じみたの歴史

1988~1989年(22歳~23歳)
大学5年目

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1988年4月4日(月)
☆法政ニューオレ 多摩校舎 新歓コンサート

1988年5月15日(日)
<六本木 Good>
「望月さん 結婚式二次会」
(理科大ジャズ研先輩)
じみた(p)
<初めてのピアノソロ……成功>
<じみた、泣かせ。>

1988年5月28日(土)
☆明大・法大 ジョイントコンサート
☆理科大ジャズ研の新歓コンパ
「重なる」

1988年6月?
☆法政ニューオレの服部、理科大でじみたを激写
「映っているのは……」

1988年6月16日(木)
☆明治BSに遊びに行く

1988年6月26日(日)
☆理科大ジャズ研のOB会
<御茶ノ水 NARU>

1988年6月30日(木)
☆ラッパのナバロとの出会い
<大塚 オレンジスタジオ>
※初共演:豊田"ナバロ"晃(tp)

1988年7月3日(日)
☆学バンライブ
「バカボン塾」
「明治BSコンボ」
ナバロ(tp) $子(as) じみた(p) 安ヵ川(b) 西田(ds)

1988年7月8日(金)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「武田和命 セッション」
武田和命(ts) 板橋文夫(p) 川端民夫(b) 古澤良治郎(ds)

1988年7月16日(土)
☆セッション参加
<高田馬場 イントロ>
※イントロセッション初参加
※ふざけたテナー

1988年7月17日(日)
☆史上最低のダンパ(^^)
「明治BSコンボ」
ナバロ(tp) $子(as) じみた(p) 安ヵ川(b) 西田(ds)

1988年7月22日(金)
☆ライブ鑑賞
<六本木 Body&Soul>
「植松孝夫 セッション」
植松孝夫(ts) 板橋文夫(p) 金澤英明(b) 村上寛(ds)

1988年7月?
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「板橋文夫 トリオ」
板橋文夫(p) 金澤英明(b) ジョージ大塚(ds)

1988年8月4日(木)~9日(火)
☆法政ニューオレの夏合宿
「今年も来た大型観光バス」

1988年8月15日(月)~22日(月)
1988年8月21日(日)

☆理科大ジャズ研の夏合宿
☆山野ビッグバンドコンテスト
「今年も重なる」

1988年9月3日(土)
☆六大学ビッグバンドコンサート
※初共演:平川雄一(ds)

1988年9月
☆セガ合格の思い出
「朝、起きた場所は?」

1988年10月10日(月)
<竹橋 如水会館>
「法政ニューオレ」

1988年10月19日(水)
☆理科大ジャズ研OB 林さんのセッションに初参加
<大井町 JAM BOX>
林(g) 牛山(g) $子(as) じみた(p) 村山(b) 大橋(b) 能登谷(ds)

1988年10月29日(土)~11月23日(水)
☆忙しかった1ヶ月

1988年10月29日(土)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「日野元彦 セッション」
峰厚介(ts) 井上淑彦(ts) 板橋文夫(p) 秋山一将(g) 桜井郁雄(b) 日野元彦(ds)

1988年10月30日(日)
☆理科大ジャズ研のコンサート
「神楽坂猿回し保存会(涙の柿ピー'88)」
$子(as) じみた(p) φ(フェイ)(b) 山野(ds)

1988年11月5日(土)
☆早稲田大の学祭に出演
「平川バンド」
おやじ(ts) じみた(p) 武山(b) 平川(ds)

1988年11月6日(日)
☆明治大の駿台祭に出演
「ナバロ グループ」
ナバロ(tp) じみた(p) 安ヵ川(b)

1988年11月7日(月)、11日(金)、18日(金)
<有楽町 The New York>
「法政ニューオレ コンボ」
小澤(ts) じみた(ep) 池上(b) 中西(ds)

1988年11月12日(土)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「古野光昭 セッション」
向井滋春(tb) 野力奏一(p) 古野光昭(b) 東原力哉(ds)

1988年11月16日(水)
<御茶ノ水 場所?>
「結婚披露宴」
「法政ニューオレ」

1988年11月19日(土)
☆明治大の生田祭に出演
「明大生田祭バンド」
ビッグバンド?

1988年11月20日(日)~23日(水)
☆理科大ジャズ研の学祭「あけみ」
「神楽坂猿回し保存会(涙の柿ピー'88)」
$子(as) じみた(p) φ(フェイ)(b) 山野(ds)
「相楽バンド」
相楽(tb) じみた(p) 武山(b) 西田(ds)
「Gスターズ」
Eve(tp) おやじ(ts) じみた(p) φ(フェイ)(b) 中原(ds)
※初共演:谷口英治(cl) 佐藤"ハチ"恭彦(b)
<相楽バンド>
<Gスターズ>
<クラリネットの谷口英二くんが遊びに来る>
<5テナーズ>

1988年12月4日(日)
☆関内エアジンのセッション、だっけ?

1988年12月9日(金)
☆法政ニューオレのリサイタル

1988年12月10日(土)
☆理科大ジャズ研のバンド会議
※バンドが少なくなる

1988年12月11日(日)
<森林公園 場所?>
「法政ニューオレ コンボ」
ナバロ(tp) じみた(ep) φ(フェイ)(b) 中原(ds)
※去年に続き、また白いグランドピアノ

1988年12月18日(日)
☆早稲田ダンモのコンサートを観に行く

1988年12月19日(月)
<乃木坂 健保会館>
「法政ニューオレ コンボ」
小澤(ts) じみた(ep) φ(フェイ)(b) 長瀬(ds)
※前年に続き2回目

1988年12月22日(木)
☆明治BSの打ち上げ
※じみたは関係ないやんか

1988年12月23日(金)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「板橋文夫 セッション」
梅津和時(as) 板橋文夫(p) 井野信義(b) 角田健(ds)

1988年12月24日(土)
☆セッション参加
<御茶ノ水 NARU>
Eve(tp) 山口真文(ts) じみた(p) 水上信幸(b) ?(ds)

1988年12月30日(金)
☆理科大ジャズ研の忘年会セッション

1989年1月2日(月)
☆泊まりでお座敷セッション
<理科大ジャズ研先輩 林さんの家>
林(g) 牛山(g) じみた(p) 大橋(b) 能登谷(ds)

1989年1月29日(日)
☆ライブ鑑賞
<六本木 Body&Soul>
「向井滋春 セッション」
向井滋春(tb) 滝本博之(p) 小井政都志(b) 村上寛(ds)

1989年2月5日(日)
☆理科大ジャズ研の追い出しコンパ

1989年2月12日(日)
☆平川バンド開始
ナバロ(tp) 相楽(tb) じみた(p) 浅田(b) 平川(ds)
※平川バンド開始

1989年3月11日(土)
☆明治BSのリサイタルを観に行く

1989年3月
☆理科大卒業の思い出
「何で卒業出来たの?」

1989年3月5日(日)、4月1日(土)、2日(日)
☆昭島市の社会人ビッグバンド「abc」のトラ
「理科大ジャズ研OB テナーの秋山さんに誘われる」
※学生最後だからちゃんとしないと……
※うーん、これからも大変なのかなあ

