じみたの歴史
− 大学5年目 −


私の大学5年目の出来事です。
日付 出来事 初めての人
1988/04/04(月)   法政ニューオレ多摩校舎新歓コンサート  
1988/05/15(日) 理科大ジャズ研先輩「望月泰孝」結婚式二次会
 <初めてのピアノソロ・・・成功>
 <じみた、泣かせ。>
 
1988/05/28(土)   明大法大ジョイントコンサート & 理科大ジャズ研の新歓コンパ  
1988/06? 法政ニューオレの服部、理科大でじみたを激写、映ってるのは・・・  
1988/06/16(木)   明治BSに遊びに行く  
1988/06/26(日)   理科大ジャズ研のOB会 御茶ノ水「NARU」  
1988/06/30(木) ラッパのナバロとの出会い・・・大塚「オレンジスタジオ」 豊田<ナバロ>晃(tp)
1988/07/03(日)   学バンライブ バカボン塾・・・明治BSコンボ  
1988/07/08(金)   ライブ鑑賞 武田和命セッション 新宿「ピットイン」
        (with 板橋文夫)
 
1988/07/16(土) セッション 高田馬場「イントロ」
 <ふざけたテナー>
 
1988/07/17(日) 史上最低のダンパ  
1988/07/22(金)   ライブ鑑賞 植松孝夫セッション 六本木「Body & Soul
        (with 板橋文夫)
 
1988/07?   ライブ鑑賞 板橋文夫スペシャルトリオ 新宿「ピットイン」
        (with ジョージ大塚)
 
1988/08/04(木)
〜1988/08/09(火)
  法政ニューオレ夏合宿
 <今年もやっぱり来たか>
 
1988/08/15(月)
〜1988/08/22(月)
1988/08/21(日)
  理科大ジャズ研の夏合宿
山野ビッグバンドコンテスト
 <今年も重なる>
 
1988/09/03(土)   六大学ビッグバンドコンサート 平川雄一(ds)
1988/09 セガ合格の思い出
 <ここはどこ?>
 
1988/10/10(月)   竹橋如水会館での仕事・・・法政ニューオレ  
1988/10/19(水)   初めての理科大ジャズ研OB「林至」セッション 大井町「JAM BOX」  
1988/10/29(土)
〜1988/11/23(水)
  忙しい1ヶ月  
1988/10/29(土)   ライブ鑑賞 日野元彦セッション 新宿「ピットイン」
        (with 板橋文夫)
 
1988/10/30(日)   理科大ジャズ研のコンサート  
1988/11/05(土)   早稲田祭出演・・・平川雄一グループ  
1988/11/06(日)   明大駿台祭出演・・・ナバログループ  
1988/11/07(月)
1988/11/11(金)
1988/11/18(金)
  有楽町のお店「The New York」での仕事・・・法政ニューオレコンボ  
1988/11/12(土)   ライブ鑑賞 古野光昭セッション 新宿「ピットイン」  
1988/11/16(水)   法政ニューオレで結婚披露宴の仕事  
1988/11/19(土)   明大生田祭出演・・・ビッグバンド  
1988/11/20(日)
〜1988/11/23(水)
理大祭「あけみ」
 <相楽バンド>
 <Gスターズ>
 <クラリネットの谷口英二くんが遊びに来る>
 <5テナーズ>
谷口英治(cl)
佐藤<ハチ>恭彦(b)
1988/12/04(日)   関内エアジンのセッションだっけ?  
1988/12/09(金)   法政ニューオレのリサイタル  
1988/12/10(土)   理科大ジャズ研のバンド会議・・・バンドが少なくなる  
1988/12/11(日) 森林公園でのクリスマスパーティ・・・法政ニューオレコンボ
 <去年に続き2回目、また白いグランドピアノ>
 
1988/12/18(日)   早稲田ダンモコンサートを見に行く  
1988/12/19(月)   乃木坂健保会館でのクリスマスパーティ・・・法政ニューオレコンボ
 <去年に続き2回目>
 
