じみたの歴史
− 大学3年目 −


私の大学3年目の出来事です。
日付 出来事 初めての人
1986/04〜 「ナバロ、たいこ、メシ竹、ベンピー、任天堂」
 <1人も本名で呼ばれなかった後輩たち>
 
1986/04/20(日) ボーカルバックセッション 銀座エレクトーン教室  
1986/04/27(日) ライブ鑑賞 森山威男カルテット 新宿ピットイン(with 板橋文夫)  
1986/07/21(月) ライブ鑑賞 岩崎大輔カルテット 新宿ピットイン昼の部・・・初めての板さんレスライブ  
1986/? 鍋のマカロニの量は?・・・理科大ジャズ研先輩、真対さん  
1986/11/09(日) 理科大ジャズ研のコンサート・・・やめた同期の初田  
1986/11/15(土) 東工大の学祭にいたテナー、岡淳  
1986/11/21(金)
〜1986/11/24(月)
理大祭「あけみ」・・・戻ってきた初田
 <焼肉を知らなかった後輩>
 
1986/? たいこ、いわになる  
1986/12 ダンパで稼ぐ  
1986/12/11(木) ダンパ第1弾 神田でのクリスマスパーティ 大亦ゆみ子(vo)
1986/12/13(土) ボーカリスト、Bienさんのクリスマスパーティに参加  
1986/12/15(月) ダンパ第2弾 六本木でのクリスマスパーティ  
1986/12/13(土) ダンパ第3弾 御殿場でのクリスマスパーティ  
1987/12/27(土) クレイジーキャッツの映画を見に行く  
1987/01/01(木) 新横浜正月セッションに参加できず  
1987/01/03(土) 新年会で週集団いたずら電話  
1987/01/15(木) 理科大ジャズ研OB「西さん」結婚式二次会  

「ナバロ、たいこ、メシ竹、ベンピー、任天堂」
 <1人も本名で呼ばれなかった後輩たち>
1986/04〜 / 20歳 / 大学3年目
 前年度、後輩の女性3人に適当なあだ名をつけてしまったジャズ研の連中、いい気になっています。
 まずは入部してきた男のピアノです。自己紹介を書いてもらった部誌を見ると、好きなミュージシャンのところに、
    「ファッツ・ナバロ」
ナニィ? ファッツ・ナバロだぁ? 1年生のくせに! マイルスとかハバードとかならわかる。ファッツ・ナバロだとぉ? オメーはジャズ知ってるのを自慢してぇのかよ!
    「ナバロ」
許さん!
 女のドラムが入部しました。前年度は女性3人「$子、Roa子、Payapa」で簡単に片づいてます。ドラムです。
    「たい子」
めんどくさい。
 男のアルトが入部しました。川竹という名前です。ある日、ジャズ研の人が彼に電話します。
    「もしもし?」
彼が電話に出ます。
    「めしめし?」
おまえはお子ちゃまか!
    「メシ竹」
よちよち。
 女のトランペットが入部しました。
    「あたし、便秘ぎみなんです。」
聞いてもいないのに女子大生が自分からそんなこと言うか?
    「ベンピー」
早く出せ。
 女のボーカルが入部しました。名前は、
    「任堂(とうどう)」
間違ってます。
    「任天堂」
こっちが正しいです。
 結局、1人も本名で呼ばれませんでした。

ボーカルバックセッション 銀座エレクトーン教室
1986/04/20(日) / 20歳 / 大学3年目
 先輩が参加していたSTAMNというバンドの関係で、ボーカルが入ったセッションがあるというので参加しました。場所は銀座のエレクトーン教室でした。エレクトーンがあるというのも私にとっては魅力です。参加メンバーは、ジャズ研の先輩では、谷川淳(ts)、戸井正彦(b)、それ以外では、Bien(vo)、重松英子(p)、西川亨(ds)、その他でした。久しぶりにエレクトーンを弾きました。

ライブ鑑賞 森山威男カルテット 新宿ピットイン(with 板橋文夫)
1986/04/27(日) / 20歳 / 大学3年目
 森山威男(ds)、植松孝夫(ts)、板橋文夫(p)、望月英明(b)