3月5日(日)
<昭島市?場所?>
「仕事演奏」

4月1日(土)
<福生 横田基地内>
「パーティ演奏」

4月2日(日)
<昭島市民会館>
「コンサート」



1988年4月4日(月)
☆法政ニューオレ 多摩校舎 新歓コンサート

 法政ニューオレで多摩校舎の新歓コンサートを行ないました。私は多摩校舎へ行くのは初めてでした。場所は京王線のめじろ台です。うちからは遠かったです。


1988年5月15日(日)
<六本木 Good>
「望月さん 結婚式二次会」
(理科大ジャズ研先輩)
じみた(p)

 理科大ジャズ研で3つ上の先輩、望月さんの結婚式の二次会で演奏しました。場所は六本木にある店「Good」でした。



<初めてのピアノソロ……成功>

 この仕事は私1人だけで、初めてのソロピアノでした。これまではバンド演奏しかした事がありません。

 で、パーティの最後に新郎の挨拶があって、そこでも何か演奏する事になっていました。まぁ私としては何かそれなりの雰囲気が出ればいいかなと思い、知っている曲ではなく、その場で適当に弾きました。

 新郎の挨拶が始まります。演奏開始。私からするとそれなりの雰囲気、というかそれ以上の演奏は出来ん。

 しばらくすると新婦に、

  目に涙

おっ、これはイケてる……泣き始めました。をを、こんな演奏でも泣くんだ。何かの曲ではなく、適当に弾いているだけです。この調子だ……

  涙ボロボロ

泣いてます。

 挨拶終了。OK。自分でも思った以上にとてもいい感じになりました。成功です。

 まあ結婚披露宴や二次会ではこういう事もありますね。

 パーティが終わってからジャズ研の人たちに言われます。

  「じみた、やるじゃん。」

私も予想外です。素晴らしい二次会でした。



<じみた、泣かせ。>

 さあ、一回やってしまったら大変です。今後失敗すると即、

  だめちんハンコ

を押されてしまいます。

 これ以降、理科大ジャズ研 結婚部 演奏科では、以下が必須科目となりました。

  「じみた、泣かせ。」


1988年5月28日(土)
☆明大・法大 ジョイントコンサート
理科大ジャズ研の新歓コンパ
「重なる」

 重なってしまいました。ジョイントコンサートの打ち上げには出れません。御茶ノ水にある明治大学でのコンサートが終わって、1人でジャズ研の新歓コンパへ向かいました。


1988年6月?
☆法政ニューオレの服部、理科大でじみたを激写
「映っているのは……」

 法政ニューオレで私の3つ下の後輩にピアノの服部がいます。私は彼を理科大ジャズ研に連れて来ました。少しの間ですが理科大ジャズ研もやりました。

 彼がある日ハンディビデオを買いました。彼はピアノに対してとても熱心です。ニューオレではピアノの先輩は私だけです。このような状況だとどうなるか?録画の対象は、

  ワタクシ

となります。何を録画するか?

  ワタクシの演奏

です。そう、とても熱心です。でも彼はとてもとても熱心です。私の弾く姿はどうでもよい。ズームアップ。

  手

そう、手さえ映ればいいのです。

 ある日、彼が理科大ジャズ研の練習時間にハンディビデオを持って来て、

  「すいません、ジミーさん。」
  「手を映させてください。」

手?何だそれ?あまりそういうは好きじゃないんだけどなぁ……でもまあいいか。そして私の横には激写する彼の姿がありました。

 1曲終わって、みんなで映像を見てみます。

  手

やっぱり手しか映っておりません。


1988年6月16日(木)
☆明治BSに遊びに行く

 明治BSの安ヵ川くんに誘われて、初めてBSの練習を観に行きました。場所は御茶ノ水校舎です。

 理科大から近いのですが、前年は一度も行きませんでした。なので私と同期のベースの磯部くんとは学生時代に友人になれませんでしたし、磯部くん以外の同期の人は私は知らないです。

 という事で私は、沢山いた私の1つ下の後輩たちと知り合う事になります。

沖(tp) 菊池(tp) 相楽(tb) 青田(tb) 金子(as) 橋本(ts) 西田(ds)

ちなみに、この内5人の結婚式は私が演奏する事になります。テナーの橋本くんは私と同じ福岡県出身です。トロンボーンの相楽くんは後に一緒にバンド活動をする事になります。

 その後BSには横浜国立大学から小林万登香(p)ちゃんが来ます。あと、理科大ジャズ研で1つ下の$子(as)も参加する事になります。


1988年6月26日(日)
☆理科大ジャズ研のOB会
<御茶ノ水 NARU>

 理科大ジャズ研のOB会が御茶ノ水NARUでありました。初めて見るOBが沢山いました。ゲストでピアノの大徳俊幸さんが来ていました。

 この前年にもOB会があったのですが、私は行けませんでした。この時は、ドラムの……というか、ヴォーカルの……というか、メリー・ジェーンの……というか……

  つのだ☆ひろ

さんが来ていたとの事です。かなり上の先輩の理科大ジャズ研OBの人たちが現役当時、まだジャズドラムしかやっていなかった「つのだ☆ひろ」さんとバンドをやっていたようです。。


1988年6月30日(木)
☆ラッパのナバロとの出会い
<大塚 オレンジスタジオ>
※初共演:豊田"ナバロ"晃(tp)

 ある日、明治BSの安ヵ川くんから、「八王子でイベントがあってバンドで演奏出来るので一緒にやりましょう。」と誘われました。

 そしてこのイベントのためにバンドを組む事になったのですが、メンバーの事で安ヵ川くんに言われました。

「明治のジャズ研に2年生でラッパの上手いのがいるんですよ。そいつと一緒にやりましょうよ。すっごい上手いですよ。
  『ナバロ』
って言うんですけどね。太ってるから
  『ファット』
なんだけど、それじゃ露骨だから
  『ナバロ』
って呼んでるんですよ。」

んまぁトランペットのファッツ・ナバロから来ている事には間違いないんでしょうけどね。でもラッパから来ているんじゃないらしい。

 リハの日です。場所は大塚のオレンジスタジオです。安ヵ川くんがナバロを連れて来ました。

  「ん……まあ……」
  「確かに……」

ファッツです。しかもやけに背が低い……まあそんな事はいいです。一緒に演奏しました……上手いです。上手過ぎ。こんなのは学生ではありません。しかもまだ2年生?信じられん。

 リハが終わって、安ヵ川くんとナバロはうちに泊まり、色々話しました。

 ナバロ、本名は豊田晃です。でも本名で呼んだ事はありません。ずっとナバロです。私はナバロと知り合った事で、その後の私の人生が変わったと言っても良いです。大学を卒業してすぐプロになったナバロが、アマチュアだった私に沢山の人を紹介してくれ、そこから私は広がっていきました。

 彼と知り合っていなかったら私のジャズピアニストは無かったかもしれません。それほど重要な存在でした。


1988年7月3日(日)
☆学バンライブ
「バカボン塾」
「明治BSコンボ」
ナバロ(tp) $子(as) じみた(p) 安ヵ川(b) 西田(ds)

 この企画はよく覚えていません。イベントの名前はバカボン塾でした。いくつか学生バンドが出ていたと思います。

 この時イベントで演奏したバンドのメンバーです。

 ナバロ(tp)  明治ジャズ研2年
 $子(as)  理科大ジャズ研4年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 安ヵ川(b)  明治BS3年
 西田(ds)  明治BS4年

 プロの演奏もありました。メンバーです。

中川昌己(fl) 浜田均(vib) 袴塚淳(p)