1988/12/22(木)   明治BS打ち上げ・・・じみたは関係ないぢゃんか  
1988/12/23(金)   ライブ鑑賞 板橋文夫クリスマスセッション 新宿ピットイン
 <一応デートか・・・>
 
1988/12/24(土)   セッション 御茶ノ水「NARU」クリスマスセッション・・・プロと競演  
1988/12/30(金)   理科大ジャズ研の忘年会セッション  
1989/01/02(月)   泊まりでお座敷セッション 理科大ジャズ研OB「林至」宅  
1989/01/29(日)   ライブ鑑賞 向井滋春セッション 六本木「Body & Soul」  
1989/02/05(日)   理科大ジャズ研追い出しコンパ  
1989/02/12(日) 平川雄一バンド開始  
1989/03/11(土)   明治BSリサイタルを見に行く  
1989/03 理科大卒業の思い出
 <なんで卒業できたん?>
 
1989/03/05(日)
1989/04/01(土)
1989/04/02(日)
昭島市の社会人ビッグバンド「abc」のトラ
 <学生最後だからちゃんと・・・
   んーん、これからもたいへんなのかなあ>
 

法政ニューオレ多摩校舎新歓コンサート
1988/04/04(月) / 22歳 / 大学5年目
 法政ニューオレで多摩校舎の新歓コンサートを行いました。私は多摩校舎に行くのは初めてでした。場所は京王線のめじろ台です。うちからは遠かったです。

★理科大ジャズ研先輩「望月泰孝」結婚式二次会
 <初めてのソロピアノ・・・成功>
 <じみた、泣かせ。>
1988/05/15(日) / 22歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研で3つ上の先輩、望月さんの結婚式の二次会で演奏しました。場所は六本木にあるお店「Good」です。

 <初めてのソロピアノ・・・成功>

 この仕事は私1人だけでした。私は初めてのソロピアノです。これまではバンド演奏しかしたことありません。ソロピアノはたいへんです。
 このパーティの最後に新郎の挨拶があったんですが、そこでも何か演奏することになってました。まあ私としては何かそれなりの雰囲気が出ればいいかなと思って、知ってる曲ではなく、その場で適当に弾いちゃいました。
 新郎の挨拶が始まります。演奏開始・・・私からすると、まあそれなりの雰囲気、というかそれ以上の演奏はできん。
 しばらくすると新婦に、
  「目に涙」
おっ、これはいけてます・・・泣き始めました。をを、こんな演奏でも泣くんだ。曲ではありません。適当に弾いてるだけです。この調子だ・・・
  「涙ボロボロ」
泣いてます・・・
 挨拶終了です。OKです、OK。思った以上にとてもいい感じでした。パーティの最後の新郎の挨拶でこれは感動もんです。成功です。
 まあ結婚披露宴や二次会ではこういうこともありますね。
 パーティが終わってからジャズ研の人たちに言われます。
    「じみた、やるじゃん。」
私も予想外です。すばらしい二次会でした、

 <じみた、泣かせ。>

 さあ、一回やってしまったらたいへんです。次、失敗すると即、
    「だめちんハンコ」
を押されます。
 これ以降、理科大ジャズ研 結婚部 演奏科では、以下は必須科目となりました。
    「じみた、泣かせ。」

明大法大ジョイントコンサート & 理科大ジャズ研の新歓コンパ
1988/05/28(土) / 22歳 / 大学5年目
 どうしても重なるんです。ジョイントの打ち上げには出れません。お茶の水にある明治大学でのコンサートが終わってから1人でジャズ研の新歓コンパに向かいます。

