと$子はうちへ泊まることになりました。

 うちへ着きました。さて盗んだ肉をどうするか?$子、

  「パエリアを作ろう!」

そんな材料も器具もないのに・・・

  「本物のパエリアってのは
   こうやって作るんだよ。」

そりゃ本物はそうかもしれないけど、材料はないし器具はないし・・・

  「よし、作ろうよ!」

$子ってのは一度言い出したら人の言うことは聞きません。プライパンに米を入れ、水を入れ、肉を入れ・・・なんか作り始めました。ちょっと気がかりですがもうしょうがないです。任せましょう。あとは待つだけらしいです。みんな台所から部屋へ移ります。

 しばらくしてから台所へ行き、フライパンを覗くと・・・

 (@_@)
 (◎_◎)
 (?_?)

なんじゃこれは???・・・できたのは、

  犬のメシ

です。味見しました。味はそんなに悪くはありません。しかし・・・どう見ても、

  犬のメシ

です。3人で「犬のメシ」を食しました。

 いやあ$子ってのはおもしろい人ですよ。たまに「$子さんって名前知ってますよ。」って言われますが、知る人ぞ知る$子ってのは昔はこんな子でした。ちなみに窃盗はこの1回だけじゃありませんよ・・・。


1990年6月17日(日)
☆真対さん 結婚式二次会
(理科大ジャズ研先輩)
<場所?>

 理科大ジャズ研で1つ上の先輩、ベースの真対さんの結婚式二次会に参加しました。私は演奏者ではありません。

 このパーティの最後で真対さんが演奏したんですが、それがベースではなくギター、それもソロでした。真対さんがギターを弾くってのは知りませんでした。ジャズ研の人たちも、これから真対さんがソロギターを弾くと聞いて、

  「何?ギターだと?」
  「おい、ちゃんと弾けんのかよ?」

ヤジを飛ばします。そして、ギターソロが始まります。

  「!」
  「うめー!」

だいたいジャズ研に4年間もいてギターを弾けるんなら、ちょっとぐらい遊びでギターを弾くほうが当たり前です。少なくとも私は1回も見たことはありません。演奏中、

  「真対って、ベースよりギターのほうが
   上手いんじゃねーの?」

こんな声も聞こえました。ベースよりいいかどうかはわかりませんが、確かにうまいです。
 演奏は1曲でした。終わるとジャズ研の人たちが、

  「真対ぃ~、やるなあ~」

みんな感心していました。いや~、こんな隠しダマを持っていたとは・・・パーティの最後にやってくれました。


1990年6月22日(金)
☆明治大の学祭に出演
<明大 和泉祭>
「平川雄一 グループ」
豊田"ナバロ"晃(tp) 苅田"$子"恭子(as) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 浅田聡(b) 平川雄一(ds)

 明治大学の和泉祭に平川バンドで出演しました。

 この時、私のオリジナル曲を演奏したんですが、後日、明治の学祭でジャズ研に遊びにいったときに、ジャズ研の人に「和泉祭で演奏したあの曲がよかった」と言われたのにはうれしかったですね。初めて自分の曲を、聴いた人から誉められた思い出があります。


1990年6月30日(土)
<御成門 東京プリンスホテル>
「結婚披露宴」
(理科大ジャズ研先輩 浅田さん関係)
じみた(p) 浅田(b) 平川(ds)

 理科大ジャズ研先輩の浅田さんに誘われて、東京プリンスホテルのマグノリアホールで結婚披露宴の演奏を行ないました。

 この日、確か朝早く浅田さんがうちに来て、2曲ぐらいコピーしてから行った覚えがあります。結婚披露宴演奏の当日の朝、新曲2曲コピーってのも度胸もんです。ちなみに私も浅田さんも絶対音感があるために・・・いや~、学生のころよく2人でコピーしましたね。