 私は初めて観る人たちばかりで名前も知りませんでした。安ヵ川くんや西田くんが「うわっ!袴塚さんだ。ハハハ……」と笑っているので「どうしたの?」と聞いたら、袴塚さんは明治BSのOBだったのでした。演奏は素晴らしかったです。


1988年7月8日(金)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「武田和命 セッション」
武田和命(ts) 板橋文夫(p) 川端民夫(b) 古澤良治郎(ds)

 板さんが入っているセッションバンドという事で、新宿ピットインへ観に行きました。武田和命さんの生きている姿を見たのはこの時だけです。この1年後ぐらいに亡くなりました。享年49歳。早すぎます。観に行って良かったです。


1988年7月16日(土)
☆セッション参加
<高田馬場 イントロ>
※イントロセッション初参加
※ふざけたテナー

 明治ジャズ研のナバロくんに誘われて、初めて高田馬場にある「イントロ」のセッションへ行きました。

 この頃、すでにイントロではセッションをやっていました。参加者は学生ばかりでした。店外まで沢山あふれる人数。中に入ると身動きが取れません。トイレへ行くのも一苦労です。

 この時、一緒に演奏したテナーの人が最低でした。

 出番前からジョン・コルトレーンの「Giant Steps」をやりたいと言っていました。しかしステージに上がるとメンバーで出来ない人がいたので曲を変更。その人はどうしても「Giant Steps」をやりたかったように見えましたが、知らない人がいたのでは仕方ありません。代わりにスタンダードの「Softly As In A Morning Sunrize」を演奏する事になりました。テーマが終わって、その人のソロになって現れたのは、なんと、

  「Giant Steps のコルトレーンのソロ」

曲は Softly です。その突然の出来事に客も大盛り上がりで拍手大喝采。相変わらずやっています。

  「Giant Steps のコルトレーンのソロ」

一緒に演奏していた私は……間違い探しで、以下1つ間違っています。

1.良いじみたが思います。

「あっ!これは Giant Steps の
 コルトレーンのソロ!」
「す、すごい!」
「そんなに長くコピーしてるんだ!」
「素晴らしい!これはプロだ!」

2.普通のじみたが思います。

「あんた、曲は Softly ですよ。」
「バックは Softly をやってるんですよ。」
「音楽というものをわかっているんですか?」
「あんた、コピーしたのを
 自慢しに来たんでしょう。」

3.悪いじみたが思います。

「ナニィ?」
「キサマ、何やっとんぢゃ!」
「いいかげんにやめんか!」
「オメーとはもう二度とやらん!」

間違いは……1です。最初からやる気がなくなりました。

 セッションでは間違ってもこういう事をやらないようにしましょう。その場では盛り上がる事があるかもしれませんが、本当はバカにされているのであり、一緒に演奏するのを嫌がられ、以後バンドに誘われなくなります。


1988年7月17日(日)
☆史上最低のダンパ(^^)
「明治BSコンボ」
ナバロ(tp) $子(as) じみた(p) 安ヵ川(b) 西田(ds)

 これは明治BSに来たダンパの仕事です。ただコンボの仕事だったので、明治BSの安ヵ川くんから誘われました。メンバーはこの直前に八王子であったイベントの時に集まったメンバーと同じです。

 ナバロ(tp)  明治ジャズ研2年
 $子(as)  理科大ジャズ研4年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 安ヵ川(b)  明治BS3年
 西田(ds)  明治BS4年

 ダンパといっても当時はほとんどポップスを演奏する事が多かったのですが、この仕事は本物のダンスパーティで、演奏も1曲につき2~3分の指定がありました。本番の演奏内容自体は悪くなかったのですが……

 何せ本物のダンスパーティで演奏時間も普段に比べたら超短い。わざわざこのためにダンパ用譜面を用意し、しかもあちこち省略しまくって演奏しなければなりません。

  「ここはやらない。」
  「1番カッコは飛ばす。」
  「ここもやらない。」
  「2回目はリピートなしでコーダへ。」

訳わからん。

 この時に演奏した「キッスは目にして」です。普通に始まりました。

  「あれっ?」

ナバロが抜けます。

  「ここじゃなかったの?」

$子が抜けます。

  「今どこやってんの?」

私が抜けます。

  「わかんないよ~。」

安ヵ川くんが抜けます。西田くん、

  ブン、チャ!ブン、チャ!……

1人だけでやっております。ダンパです。1曲2分です……

 何とか無理矢理復活させました。あとで録音を聞くと……とても本物のダンスパーティのバンドとは思えない(^^)

 別の曲で少し演奏時間が長くなってしまったものがありました。休憩時間、バンマスは怒られています……

 いやぁ、ひどい仕事をしたものです。学生の分際でこれで1人1万円以上もらえるんですから良い時代ですよ。

 仕事は出来れば続けて依頼されたいですが、この仕事はもう2度と来ないだろうと思っていたら、何と次の年は仕事が来たそうです。どこが良かったのか……

 ちなみに、この時の演奏の録音は今でも残してあります。


1988年7月22日(金)
☆ライブ鑑賞
<六本木 Body&Soul>
「植松孝夫 セッション」
植松孝夫(ts) 板橋文夫(p) 金澤英明(b) 村上寛(ds)

 板さんが入っているセッションバンドという事で、六本木「Body&Soul」へ観に行きました。店は初めてでした。まだ六本木駅のすぐそばにあった頃です。この後2回移転して南青山になりました。私はこの時まで新宿ピットインしか知りませんでしたから、随分雰囲気の違う店だなあと感じました。


1988年7月??
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「板橋文夫 トリオ」
板橋文夫(p) 金澤英明(b) ジョージ大塚(ds)

 新宿ピットインに板さんのトリオを観に行きました。板さんのメンバー紹介は、

  「ベースは、帽子がよく似合う
   金澤英明!」
  「ドラムは、私のドラムの先生の
   ジョージ大塚!」

「私のドラムの先生」って何でしょうね(^^)

 この時、ステージに上がろうとしたジョージ大塚さんが、ちょうど私の横でドラムのチューニングキーを落としてしまいました。しかしそれに気付かずステージへ行ってしまいました。私はそれを失敬……(^^)。まぁあんなもの、ジョージさんなら千個ぐらい持ってるんじゃないですか?(^^)。私は記念に持って帰りました。


1988年8月4日(木)~1988年8月9日(火)
☆法政ニューオレの夏合宿
「今年も来た大型観光バス」

 法政ニューオレの夏合宿です。2回目です。場所は前年と同じく長野県の飯山にある森荘でした。

 この年の3月、私は合宿免許を取りに行ったのですが、その後、半年以内に最後の学科試験を受けなければなりませんでした。さっさと受ければいいものを延ばしに延ばして……ニューオレの夏合宿と重なってしまいました。

 という事で2日目から参加しました。夕方、1人で電車に乗って飯山の駅へ出発しました。1人の電車旅というのもいいものですね。相当時間が掛かりましたが。

 この夏合宿は2回目ですからもう慣れています。合宿は問題なく終わりました。

 そして最終日、帰る日です。去年もあったはず……やっぱり来ました。

  「大型観光バス!」

デカッ!

 そして観光バスに付き物といえば……おお!いますよ、います!!