 新宿ピットインに森山さんのライブを見にいきました。まあ私的には板さんが入っているからということです。
 森山さんは、これ以前に丸山繁雄酔狂座オーケストラを見に行ったとき、1曲だけ飛び入りしたのを見たことがありました。レコードでも演奏は知っていたんですが・・・ぶっとびました。この時もパワー全開でした。テナーの植松さんはこのとき初めて名前を知りましたが、このときはジョー・ヘンダーソンそっくりでした。とてもすばらしい演奏でした・・・なんか出所記念演奏だとかいううわさを聞きましたけど・・・。ベースのグズラさんこと望月英明さんは酔狂座で何回か見ています。板さんも森山さんと一緒だったいうのもありパワー爆発でした。

ライブ鑑賞 岩崎大輔カルテット 新宿ピットイン昼の部・・・初めての板さんレスライブ
1986/07/21(月) / 20歳 / 大学3年目
 岩崎大輔(p)、?(as)、?(b)、斉藤純(ds)

 初めて板橋文夫レスのライブを見に行きました。まあ他の人のピアノも少しは知らんとね・・・。ベースの人の名前は覚えていません・・・あまりうまくなかった。あとサックスがいたんですがこの人はよかったです。でも名前が・・・確か宮崎なんとかだったと思います。岩崎さんのピアノはよかったです。ピアノだけでなく、この時の最後の曲のコルトレーンの「Moment's Notice」でフルートみたいな音でキーボードも弾いてました。これがとてもカッコよかったです。ドラムの純さんはほとんど上を向いて叩いてました。突然前を向くんだけど、すぐまた上を向いて叩いちゃう。
    「どこ見て叩いてんぢゃ!」
    「まっすぐ向かんかい!」
・・・とてもよいドラムでした。

鍋のマカロニの量は?・・・理科大ジャズ研先輩、真対さん
1986/? / 20歳 / 大学3年目
 理科大ジャズ研で私の1つ上の先輩に、ベースの真対(まつい)さんという人がいます。真対さんは理科大のそばのハンバーガー店のウェンディーズに行くと必ずフライドポテトを注文します。いや、フライドポテトしか注文しない時もある。他の誰かが、お持ち帰りでフライドポテトを部室に持って帰ると、それを発見するやいなや、
    「そのポテト、ちょっともらっていい?」
必ずちょうだいします。好きなんですね。先輩たちには、
    「イモしか食わない真対」
とか言われていました。なかなか個性的な人です。
 ある日、私のうちでジャズ研の何人かでパーティをすることになりました。パーティをやるのは私以外では、2つ上の先輩の浅田さん、1つ上の真対さん、他の何人かです。うちで料理を作ることになりました。私はこの日より前に、真対さんから大きな袋に入った2kgの業務用のマカロニをもらっていました。これがうちにあります。グラタンを作ることになりました。早速浅田さん、小麦粉をふるいにかけます。ふるいにかける・・・私はそこまではしません。ガバっと取って無理矢理水に溶かしてしまいます。溶けりゃ別にいいんです。
    「へえ、そういうことをするのか。」
ちょっと感心。男の学生どもが何人集まったって、その中にちゃんと料理できる人がいるかどうかなんてわかりません。しかも理科大ですからね。ヘタすりゃ「実験」になってしまいます。ふるいにかけている・・・これは浅田さんがいれば大丈夫。まあ私もグラタンは何回も作ったことがあるので大丈夫。続けます。
 マカロニをゆでなければなりません。浅田さん、
    「真対ぃ〜、マカロニゆでて。」
真対さん、沸騰した鍋に2kgの袋からマカロニを入れているようです。そしてフタを閉めたようです。他のみんなも何か仕事をしています。
 ちょっとたってから、浅田さん、
    「真対ぃ〜、やった?」
真対さん、
    「やったよ。」
浅田さん、ちょっと気になったのか、一応確認のためフタを開けました。するとそこには、
    「鍋いっぱいのマカロニ」
浅田さん、
    (@_@)
    「まつい〜・・・」
なんだ? 私も鍋のところへ行きました。
    (@_@)
もちろんマカロニはゆでれば倍ぐらいの大きさに膨れあがってしまいます。最初から鍋いっぱいとはどういうことか?
    「だって入っちゃったんだもん。」
入っちゃったじゃありません。どうすんですかこれを。浅田さんがフタを開けてなかったらどうなってたんですか。・・・しかも私の台所のガスレンジは1台だけです。1機しかない。しかたなく浅田さん、半分を別の鍋に移し替えます。半分はあとでゆでるしかありません。
 まあグラタンは無事できましたけどね。