★法政ニューオレの服部、理科大でじみたを激写、映ってるのは・・・
1988/06? / 22歳 / 大学5年目
 法政ニューオレで私の3つ下の後輩に、ピアノの服部というのがいます。私は彼を理科大のジャズ研に連れてきました。理科大のジャズ研にも興味を持ったようです。少しの間ですが理科大のジャズ研もやることになります。
 彼は高校時代ラグビー部・・・なんでこんなのがいきなりジャズ屋にくるんでしょう。したがってちょっと体育会系入ってます・・・まあいいんですけど。彼はよい言い方をすればとても真面目です。物事にとても熱心です。ピアノに対してはとてもとても熱心です。
 彼がある日ハンディビデオを購入しました。これでなんでも録画できます。彼はピアノに対してとてもとても熱心です。ニューオレではピアノの先輩は私だけです。こういう状況だとどうなるか? 録画の対象は、
    「わたくし」
となります。何を録画するか、
    「わたくしの演奏」
です。そう、とても熱心です。でも彼はとてもとても熱心です。・・・私の弾く姿なんかどうでもよい。ズームアップ。
    「手」
そう、手さえ映ればいいんです。
 ある日、服部が理科大ジャズ研の練習時間にハンディビデオを持って来て、
    「すいません、ジミーさん。」
    「手を映させてください。」
手? なんだそれ? それにあまりこういうのに映されるのは好きじゃないんだけどなあ・・・まあいいか。そして私の横には激写する彼の姿がありました。
 1曲終わって、みんなで映像を見てみます。
    「手」
やっぱり手しか映っておりません。

明治BSに遊びに行く
1988/06/16(木) / 22歳 / 大学5年目
 明治BS安ヶ川くんに誘われて、初めて明治BSの練習を見に行きました。場所はお茶の水校舎です。理科大から近いのに昨年度は一度も遊びに行きませんでした。・・・だから私と同期のベースの磯部くんとは学生時代に知り合いになれなかったんですね。明治BSで、磯部くん以外の私と同期の人は私は全然知らないのです。
 ということで私は、明治BSではたくさんいた私の1つ下の後輩たちと知り合うことになります。沖俊明(tp)、菊池真一(tp)、相楽賢哉(tb)、青田靖(tb)、金子直樹(as)、橋本和彦(ts)、西田知央(ds)、その後横浜国立大学からトラで来る小林万登香(p)がいます。ああ、理科大ジャズ研の1つ下の後輩の$子も参加することになりますね。このうち5人の結婚式は私が演奏することになります。テナーの橋本くんは私と同じ福岡県出身でした。彼は楽器だけでなく司会もうまいです。トロンボーンの相楽くんはのちに一緒にバンド活動することになります。

理科大ジャズ研のOB会 御茶ノ水「NARU」
1988/06/26(日) / 22歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研のOB会がお茶の水NARUでありました。初めて見るOBがたくさんいました。この時、ゲストでピアノの大徳俊幸さんが来てました。

 この前の年にもOB会があったんですが、私は行けませんでした。この時は、ドラムの・・・というか、ボーカルの・・・というか、メリー・ジェーンの・・・というか・・・
    「つのだ☆ひろ」
さんが来てたらしいです。かなり先輩の理科大ジャズ研のOBの人たちが現役当時、まだジャズドラムしかやってなかった、つのだ☆ひろさんとバンドをやってらしいんですね。