  「バスガイド!」

オネーちゃん!!……だから去年も言ったやん。どこをガイドするんぢゃ?……無事に法政大学へ着きました。


1988年8月15日(月)~22日(月)
1988年8月21日(日)

☆理科大ジャズ研の夏合宿
☆山野ビッグバンドコンテスト
「今年も重なる」

 この年も、理科大ジャズ研の夏合宿と山野ビッグバンドコンテストが重なってしまいました。合宿は新潟県の石打スキー場、山野は東京。またです。

 この年は山野の前日のリハには参加せず、本番だけ参加する事にしました。当日の朝6時前に起きて石打の駅に送ってもらって電車で行きました。場所は昨年と同じく千駄ヶ谷の日本青年館大ホールでした。この年、ニューオレは十何位だったか二十何位だったか。やはり前年で沢山の4年生が卒業してしまったのは痛いです。

 前年と同様、コンテストが終わってみんな打ち上げをやっている頃、私は電車に乗って石打へ戻りました。


1988年9月3日(土)
☆六大学ビッグバンドコンサート
※初共演:平川雄一(ds)

 六大学ビッグバンド連盟の合同コンサートです。2回目です。場所は前年と違い有楽町の読売ホールでした。

 内容は前年と同じくお祭りです。ニューオレはオレンジ色のハッピ姿です。私はこの年はピックアップバンドもやりました。トロンボーンの鍵和田さんがリーダーをやっていました。

 そして、これ以前にも会っていたと思いますが、ドラムの平川くんに会ったのはこの頃です。彼は早稲田のダンモですが、早稲田のハイソもやっていました。


1988年9月
☆セガ合格の思い出
「朝、起きた場所は?」

 私は理科大のジャズ研、東京理科大学のジャズ研です。ジャズ研は軽音楽部です。という事は、

  東京理科大学 軽音楽部 ジャズ学科

です。もはや理学部 応用物理学科ではありません。成績はもちろん、

  だめちん

です。下から数えたほうが早い。

 大学5年の……いや、大学4年の春から夏は就職シーズンです。どこかに入らなければ。ジャズ学科では……いや、応用物理学科では、成績の良い人たちは大手メーカーを希望します。例えば、

  まつうえ、しゃしば
  エヌヨシー、ドロニー
  イチビーエム、ふじおけ
  トイータ、ニッピコ

などです。ん?

  松上、車芝
  NヨC、$ONY
  1BM、富士桶
  トEタ、日彦

ああ、どれも有名ですね。大学から推薦書をもらって面接、試験があれば試験、これで内定です。で、「だめちん」たちはどうするか?就職課へ行くと、

  「あなたのこの成績では……」
  「ここは難しいですねぇ。」

推薦書はもらえない事が多い。推薦書なしの賭けで大手か、中小企業、零細企業になります。

 私は別に大手メーカーではなくても良かったのです。どこか適当な所があればいい。だいたい大学で習った事は就職して役に立つ事なんてめったにないです。後から考えればコンピュータ専門学校とかに行っていたら、もっと凄い事をやっていたのではないかと思います。

 7月、早い人はもう決まっています。内定をもらっていても何社も行く人もいます。決まっていない人たちは必死になって探しています。すでに何社も面接を受けている人もいます。10社以上の人だっています。

 私はというと……余裕ブッコいています。まだ何もしていません。

  「そろそろやったほうがいいのかなぁ?」

 やっと就職課へ行き、会社を探します。大手がずらり。でも私には関係ないです。違う所を探します。

  セガ

私はそれほどゲームをやりませんし、ゲームセンターは行きません。でも会社は有名です。「セ~ガ~」というCMもよく流れていました。就職課のデータを見ると過去に何人か就職しているようです。

  「ふ~ん、こんなクソマジメな理科大から
   ゲーム屋に行く人もいるんだ。」
  「理科大からゲーム屋なんて珍しいな。」
  「でもゲーム屋で何するんだろう?」
  「ハードウェア……」
  「ゲームの機械作るのかな?」

何だかよくわからない。他はいかにも応用物理学科が行きそうな会社がほとんどです。就職課に聞きます。

  「セガですか……」
  「他に誰も行かないし、
   まぁいいんじゃないですか。」

世の中セガを目指して頑張っている人もいるというのに……。まあとりあえず面接を受ける事にしました。部署はハードウェアです。運が良い事に試験はなく面接だけ。落ちたらまたどこか探せばいいです。推薦書は……もらえそう……にない……わからない。もういい。自分だけで行ってやる。めんどくさい。

 セガの人事課に電話し、履歴書だけ持って行きます。

 前の人が面接の部屋に入りました。

 20分ぐらいして終わりました。次は私の番です。部屋に入ると5人の面接官がいます。

  「理科大ですかあ……」

始まりました。もちろん初めての就職面接ですから緊張しています。その後はごく普通の面接です。そして、

  「他にどこか受けた所はありますか?」

えっ?そんな事を聞くの?そんなのウソだって言えるじゃん。私、強調します。

  「他に受けた所はありません。
  「ここだけです。」

ウソ言ってません。ホントです。

  「そうですか。」
  「はい、ありがとうございました。」
  「もういいですよ。」

終わってしまいました。前の人は長かったのに……いや、それが普通でしょう。5分で終わってしまいました。あっけない面接でした。

 何日か経って、電話が掛かって来ました。

  「合格致しましたので、
   御連絡差し上げました。」

はぁ~、あれで合格ねぇ。あんな何も聞かれていないたった5分の面接だけで。私も大したもんだ。いや、理科大というだけで合格させたんじゃないのか?……色々思いましたが、とにかく合格です。不満はありません。

 他の人がまだ就職パニックになっている中、私はまた余裕ブッコキ開始です。きっと同じ学科の人たちは「こいつ何やってるんだろう?」と思っていたでしょうね。

 9月のある日、セガの合格者祝賀パーティーがありました。夕方に終わりました。その後、それとは別に合格飲み会をしました。前もってこの日に、理科大ジャズ研の何人かと、明治BSの安ヵ川くんと明治ジャズ研のナバロくんとで飲む事にしていました。そして水道橋の駒安で飲みました。安ヵ川くんが言います。

  「今日は自分んちの近くで
   BSの連中が飲んでるんですけど、
   一緒に行きません?」
  「まあこれも合格祝いって事で。」

行くのはいいのですが、時間が遅かったので、この日は安ヵ川くんのうちへ泊まる事にしました。彼は当時、京王線の明大前の近くに住んでいました。初めて明大前に行き、その居酒屋へ行きます。中に入ると明治BSの人たちが沢山いて、合流します。

 飲み会が終わり、明治BSの相楽くんも一緒に、安ヵ川くんのうちへ行きました。

 さて酒は何があるか?まだ開いてないボトルが1本あります。

  This

見た事ありません。
(以下 This のファンがいたらすいません)

  「これ何?」
  「ウィスキーみたいです。」
  「こんなの見た事ないなあ。」
  「僕も初めてです。もらったんです。」
  「なんだよ This って……」
  「変なの。いかにも悪酔いしそう。」
  「そうですよね。」
  「試しに飲んでみようか?」

この This なるウィスキーを飲む事にしました。

  「マジィ!」
  「マズイ。マズイっすよ、これ。」
  「マズイですねぇ。」

なぜか3人とも一致。でも開けてしまった。仕方ないのでこれを飲む事に。しばらくは普通に飲んでいました。

 だんだん私は酔ってきます。後からの記憶も途切れ途切れです。

 相楽くんが帰ると言い出しました。

  「なーんで帰るんだよ!」

ここから私の記憶はしばらくありません。

 私の記憶の一部です。深夜、外を相楽くんと安ヵ川くんとで歩いてます。この日の昼は雨が降ってたため傘を持っています。なぜか私は怒っています。相楽くんが帰るというのが気に入らなかったんでしょうか。

  「もう!相楽くんなんかもういい!」

傘を彼に目掛けて投げ付けました。もし突き刺さってたら……後から考えると恐ろしい事です。ここからまた私の記憶はしばらくありません。

 気が付きました。朝のようです。恐ろしく二日酔いです。いるのは私1人だけ。

  「気持ち悪りぃ。。。」
  「それにどこだ、ここは?」

見慣れない風景。初めての場所です。何かちょっと商店街っぽいような気もする。

  「いったいここで何をやってるんだ?」
  「確かみんなで飲んでたような
   気がするんだけど。」

周りは誰もいません。近くが商店街っぽく見えるような所に私1人だけいます。気持ち悪い中、起きます。いったいここはどこなのか?