理科大ジャズ研のコンサート・・・やめた同期の初田
1986/11/09(日) / 21歳 / 大学3年目
 理科大ジャズ研のコンサートです。会場は前年と変わって、六本木ピットインです。バンド名とメンバーは、

     <じみたV> <蒲生直樹”はこだて”DREAMS>
    松本圭(as)   高島<Eve>直樹(tp)
    じみた(p)   じみた(p)
    関塚健太郎(g)   関塚健太郎(g)
    真対治男(b)   栗原<φ(フェイ)>崇(b)
    大西<Roa子>里実(ds)   坂上学(ds)

 「じみたV」では、ボサノバの「Minha Saudade」などを演奏しました。
 「蒲生直樹”はこだて”DREAMS」では、アート・ファーマー版の「Nica's Dream」などを演奏しました。

 「じみたV」のほうは、オリジナルメンバーではありませんでした。この時だけベースが代わりました。私と同期のベース、初田がこのコンサート直前にジャズ研をやめると言い出したのです。急きょ、先輩の真対さんにピンチヒッターをお願いしました。この時期はコンサートに向けてどのバンドも通常の練習とは別にスタジオを借りて練習したりでみんな忙しいのです。その中を快く引き受けてくれました。さすが先輩です。非常に短期間の練習期間とは裏腹にみごとな代役でした。
 コンサート終了後、みんなの説得で初田はジャズ研に戻ってきました。これでオリジナルメンバーで理大祭は臨めます。よかったよかった・・・ん?・・・ってことは、彼はただの、
    「コンサートバッくれ野郎」
か?

東工大の学祭にいたテナー、岡淳
1986/11/15(土) / 21歳 / 大学3年目
 東京工業大学の学祭、工大祭に行きました。前年度、理大祭に来た東工大ジャズ研のレギュラーバンドを見て、すごい人たちがいるのを知ってたので行ってみることにしました。外の広い演奏広場では、去年理大祭で見た、ピアノの高木さんのカルテットが演奏していました。アルトは私と同じ名前の久保田耕司さん、ベースが荻原光徳さん、ドラムは加藤さんでした。高木さんは相変わらずいい演奏をしていました。他の3人もみんなうまい。東工大のジャズ研ってやっぱりすごいんだなあ。
 終わってから部室のセッションを見に行きました。そうすると去年理大祭で見たドラムのトニー・ウィリアムスの西尾研一さんが演奏していました。ああ、また!・・・またトニー・ウィリアムスです。CD聞いてるのと同じです。なんでそういうことになるんでしょう。すごいとかのレベルじゃありません。
 曲が終わり、メンバーがドラム以外入れ替わりました。外で演奏していた高木さんと荻原さんと初めて見るテナーの人が加わってNight in Tunigiaを演奏し始めました。またか!・・・またまたとんでもないテナーです。なんで学生でそんな演奏ができるのか? いったいここのジャズ研はどうなっているのか? 他の人に聞いて見ると東工大ではなく一橋大学のジャズ研の人らしい・・・岡淳(まこと)さんでした。

理大祭「あけみ」・・・戻ってきた初田
 <焼肉を知らなかった後輩>
1986/11/21(金)〜1986/11/24(月) / 21歳 / 大学3年目
 理科大の学祭、理大祭「あけみ」です。3回目です。
 私のバンドは、同期のベース、初田がコンサートの直前でジャズ研をやめてしまい、コンサートではベースが代わってしまいましたが、コンサートが終わって戻ってきたので元のオリジナルメンバーとなりました。ということで、この年のバンド名とメンバーです。コンサートとちょっとだけ違います。

     <じみたV> <蒲生直樹”はこだて”DREAMS>
    松本圭(as)   高島<Eve>直樹(tp)
    じみた(p)   じみた(p)
    関塚健太郎(g)   関塚健太郎(g)
    初田哲也(eb)   栗原<φ(フェイ)>崇(b)
    大西<Roa子>里実(ds)   坂上学(ds)