1990年9月8日(土)
☆リクルート社のパーティでの演奏
<リクルート社 東新橋ビル>
「理科大ジャズ研OBバンド」
林(g) 牛山(g) じみた(p) 浅田(b) 能登谷(ds)

 理科大ジャズ研OBのドラムの市川さんの関係で、リクルート社のバンド演奏会のようなパーティに参加しました。いくつかリクルート社員のバンドが出演していました。社内でこういうパーティがあるってのもいいですね。


1990年9月30日(日)
☆戸井さん・重松さん 結婚式二次会
(理科大ジャズ研先輩・知人)
<銀座 サテンドール>
菅原一道(vo) 戸井(har) Eve(tp) 苅田(ts) 谷川(ts) じみた(p) 小寺(b) 西川亨(ds)

 理科大ジャズ研で3つ上の先輩、ベースの戸井さんと、私もよく会っていたピアノの重松英子さんの結婚式二次会がありました。場所は銀座の「サテンドール」でした。このころは銀座にも「サテンドール」がありましたね。

 戸井さんは楽器はベースですが、理科大のジャズ研には最初ハーモニカで入ってきたというのを聞いていました。しかしこの日まで私は聴いたことはありませんでした。はあ~、ちゃんと吹けるじゃないですか。なんでベースになっちゃったんでしょう。ハーモニカなんて人口も少ないですからね。ハーモニカ続けてたらよかったのに。

 この時の男性ヴォーカルの菅原一道さんはよかったですね。

 戸井さん・・・ちなみにピアノのYagoではありません・・・は私は個人的にはたいへんお世話になった人です。大学の途中で結成された戸井バンドのメンバーにもなりました。リッチー・バイラークやチック・コリアの曲などをやりました。

 合宿ではToy車は必須でしたね。ボロボロのタウンエース。いい感じでしたね。ガソリンは半分しか入れないんです。満タンにすると、

 「重くて燃費が悪い」

から・・・なんか納得できる車でしたね。

 あとはゲームですかね。私が大学1年の時に買ったパソコン「FM-7」を戸井さんに貸したんですが、だいぶたって戻って来たとき、ゲームの山が付属品でした。そんなにゲーム好きではない私としてもあんなにいっぱいあるんじゃあ・・・やってしまいましたね。ジャズ研の人たちもあのたくさんのゲームでよく遊びました。


1990年10月14日(日)
☆学バンセッション
<東工大 ジャズ研>
豊田"ナバロ"晃(tp) 久保田浩(p) 荻原光徳(b) 西尾研一(ds)

 東工大のジャズ研にナバロと一緒にセッションをしに行きました。東工大ってのはいいメンバーがそろっています。


1990年10月18日(木)
☆自己啓発セミナーに勧誘される
※ふざけた飲み会

 セミナーに行ったわけではありません。ある方と飲みに行った時の話です。

 ある方と飲みに行くことになりました。2人だけです。一応知人のジャズ関係者でした。

 2人で飲みに行きました。いきなり最初からでした。その方の話してることは私にはよくわかりませんでした。セミナーだとか自己啓発だとかの言葉は一切出ませんでした。なんだか「自分をもっと素敵にする」だとか「世界をもっと広げる」とかの話をいきなりされました。私はそういう話を聞くために一緒に飲みに来たわけではない。いったい何の話をしているのかわかりませんでした。おもしろくない。そのうち、何か勧誘をしていることに気が付きました。私はそういう話は嫌いです。もう全然おもしろくありません。だんだん勧誘の話は加速して行きました。そのうちお金の話をし始めました。とんでもありません。

 結局最後までその話をされました。そのお店を出たのは割と早い時間だったんですが、私はもうそれから一緒に飲みに行く気はありません。嘘の理由を言って帰りました。

 自己啓発セミナーは最終段階で1人または何人かを勧誘をしなければならないですからこういう事になるのです。まったくもってふざけた飲み会でした。


1990年10月28日(日)
☆上原くん 結婚披露宴
(セガ同期)
<場所?>
※演奏なしで参加

 セガの同期の上原くんの結婚披露宴に参加しました。演奏をしなかったのは初めてです。


1990年11月3日(日) [1]
<赤坂 ベイクルーズ>
「結婚パーティ」
(理科大ジャズ研同期 φ(フェイ)関係)
じみた(p) φ(フェイ)(b)