 寝ていた上には看板のようなものがあります。気持ち悪い中、少しだけ歩きます。線路が見えます。もう少し歩くと……駅が見えました。「明大前」と書いてあります。

  「はぁ~?なんで駅にいるの?」

よく駅のホームに「○○病院」とかの看板が立っていますよね。ホームの外側にある看板の下で寝ていたようです。

  「あぁ、何て事だ……」

困り果てました。起きるだけでも気持ち悪いというのに、電車なんて乗れるわけがない。しかも誰もいない。どうしたらいいのか?……とりあえず安ヵ川くんに電話してみる事にしました。しかし早朝です。そんな時間に電話しても爆睡していれば出るわけがありません。さて、公衆電話はどこに……駅だからあるはず……気持ち悪い中、歩きます……ありました。電話します。案の定出ません。しかし私はもう彼に助けてもらうしかありません。何回も電話しました……やっと出ました。

  「駅にいるんだけど……」
  「気持ち悪い。」
  「看板の下にいるから来てほしい。」

学バン界では掟破りの早朝呼び出しです。後輩というのは大変です。私はこの日初めて明大前に行ったので、改札や店など目印は全然わかりません。しかしいくら何でも駅の公衆電話の下でうずくまっているのはマズい。でも看板しかわかりません。

  「頼む。」

 やっと助けが来てくれます。何とか看板の下まで戻ってダウン。が、いつまで経っても来ません。何をやっているのか?めんどくさくて寝たのではないか?……また公衆電話まで行って電話をします。すると、何と出たではないですか。

  「何やってんの?」

  「いや、行ったんですけど
   見つかんなかったんです。」

そりゃそうです。待ち合わせをしているんじゃない。看板の下でヘタリこんでいるのです。それにどの看板だかわかりません。簡単に見つかるわけがない。私は私で明大前は初めてなので説明が出来ない。

  「ああ、頼む。看板の下だから。」

また看板の下まで戻ってダウン。待ちます……

 来ました!ああ、やっと来ました。

  「そんなとこにいたんですか。」

「そんなとこ」どころではない。何で私はここにいるのか?……いや、それよりも気持ち悪い。とにかく安ヵ川くんちに連れて行ってほしい。

 看板の下から出ました。強烈な二日酔いです。駅の商店街を連れて行ってもらいます。ネクタイをした人たちが歩いている。会社員だ。制服を着た女の子たちが歩いている。女子高生だ。何と、もうそんな時間なのか。いったい何時間看板の下で寝ていたのか?……気持ち悪い……うぅ、気持ち悪い……

  「ちょっと失敬……」

1人で商店街の端へ……

……あぁ~、女子高生たちがいる中、噴射……

安ヵ川くん、

  「大丈夫ですか?」

大丈夫じゃない。

  「大丈夫。」

何とか彼の家まで行きました。即ダウン。爆睡。

 夕方、やっと酒が抜けました。でもまだ少し気持ち悪い。何か腹に入れれば大丈夫か?冷蔵庫に見た事のない缶詰のかぼちゃのスープがありました。これを開けて作ってもらい飲みました。やっと復活。家に帰りました。

 いやはや、大変な合格祝いでした(^^)


1988年10月10日(月)
<竹橋 如水会館>
「法政ニューオレ」

 法政ニューオレの仕事です。場所は竹橋にある如水会館でした。


1988年10月19日(水)
☆理科大ジャズ研OB 林さんのセッションに初参加
<大井町 JAM BOX>
林(g) 牛山(g) $子(as) じみた(p) 村山(b) 大橋(b) 能登谷(ds)

 理科大ジャズ研OB、ギターの林さんのスタジオセッションに初めて誘われました。1つ下の後輩の$子も誘われました。

 このバンドのOBの方々は、過去、ジャズ研のレギュラーバンド「スパイラル・ステップス」をやったそうそうたるメンバーです。合宿や理大祭でその演奏は観ていました。こんなセッションに誘われるとは。緊張しまくりのセッションでした。記念に後で録音をもらいました。今でも音源は持っています。メンバーは上記のOBが主体でしたが、固定ではなく、他のOBや外部の方もよく参加しました。

 セッションは、ライブを行なうのが目的ではなく、社会人が仕事の後に演奏を楽しんで、その後に酒を飲む、というよくあるものでした。月に2回ぐらいやっていたと思います。

 この後、何年間か林セッションに参加しました。

 このセッションは、その後の私のジャズ演奏に大変影響を与えました。とても重要なセッションでした。


1988年10月29日(土)~11月23日(水)
☆忙しかった1ヶ月

 忙しい1ヶ月でした。この1ヶ月は前年より忙しかったです。忙しかった思い出を残しておきます。

10/26(木) 練習 新宿 Doing 神楽坂猿回し保存会 19~21時
10/27(金)  
10/28(土)  
10/29(日) 練習 大塚オレンジスタジオ 神楽坂猿回し保存会 11~12時
ライブ観賞 新宿ピットイン 日野元彦セッション
10/30(月) 理科大ジャズ研 コンサート
10/31(火) 練習 早稲田ハイソ 早稲田祭バンド 12時30分~ 
11/01(水) 練習 大塚オレンジスタジオ 明治駿台祭バンド 17~20時
11/02(木) 理科大OB林セッション 大井町JAMBOX 19~22時 
11/03(金) 練習 明治BS 明大駿台祭バンド 12時~ 
11/04(土) 練習 ニューオレ 13時~
11/05(日) 早稲田祭出演 12時集合
11/06(月) 明大駿台祭出演
11/07(火) 仕事 ニューオレコンボ 有楽町
11/08(水)  
11/09(木) 練習 大塚オレンジスタジオ 神楽坂猿回し保存会 18~20時 
11/10(金)  
11/11(土) 仕事 ニューオレコンボ 有楽町
11/12(日) ライブ鑑賞 新宿ピットイン 古野光昭セッション
11/13(月) 練習 六本木マッドスタジオ ニューオレ 10時~
11/14(火) 練習 池袋モリタ楽器 まなぶセッション 20~23時
11/15(水) 練習 明治BS 明大生田祭 16時30半~
練習 大井町JAMBOX 神楽坂猿回し保存会 19~20時
11/16(木) 仕事 ニューオレ 御茶ノ水 結婚式 17時30分~21時
11/17(金) 練習 大塚オレンジスタジオ 理大祭Gスターズ 18~20時 
11/18(土) 仕事 ニューオレコンボ 有楽町
11/19(日) 明大生田祭出演 15時~
11/20(月) 理大祭「あけみ」
11/21(火) 理大祭「あけみ」(相楽バンド出演)
11/22(水) 理大祭「あけみ」(Gスターズ出演)
11/23(木) 理大祭「あけみ」