 <焼肉を知らなかった後輩>

 理大祭期間中は、教室に泊まった人たちで、よく深夜、焼肉や鍋なんかをやりました。
 ある日の「あけみ」閉店後です。その日は焼肉をすることになりました。肉を買ってこなければなりません。私と同期の初田(はつた)が、当時「メシ竹」と呼ばれていた1年生に買い出しを頼みます。
    「今から焼肉をするから肉買ってきてくれよ。」
    「はぁ〜・・・」
どうも頼りない。買い出し自体は別にいいのだが、肉は知らなさそう。
    「おい、大丈夫かよ。肉だぞ。」
    「はぁ〜・・・」
また頼りない。
    「いいか。今からここで焼肉をするから焼肉用の肉を買ってくるんだぞ。」
    「はぁ〜・・・」
どうしても頼りない。しかもこれで高い焼肉用の肉を買ってきてくれては困る。貧乏学生の焼肉なんか豚のバラ肉でよい。私が追加要求。
    「バラ肉でいいんだぞ。」
    「はぁ〜・・・」
バラ肉を知らないらしい。2人で肉攻撃。
    「焼肉用の肉だぞ。」
    「バラ肉でいいんだぞ。」
やっぱり彼の答えは、
    「はぁ〜・・・」
なんとしてでも頼りない。これ以上は説明のしようがない。まあ焼肉をするんだから大丈夫だろう。彼は買いに行きました。
 しばらくして戻ってきました。モノを見ると、
    「ブロックのバラ肉」
私と初田はその場でダウン・・・おまえは肉の種類どころか、焼肉ってもんを知らねーのか! 角煮でも作る気か!・・・理大祭「あけみ」に置いてある包丁なんて切れ味はバターナイフ並み、肉なんか切れやしません。初田、その包丁で無理矢理「のこぎり引き」・・・
 焼肉用の「ぶっとい」肉が出来上がりました。

たいこ、いわになる
1986/? / 21歳? / 大学3年目
 誰が言ったんでしょうか。私は覚えてませんが。誰が言い出したかわかりませんが、最初に言ったあなたはえらいです。これ以上の言葉はありません。
    「こいつ、いわになってるよ。」
よくその言葉が出ました。すばらしい。
 下を向いたまままったく動きません。トイレにも行きません。噴射もしません。押すと転がるだけです。まさに「いわ」です。
 ・・・まったくどうしようもないですね。だから他人に迷惑がかかるでしょ・・・いや、その場はいいですよ。いわに変身したら誰かが運ばなきゃいけないんですから。石ころみたいにちっちゃいならいい。いわですよ。1人じゃ運べるわけないじゃないですか・・・仕方なく運送隊長の浅田さんと部下が運びます。
 それによく居酒屋「駒安」で飲んでましたね、金を持って来ずに・・・。最初から金を持たずに飲みに来ますからたいしたもんです。全部返したんでしょうか?
 そんな「いわ」も、自分のバンドはできたし、車も買ったし、「いわ」には・・・なってないだろうな?・・・うん、よく普通化しましたね。
 昔はこんな感じでした。

ダンパで稼ぐ
1986/12 / 21歳 / 大学3年目
 このころはまだバブルの前でもあり、12月あたりはクリスマスパーティなどのいわゆるダンパ(ダンスパーティ)の仕事がジャズ研でさえ結構ありました。学生の分際で私もバンドで月に5万円以上稼いでいました。

ダンパ第1弾 神田でのクリスマスパーティ
1986/12/11(木) / 21歳 / 大学3年目
  波多野<Payapa>素子、大亦ゆみ子(vo)、高島<Eve>直樹(tp)、$子(as)、苅田邦久(ts)、じみた(ep)、浅田聡(eb)、坂上学(ds)

 私が参加したこの年のダンパ第1弾です。理科大ジャズ研に来た仕事です。私にとっては、お金をもらって演奏する初めての仕事です。場所は神田でした。大亦ゆみ子さんだけ外部の人です。
 ボーカルの大亦ゆみ子さん・・・大亦ちゃんは東京女子大学です。理科大ジャズ研で私の1つ下のピアノの後輩のPayapaは、大学は東京女子大学で、東女のサークルにも顔を出していました。この仕事はダンパでもどちらかというとポップス主体でボーカルを入れたかったため、Payapaが東女のサークルから連れて来ました。この東女のサークルはロックやポップスをやっていました。大亦ちゃんはこの時期はそういう曲を歌ってましたが、その後、 Payapa の影響もありジャズを歌うようになりました。私はのち、大亦ちゃんのバースディライブなどをやりました。ちなみに私は大亦ちゃんとは年齢も同じです。理科大では大亦ちゃんって呼んでましたが、東女ではゆみ子だからユーミンと呼ばれてました。ん? なんか「ドラえもん」ってのもあったような気がする。あれは何だったんだろう?