 ジャズ研同期のφ(フェイ)に誘われて、赤坂のベイクルーズで結婚パーティの演奏をしまた。



1990年11月3日(日) [2]
☆明治大の学祭へ遊びに行
<明大 駿台祭>

※初共演:畔柳直之(ds)

 その後、明治大学の駿台祭に遊びに行きました。ドラムの畔柳(くろやなぎ)くんと初めて一緒に演奏しました。


1990年11月24日(土)
<九段 ハミルトンパーク>
「結婚式二次会」
「相楽賢哉・平川雄一 グループ」
菊池成浩(tp) 谷口英治(ts) 相楽賢哉(tb) 久保田浩(p) 菰渕樹一郎(eb) 平川雄一(ds)
※初共演:菊池成浩(tp) 菰渕樹一郎(eb)

 相楽くんか?平川くんか?に誘われて、九段のハミルトンパークで結婚式の二次会の演奏を行ないました。3管ですから豪華です。トランペットの菊池くんとベースの蒋渕くんと初めて一緒に演奏しました。谷口くんが珍しくテナーを吹きました。


1990年11月25日(日)
<八王子 BASH!>
「小澤祐二 グループ」
小澤祐二(ts) 久保田浩(p) 小野寺浩(b) 鏡剛(ds)

※初共演:鏡剛(ds)
※BASH!に初出演
※小澤バンド開始

 法政ニューオレの後輩の小澤くんに誘われて、八王子のBASH!でライブを行ないました。BASH!に初めて行きました。慶応ライトのドラムの鏡くんと初めて一緒に演奏しました。これ以降、BASH!で小澤バンドが続く事になりました。


1990年12月4日(火)
☆ライブ鑑賞
<青山 ブルーノート>
「オスカー・ピーターソン トリオ+1」
オスカー・ピーターソン(p) ハーブ・エリス(g) レイ・ブラウン(b) ボビー・ダーハム(ds)
※2回目

 この年2回めのブルーノート公演となるピーターソンのライブを観に行きました。前回とメンバーは同じでした。素晴らしいライブでした。


1990年12月12日(水)
☆セッション参加
<目黒 SONOKA>
石田博(as) ?(p) 白鳥利卓(b) 藤沢博延(ds)

※初めてのSONOKAセッション
※初共演:石田博(as) 白鳥利卓(b) 藤沢博延(ds)

 理科大ジャズ研先輩でテナーの谷川さんに誘われて、目黒のSONOKAのセッションへ行きました。SONOKAは初めてでした。これまで行ったセッションでは一番レベルが高かったです。これ以降、SONOKAのセッションへ行くようになりました。


1990年12月23日(日)
☆コンサート観賞
<東京ドーム>
「スティービー・ワンダー」

※スティービーは見えなかった

 理科大ジャズ研の何人かで東京ドームのスティービー・ワンダーのコンサートを観に行きました。ステージまでの場所が遠く、スティービーはまったく見えず、モニタでしか鑑賞出来ませんでした。


1990年12月29日(土)
☆ライブ観賞
<新宿 ピットイン>
「日野皓正 セッション」
日野皓正(to) 宮本大路(ts) 秋山一将(g) 坂井紅介(b) 岡田佳太(ds)
ゲスト;鈴木宏昌(p) 日野元彦(ss)

 理科大ジャズ研の人たちと新宿ピットインに日野さんのライブを観に行きました。超満員の状態で、一番後ろの補助席になりました。ゲストで元彦さんとコルゲン鈴木さんが参加しました。素晴らしい演奏でした。




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