まったくもう……お勉強する暇は全くありません。なぜ卒業出来たのでしょうか?意味がわからん(^^)


1988年10月29日(土)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「日野元彦 セッション」
峰厚介(ts) 井上淑彦(ts) 板橋文夫(p) 秋山一将(g) 桜井郁雄(b) 日野元彦(ds)

 板さんが入っているセッションバンドという事で、新宿のピットインへ観に行きました。


1988年10月30日(日)
☆理科大ジャズ研のコンサート
「神楽坂猿回し保存会(涙の柿ピー'88)」
$子(as) じみた(p) φ(フェイ)(b) 山野(ds)

 理科大ジャズ研のコンサート、私は最後のコンサートです。会場は前年に続き、六本木ピットインでした。

 しかし何というバンド名でしょう。$子というのは……なぜ泣きながらでも酒を飲み、泣きながらでも柿ピーを頬張る事が出来るのでしょうか?泣くか食うかどっちかにせんかい!(^^)

 いや、それどころか、泣いて酒を飲んで柿ピーを食べながら先輩を説教しますからねぇ(^^)。もう特許を取ったほうがいいです(^^)


1988年11月5日(土)
☆早稲田大の学祭に出演
「平川バンド」
おやじ(ts) じみた(p) 武山(b) 平川(ds)

 早稲田祭のハイソに出演しました。メンバーは、

 おやじ(ts)  法政ニューオレ5年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 武山(b)  早稲田ハイソ4年
 平川(ds)  早稲田ダンモ2年

でした。


1988年11月6日(日)
☆明治大の駿台祭に出演
「ナバロ グループ」
ナバロ(tp) じみた(p) 安ヵ川(b)

 明治大の駿台祭でジャズ研に出演しました。


1988年11月7日(月)、11日(金)、18日(金)
<有楽町 The New York>
「法政ニューオレ コンボ」
小澤(ts) じみた(ep) 池上(b) 中西(ds)

 法政ニューオレでのコンボの仕事です。場所は有楽町の新国際ビル1Fの丸の内コマツ内にある「The New York」という店でした。BGM演奏です。この仕事、4回もあったのが嬉しいです。


1988年11月12日(土)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「古野光昭 セッション」
向井滋春(tb) 野力奏一(p) 古野光昭(b) 東原力哉(ds)

 新宿ピットインに古野光昭セッションを観に行きました。板さんがいないバンドの久しぶりのライブ鑑賞です。


1988年11月16日(水)
<御茶ノ水 場所?>
「結婚披露宴」
「法政ニューオレ」

 法政ニューオレで結婚披露宴の仕事をやりました。場所は御茶ノ水でした。結婚披露宴でビッグバンドとはとても華やかですね。


1988年11月19日(土)
☆明治大の生田祭に出演
「明大生田祭バンド」
ビッグバンド?

 明治大の生田祭で、明治BSに出演しました。特別ビッグバンドを組んで出演したような記憶があります。


1988年11月20日(日)~23日(水)
☆理科大ジャズ研の学祭「あけみ」
「神楽坂猿回し保存会(涙の柿ピー'88)」
$子(as) じみた(p) φ(フェイ)(b) 山野(ds)
「相楽バンド」
相楽(tb) じみた(p) 武山(b) 西田(ds)
「Gスターズ」
Eve(tp) おやじ(ts) じみた(p) φ(フェイ)(b) 中原(ds)
※初共演:谷口英治(cl) 佐藤"ハチ"恭彦(b)

 理科大ジャズ研の学祭、理大祭です。5回目、学生時代最後の理科大ジャズ研のイベントです。

 この理大祭期間中、2回ほど理科大のバンドとは別のバンドで出演しました。



<相楽バンド>

 2日目。明治BSの相楽くんがリーダーのバンドがありました。メンバーは、

 「相楽バンド」
 相楽(tb)  明治BS4年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 武山(b)  早稲田ハイソ4年
 西田(ds)  明治BS4年

トロンボーンらしい選曲だったと思います。



<Gスターズ>

 3日目。これは誰がリーダーというのはありませんでした。メンバーは、

 「Gスターズ」
 Eve(tp)  理科大ジャズ研5年
 おやじ(ts)  法政ニューオレ5年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 φ(フェイ)(b)  理科大ジャズ研5年
 中原(ds)  早稲田ダンモ5年

Gスターズは「ゲイ・スターズ」です。そのようなバンドがありましたね。「8時だよ、全員集合」のバックをやっていました。この日、理大祭に行くと入口プログラムに書いてありました。

  「Gスターズ」
  (@_@)

何だ?……なるほど、そうか、みんなG年、5年生なんですね。

 ドラムの中原くんは早稲田のハイソもやっていて、それで知り合いました。本当は早稲田のダンモ研というのは後から知りました。



<ジャズ研卒業>

 そして、私の理科大ジャズ研での活動は、この理大祭で終了です。この最終日でジャズ研を卒業です。いや~、色々ありましたねぇ。

 この年、私と同じくジャズ研を卒業する人が沢山いました。私は1年生で留年したので、1つ下の人たちと一緒に卒業します。でも他にも沢山いました。理由は、大学院に行ったり((留年したり) (留年したり))したからです。カッコは読み飛ばしましょう(^^)。卒業したのは、

浅田(b) Yago(p) 健太郎(g) φ(フェイ)(b) まなぶ(ds) $子(as) Payapa(vo) Roa子(ds) 平川(b)

私を含めて10人。多いです。これでは次年度のバンドは少なくなってしまいますね。

 みなさん御苦労様でした。



<クラリネットの谷口英治くんが遊びに来る>

 ※これはこの年ではなく翌年かもしれません。

 理科大の学祭にクラリネットの谷口くんが遊びに来ました。

 連れてきたのは私の同期のピアノ Yago です。Yago は早稲田のスイング研によく遊びに行っていましたからね。いやぁ、谷口くんはこの頃からとても学生とは思えない素晴らしい演奏をしていました。私はセッションで共演しましたが、エレピでビブラフォンの音を出して演奏しました。

 あとベースの「ハチ」こと佐藤恭彦くんもこの年に理大祭に来て、初めて会ったと思います。



<5テナーズ>

 理大祭「あけみ」は21時まで営業していますが、18時を過ぎるとジャムセッションになります。だいたいジャズ研OBの人たちが演奏するのですが、他の人たちが来ればもちろん参加できます。

 この時どういう状況だったのかわかりませんが、テナー5人で演奏する事になったようです。次の5人でした。

 井口  理科大ジャズ研OB
 秋山  理科大ジャズ研OB
 苅田  理科大ジャズ研OB
 きぬさん  早稲田スイング&ジャズ
 田中邦和  東大ジャズ研

きぬさん……本名は知りません。早稲田スイング研でそう呼ばれていました。野球の衣笠選手に似ているからとの事でした。

 演奏曲はもちろんソニー・ロリンズの「テナー・マッドネス」、これしかないでしょう。大歓声の中の演奏でした。


1988年12月4日(日)
☆関内エアジンのセッション、だっけ?