ボーカリスト「Bien」さんのクリスマスパーティに参加
1986/12/13(土) / 21歳 / 大学3年目
 Bien(vo)、谷川淳(ts)、重松英子(p)、じみた(p)、戸井正彦(b)、西川亨(ds)、他

 私のうちの近くに住んでいたボーカルのBien さん主催のクリスマス・パーティに参加しました。場所は新宿のシアター・プーでした。有名なシアター・アップルではありません。

ダンパ第2弾 六本木でのクリスマスパーティ
1986/12/15(月) / 21歳 / 大学3年目
 苅田邦久(ts)、じみた(ep)、浅田聡(b)、坂上学(ds)

 私が参加したこの年のダンパ第2弾です。理科大ジャズ研に来た仕事です。場所は六本木でした。

ダンパ第3弾 御殿場でのクリスマスパーティ
1986/12/19(金) / 21歳 / 大学3年目
 波多野<Payapa>素子(vo)、苅田邦久(ts)、じみた(ep)、浅田聡(b)、坂上学(ds)

 私が参加したこの年のダンパ第3弾です。理科大ジャズ研のOBの山田さんという方が勤めているダウケミカルという会社のクリスマスパーティでした。場所は静岡県の御殿場でした。

クレイジーキャッツの映画を見に行く
1987/12/27(土) / 21歳 / 大学3年目
 水道橋の居酒屋「駒安」で理科大ジャズ研の忘年会がありました。その後深夜、浅草でクレイジーキャッツの映画が何本かやっているというので、駒安の社長とジャズ研の何人かで見に行きました。お得な○本セットってやつです。初めて見ましたです、平等(たいらひとし)。私は映画というものはあまり見ません。特に日本の映画は見ません。でもこれはおもしろかったですね。映画館でお客さんが爆笑するんですね。どの映画でしたかね、楽器で喧嘩するやつ、ベースを弓矢にするやつ。やっぱりクレイジーキャッツはバンドマンですね。

新横浜正月セッションに参加できず
1987/01/01(木) / 21歳 / 大学3年目
 横浜のアマチュアバンドクラブのようなものの主宰のイベントで、理科大ジャズ研バンドとして出演できるというので先輩たちと一緒に行きました。
 理科大ジャズ研のバンド枠はプログラムの途中に2つありました。が、最初のほうのバンドがえらく時間が押してしまいバンド時間が短縮。さらに押し、バンド枠は1つに。またさらに押し、時間も短縮。そして理科大ジャズ研のバンド演奏は、私の他にもう1人いたピアノの先輩が参加して1曲だけ演奏、私の出番はなくなってしまいました。
 結局何も演奏せずに深夜、先輩に車でうちまで送ってもらいました。この時私は池袋に住んでいました。まったく正月から何をしにわざわざ横浜まで行ったやら・・・

新年会で集団いたずら電話
1987/01/03(土) / 21歳 / 大学3年目
 私のうちで理科大ジャズ研の何人かで新年会を行いました。この当時、私は留守番機能なしの安い赤い電話を持っていたんですが、なぜかスピーカー用のアウト端子が付いてました。私はこの電話をステレオにつないでいました。こうするとみんなで相手の声が聞けます。しかもなぜかこの電話、通話機能がよろしいようで、受話器をこたつの上の真ん中に置いて周りから普通に話しても相手に聞こえるらしいのです。これは楽です。こたつの上に受話器を置いてステレオにつなげば、スピーカーが人間になったようなものです。しかも相手はこの状況を知らない。これはいたずら電話に最適です。電話しまくりました。
 ただちょっとやりすぎたため、電話代が・・・後でこのときいた私と同期のEveに文句を言ってやりました。毎月基本料金+αだったのが、確か1万ウン千かかったはず。私の生活費の20%近くです。これはエンゲル係数どころではありません。でも文句言ったってどうせ払うのは私ですけど・・・まあ楽しかったから良しとしましょう。

理科大ジャズ研OB「西さん」結婚式二次会
1987/01/15(木) / 21歳 / 大学3年目
 苅田邦久(ts)、じみた(ep)、浅田聡(b)、坂上学(ds)

 理科大ジャズ研のOB、ベースの西さんの結婚式二次会の演奏をしました。場所は新宿でした。

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