★ラッパのナバロとの出会い・・・大塚「オレンジスタジオ」
1988/06/30(木) / 22歳 / 大学5年目
 ある日、明治BSの安ヶ川くんから、「八王子でイベントがあってバンドで演奏できるので一緒にやりましょう。」と誘われました。
 このイベントのためにバンドを組むことになったんですが、その時安ヶ川くんに言われました。「明治のジャズ研に2年生でラッパのうまいのがいるんですよ。そいつと一緒にやりましょうよ。すっごいうまいですよ。
    『ナバロ』
っていうんですけどね。太ってるから
    『ファット』
なんだけどそれじゃ露骨だから
    『ナバロ』
って呼んでるんですよ。」
・・・まあラッパのファッツ・ナバロから来てることには間違いないんですけどね。ラッパから来てるんじゃないらしい。
 そのリハの日です。大塚のオレンジスタジオです。安ヶ川くんがその「ナバロ」を連れて来ました。
    「ん・・・まあ・・・確かに・・・」
ファッツです。しかもやけに背が低い・・・まあそんなことはいいです。一緒に演奏しました・・・うまいです。うますぎです。これは学生じゃありません。しかもまだ2年生?信じられません。
 リハが終わって、安ヶ川くんとナバロはうちに泊まりました。いろいろ話しました。
 ナバロ・・・本名は豊田晃です。でも本名で呼んだことはありません。ずっとナバロです。ナバロと知り合ったことで、その後の私の人生は変わったと言っても過言ではありません。彼と知り合ってなかったら私のジャズピアニストはなかったかもしれません。それほど重要な存在でした。
 安ヶ川くんがナバロを紹介してくれるんなら、ということで私は1つ下の後輩の$子を連れて行きました。これで$子も大学4年生の間、明治BSをやることになります。

学バンライブ バカボン塾・・・明治BSコンボ
1988/06/30(木) / 22歳 / 大学5年目
 この企画はよく覚えていません。イベントの名前はバカボン塾でした。いくつか学生バンドが出ていたと思います。

  この時イベントで演奏したバンドのメンバーです。

    ナバロ(tp) 明治ジャズ研2年
    $子(as) 理科大ジャズ研4年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    安ヶ川大樹(b) 明治BS3年
    西田知央(ds) 明治BS4年

 プロの演奏もありました。メンバーです。

 中川昌己(fl)、浜田均(vib)、袴塚淳(p)、他

 私はみんな初めて見る人たちばかりでした。名前も知りませんでした。安ヶ川くんや西田くんが「うわっ! 袴塚さんだ。 ハハハ・・・」と笑っているのでどうしたの?と聞いたら、袴塚さんは明治BSのOBだったんですね。
 中川さんはうまかったですね。すばらしかったです。浜田さんもよかったです。

ライブ鑑賞 武田和命セッション 新宿「ピットイン」(with 板橋文夫)
1988/07/08(金) / 22歳 / 大学5年目
 板さんが入っているセッションバンドということで新宿ピットインへ見に行きました。メンバーは、武田和命(ts)、板橋文夫(p)、川端民夫(b)、古沢良治郎(ds)、でした。武田和命さんの生きている姿を見たはこの時だけです。見に行っててよかったです。

★セッション 高田馬場「イントロ」
 <ふざけたテナー>
1988/07/16(土) / 22歳 / 大学5年目
 明治ジャズ研のナバロくんに誘われて、初めて高田馬場の「イントロ」のセッションに行きました。
 このころもうすでにイントロはセッションをやってて、参加者は学生ばかりでした。とにかく店の外まであふれる人数。中に入ると身動きがとれません。トイレに行くのも一苦労です。
 この時、一緒に演奏したテナーの人が最低だった。
 出番前からジョン・コルトレーンの Giant Steps をやりたいと言っていました。しかしステージに上がるとメンバーでできない人がいたんで曲を変更。その人はどうしても Giant Steps をやりたかったみたいなんですが、知らない人がいたんじゃ仕方ありません。代わりにスタンダードの Softly As In A Morning Sunrize を演奏することになりました。テーマが終わって、その人のソロになって出現したのは、なんと、
    「Giant Steps のコルトレーンのソロ」
曲は Softly です。その突然の出来事に客も大盛り上がりで拍手大喝采。相変わらずやってます。
    「Giant Steps のコルトレーンのソロ」
一緒に演奏していた私は・・・間違い探しです。1つ間違っています。
1.良いじみたが思います。
    「あっ! これは Giant Steps のコルトレーンのソロ!」
    「す、すごい!」
    「そんなに長くコピーしてるんだ!」
    「すばらしい! これはプロだ!」
2.普通のじみたが思います。
    「あんた、曲は Softly ですよ。」
    「バックも普通に Softly をやってるんですよ。」
    「音楽というものをわかっているんですか?」
    「あんたそれをコピーしたのを自慢しに来たんでしょう。」
3.悪いじみたが思います。
    「ナニィ?」
    「キサマ、何やっとんぢゃ!」
    「いいかげんにやめんか!」
    「オメーとはもう二度とやらん!」
間違いは・・・1です。なんかこっちもやる気がなくなりました。
 セッションでは間違ってもこういうことをしないようにしましょう。バカにされ、一緒に演奏するのをいやがられ、以後バンドに誘われなくなります。