 この日初めて横浜関内にあるライブハウス「エアジン」に行ったはずです。何のセッションだったかは覚えていません。確かジャズ研の同期のEveがいたような気がするのですが……よく覚えていません。


1988年12月9日(金)
☆法政ニューオレのリサイタル

 法政ニューオレのリサイタルです。2回目であり、最後です。場所は有楽町の読売ホールでした。卒業者紹介で4年生に混じって私も紹介されました。これで、私のニューオレのトラは、いくつかの仕事を残して、実質終了です。


1988年12月10日(土)
☆理科大ジャズ研のバンド会議
※バンドが少なくなる

 理科大ジャズ研のバンド会議です。私は次年度バンドはありません。見ているだけです。やはり大人数卒業してしまうとバンドは少なくなってしまいます。この次の年あたりからジャズ研の人数の少ない時代が来ます。


1988年12月11日(日)
<森林公園 場所?>
「法政ニューオレ コンボ」
ナバロ(tp) じみた(ep) φ(フェイ)(b) 中原(ds)
※去年に続き、また白いグランドピアノ

 前年もあった仕事です。法政ニューオレのコンボの仕事でクリスマスパーティの演奏です。場所は森林公園でした。メンバーは、

 ナバロ(tp)  明治ジャズ研2年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 φ(フェイ)(b)  理科大ジャズ研5年
 中原(ds)  早稲田ダンモ5年

……なぜニューオレが1人もいないんでしょう?……わがままなやつです、じみたってやつは(^^)

 で、確かここのピアノは白いグランドピアノだったはず……

 そして当日、演奏会場に行くと……ありました、白いグランドピアノが。うーん、またか。またこれを弾くのか……

 2回目ですからわかっています。思いっ切り弾きましょう。

  「じみたと白いグランドピアノ」

やっぱりおしゃれ~!!

 いや、謎だぞ(^^)


1988年12月18日(日)
☆早稲田ダンモのコンサートを観に行く

 この年、理大祭で一緒に演奏したドラムの中原くんは、彼が早稲田のハイソにいたので私は知り合いましたが、本当は早稲田のダンモ研だった事を後で知りました。しかもレギュラーバンドをやっていました。という事で早稲田ダンモのコンサートを観に行きました。レギュラーバンドのピアノは押田茂子さんでした。


1988年12月19日(月)
<乃木坂 健保会館>
「法政ニューオレ コンボ」
小澤(ts) じみた(ep) φ(フェイ)(b) 長瀬(ds)
※前年に続き2回目

 前度もあった仕事です。法政ニューオレのコンボの仕事でクリスマスパーティの演奏です。場所は乃木坂の健保会館ハートイン乃木坂でした。メンバーは、

 小澤(ts)  法政ニューオレ2年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 φ(フェイ)(b)  理科大ジャズ研5年
 長瀬(ds)  明治BS1年

……かろうじて1人ニューオレがいます。やっぱりわがままなやつです、じみたってやつは(^^;)

 明治BSの1年生にとても良いドラムがいたので誘いました。


1988年12月22日(木)
☆明治BSの打ち上げ
※じみたは関係ないやんか

 うわさを聞きつけりゃ何でも行ってしまうやつです。関係ないのに行ってしまいました。まぁでもいいではないですか。明治BSにはこの年よく遊びに行ってましたから。


1988年12月23日(金)
☆ライブ鑑賞
<新宿 ピットイン>
「板橋文夫 セッション」
梅津和時(as) 板橋文夫(p) 井野信義(b) 角田健(ds)

 新宿ピットインに板さんのセッションを観に行きました。法政ニューオレの1年生の女の子と……はぁ、クリスマスではないですか。っていうか、この子も暇だったんですね。こういうの、一応形式的には「デート」っつーんでしょ?……違う、いや、そんな事はいいです。

 クリスマスだし、超満員でした。「ゴスペル・クリスマス」という曲……珍しく板さんが曲紹介をした……がとても良かったです。三拍子のゴスペル。やっぱり板さんらしい曲です。後から「Gospel '89」という曲名になりCDにも収録されました。


1988年12月24日(土)
☆セッション参加
<御茶ノ水 NARU>
Eve(tp) 山口真文(ts) じみた(p) 水上信幸(b) ?(ds)

 御茶ノ水NARUのクリスマスセッションに理科大のジャズの人たちと行きました。メンバーは、

 山口真文(ts) 米田正義(p) 水上信幸(b) 関根英雄(ds)

 だったと思います。この人たちに混じって演奏しました。

 山口真文さん、もちろん初めてで、緊張しましたねぇ。水上さんも初めてでした。堅実な演奏でした。

 ドラムは関根さんだと思っていましたが、後から「違う人」と聞きました。結局誰かはわかりませんでした。


1988年12月30日(金)
☆理科大ジャズ研の忘年会セッション

 理科大ジャズ研の人たちで忘年会がてらのセッションを行ないました。場所はこの頃によく使っていた大井町のスタジオ「JAM BOX」です。このスタジオは珍しくジャズ専用です。普通のスタジオより少しだけ値段が高いですが、結構広く、グランドピアノやウッドベースも完備、音響もとても良いです。基本的にジャズ以外は使わせないという話でした。ここで忘年会セッションを企画したところ経営者もOK。という事で長時間借りて、軽く酒やつまみも持ち込み、忘年会セッションを行ないました。


1989年1月2日(月)
☆泊まりでお座敷セッション
<理科大ジャズ研先輩 林さんの家>
林(g) 牛山(g) じみた(p) 大橋(b) 能登谷(ds)

 理科大ジャズ研OBの林さんの家で正月にセッションをやるというので行きました。夕方から行って泊まりでした。


1989年1月29日(日)
☆ライブ鑑賞
<六本木 Body&Soul>
「向井滋春 セッション」
向井滋春(tb) 滝本博之(p) 小井政都志(b) 村上寛(ds)

 六本木「Body&Soul」に向井滋春セッションを観に行きました。


1989年2月5日(日)
☆理科大ジャズ研の追い出しコンパ

 理科大ジャズ研の追い出しコンパ、追いコンです。場所は水道橋の居酒屋「駒安」でした。これまでは追い出す側でしたが、今度は追い出される側です。といっても普通の飲み会です。


1989年2月12日(日)
☆平川バンド開始
ナバロ(tp) 相楽(tb) じみた(p) 浅田(b) 平川(ds)
※平川バンド開始

 早稲田ダンモ研の平川くんがリーダーのバンドに参加しました。メンバーは、

 ナバロ(tp)  明治ジャズ研2年
 相楽(tb)  明治BS4年
 じみた(p)  理科大ジャズ研5年
 浅田(b)  理科大ジャズ研7年
 平川(ds)  早稲田ダンモ2年

このメンバーとは少し変わりましたが、後日、このバンドで新大久保のライブハウス「Someday」に出演しました。


1989年3月11日(土)
☆明治BSのリサイタルを観に行く

 明治BSのリサイタルを観に行きました。私がBSへよく遊びに行ったのもありますし、理科大ジャズ研で1つ下の$子がBSのメンバーになったのもあります。

 BSはこの時は豪快でした。特に覚えているのは私の1つ下の代になるドラムの西田くん。いや~、凄かったです。私はコンボでもよく彼と一緒にやりましたが、ビッグバンドは特に良かったです。カウント・ベイシーの「The Heat's On」。豪快で、とても気持ちいいです。また彼の顔がいいのです。

  「やってやるぜ、テメー!」

という顔をするのです。これで演奏をああやられれば、もう何も言う事はありません。やはりビッグバンドはこうでなければ、とつくづく思いました。


1989年3月
☆理科大卒業の思い出
「何で卒業出来たの?」

 ついに大学を卒業です。

  東京理科大学 軽音楽部 ジャズ学科

これにしたいのですが……

  東京理科大学 理学部 応用物理学科

の卒業です。最初に言っておきますが、私は卒業しています(^^)。ちゃんと卒業証書を持っています(^^)

 理系の大学ですから卒業研究があります。もちろん必須科目です。3年生の終わる頃に入る研究室を決め、4年生になってから始めます。そして3月に研究発表を行ない卒業です。卒業研究は1人1人テーマが違います。1人で行なうものもあれば数人で行なうものもあります。

 私の卒業研究のテーマは、

  誘電物質の固有誘電率の研究
  (だったと思う)

というもので、これを2人で行なう事になりました。知らない人からすれば凄い事をやってそうにみえるでしょうが……内容は実験で、ある物質を鉄製の筒の中に入れ、液体窒素で冷やして、その誘電率を測定するというものでした。これでも凄い事をやってそうにみえる人は……

  「冷やしたカップにブツをぶち込んで、
   たまに温度を見て
   横のメーターの数字を書く。」

はい、誰でも出来ます。私が研究室でやっていた事は誰でも出来ます。1日数時間、これを約1年間やるのです。今日も明日も明後日も、冷やして、たまに数字を書くだけです。まあ毎日ではありませんでしたが、それでも週に何回かやらなければなりません。真面目な人はいいのでしょうが……あまりにつまらない。私はそのつまらなさに耐えられなかった……

 春頃は普通に研究室に行っていました。しかしだんだん行く回数が減って行きました。秋頃はほとんど行かなくなりました。そしてついに、

  「やーめた。」

行かなくなってしまいました。私と一緒にやっていた人はどう思っていたのでしょうね。

 3月のある日です。私の親から電話が掛かってきました。何でも次の日に大学の事務室に来てくれと。この日、私は練習か何かで昼間は家にいませんでした。

 次の日、大学の事務室へ行って自分の名前を言うと、

  「あんた卒業する気あんの!」

何だ何だ?聞くと……私がこの年に受けた試験の中で落ちた科目が1つあって、この日の前日に手続きをしなければならなかった。でもその手続きをしなかったため、事務のほうでエラい事になっていた。前日に私に電話したけどいないので親に電話した。本当は卒業出来ないんだけど、1日遅れの手続きでも何とかなる、との事。

 はぁ~、そうだったの。1つ試験が落ちていたようです。翌日、理学部の講師の人にブツブツ言われながら手続きをしてこの件は終了。私は必須科目を1つだけ落としても卒業出来るというのは知っていましたが、手続きをしなければならない事を見逃していたようです。そんなの知らなかった。

 そして研究発表の日です。もう何ヶ月も研究室には顔を出していません。だから発表する事がありません。それにこの手続き関係で疲れました。

  ブッチ

まぁ何とかなるんじゃねーの?教授からすれば「こんなやつを落としたってどうせ次の年も同じになるのはみえてる。いるだけ迷惑。C(最低合格評価)付けて追い出しちゃえ。」とかなるんじゃねーか?落ちた時は落ちた時。

 成績評価表をもらう日です。果たして卒業研究はどうなっているか?

  C

卒業決定です。誰が何と言おうが卒業決定です。私が「嫌ぢゃ!」と訴えても勝手に卒業されてしまいます。

 という事で、私は理科大を無事に(?)卒業してしまいました(^^)

 卒業証書……いいのです、もらったんですから(^^)


1989年3月5日(日) 1989年4月1日(土) 1989年4月2日(日)
☆昭島市の社会人ビッグバンド「abc」のトラ
「理科大ジャズ研OB テナーの秋山さんに誘われる」
※学生最後だからちゃんとしないと……
※うーん、これからも大変なのかなあ

 私の大学生最後の演奏です。

 理科大ジャズ研OBでテナーの秋山克郎さんに誘われて、この期間、昭島市の社会人ビッグバンド「a.b.c. Lab Band」にトラで参加しました。秋山さんは代でいうと私の十以上上で、このバンドのレギュラーメンバーでした。

3月5日(日)
<昭島市?場所?>
「仕事演奏」

 まず、3月5日に1つ仕事をしました。内容は覚えていません。



4月1日(土)
<福生 横田基地内>
「パーティ演奏」

 そして、4月1日、2日と連続で演奏がありました。1日目は横田基地内でのパーティの演奏、2日目は市民会館でのコンサートです。

 この前日、3月31日はセガの入社式がありました。終わってジャズ研御用達の居酒屋「駒安」へ飲みに行きました。で、この日は時間が遅くなったので後輩のアパートに泊まりました。

 1日目です。前日飲み過ぎたのか、少し二日酔いです。一旦家に帰り、用意をして、秋山さんとの待ち合わせ場所へ行きます。そして横田基地へ向かいます。米軍基地は初めてです。アメリカにも行った事はありません。

 まず夕食が出ました。アメリカといえばステーキ。しかしさすが本物のアメリカン、厚さ3cmぐらいの巨大なステーキが出て来ました。これにはメンバー一同驚嘆です。そんなに食ってちゃんと演奏出来るのか?

 基地内にはカジノ場もあります。日本とはだいぶ雰囲気が違います……ってここは日本ですけどね。ああアメリカってこういう所なのかなあ、と思いました。

 演奏は問題なく終了しました。

 次の日も昭島で仕事で、しかも入り時間が午前中だったので、この日は秋山さんの家に泊めてもらう事にしていました。

 演奏が終わって秋山さんの家へ行きます。早速、

  飲酒開始

まぁ、うわさは色々聞いていましたが……私は朝が二日酔いだったのでそんなに飲みたくはないのです……秋山さん、飲むわ飲むわ(^^)。私は十数年後輩ですから、飲まないわけにはいきません。

  「あと1時間ね。」

飲みます。

  「もうあと1時間ね。」

翌日のコンサートの入り時間は午前中です。

  「あと1時間だけ。」

飲みます。

  「もうあと1時間だけ。」

……結局朝まで飲んでしまいました。これでは3時間ぐらいしか寝られません。



4月2日(日)
<昭島市民会館>
「コンサート」

 2日目、翌日(当日?)です。あぁ~、やっぱり二日酔いです。秋山さんはというと、すでに起きて準備をしていて、全く二日酔いには見えない。いったいどうなっているのか?

 私だけ二日酔いのままコンサート会場へ。リハが終わる頃、やっと酒が抜けます。ああ、これでコンサートはなんとかなる。

 コンサートは問題なく無事終了しました。

 さあ!コンサート終了後はもちろん、

  「打ち上げ」

……もう酒は飲みたくない。でもトラとはいえ私はバンド内で最年少者です。飲まないなんて言えません。結局……飲んでしまいました。秋山さん曰く、

  「酒ってのは、飲もうと思えば
   飲めるもんなんだよ。」

……巨匠です。

 打ち上げが終わりました。昭島からうちまでは遠いです。深夜やっと着きました。翌日からセガの研修が始まるというのに……

 次の日、セガには何とか時間通りに行けました。しかしこの一週間、どれだけ眠かった事か……

 私のセガ時代が始まりました。




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