★史上最低のダンパ
1988/07/17(日) / 22歳 / 大学5年目
 明治BSに来たダンパの仕事です。でもコンボの仕事だったため、明治BSの安ヶ川くんから誘われました。メンバーはこの直前に八王子であったイベントの時に集まったメンバーと同じです。
    ナバロ(tp) 明治ジャズ研2年
    $子(as) 理科大ジャズ研4年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    安ヶ川大樹(b) 明治BS3年
    西田知央(ds) 明治BS4年
 ダンパといっても当時はほとんどポップスとか演奏することが多かったんですが、この仕事は本物のダンスパーティで、演奏も1曲につき2〜3分の指定がありました。本番の演奏内容自体はそんなに悪くないんですが・・・。
 なにせ本物のダンスパーティで演奏時間も普段に比べたら超短い。ほとんどダンパ用譜面を用意し、しかもあちこち省略しまくって演奏しなければなりません。
    「ここはやんない。」
    「1番カッコは飛ばす。」
    「ここもやんない。」
    「2回目はリピートはなしでコーダに行く。」
わけわからん。
 この時演奏した「キッスは目にして」です。普通に始まりました。
    「あれっ?」
ナバロが抜けます。
    「ここじゃなかったの?」
$子が抜けます。
    「今どこやってんの?」
私が抜けます。
    「わかんないよ〜。」
安ヶ川くんが抜けます。西田くん、
    「ブン、チャ! ブン、チャ!・・・」
1人だけでやっております。・・・ダンパです。1曲2分です・・・
 無理矢理復活させました。あとで録音を聞くと・・・とても本物のダンスパーティのバンドとは思えません。
 別の曲で少し演奏時間が長くなってしまったものがありました。休憩時間、バンマスは・・・怒られてます。
 いやあ、ひどい仕事をしたもんです。学生の分際でこれで1人1万円以上もらえるんですからおいしいですよね。
 仕事というのはできれば続けたいものですが、もう2度とこの仕事は来ないだろう、と思っていたらなんと次の年は仕事が来たそうです。どこがよかったのか・・・。で、私と$子は行けなかったんですが、その次の年は来なかったそうです。何が悪かったんでしょうか。
 この時の演奏の録音は今でも残してあります。

ライブ鑑賞 植松孝夫セッション 六本木「Body & Soul」(with 板橋文夫)
1988/07/22(金) / 22歳 / 大学5年目
 植松孝夫(ts)、板橋文夫(p)、金沢英明(b)、村上寛(ds)

 板さんが入っているセッションバンドということで六本木の「Body & Soul」へ見に行きました。初めて「Body & Soul」に行きました。「Body & Soul」がまだ六本木駅のすぐそばにあったころでです。「Body & Soul」はこの後2回移転します。私はこの時まで新宿ピットインしか知りませんでしたから、ずいぶん雰囲気の違うお店だなあと感じました。

ライブ鑑賞 板橋文夫スペシャルトリオ 新宿「ピットイン」(with ジョージ大塚)
1988/07? / 22歳? / 大学5年目?
 板橋文夫(p)、金沢英明(b)、ジョージ大塚(ds)

 新宿ピットインに板さんのトリオを見にいきました。板さんのメンバー紹介は、
    「ベースは、帽子がよく似合う金沢英明。」
    「ドラムは、私のドラムの先生のジョージ大塚。」
「私のドラムの先生」ってなんでしょうね。
 この時、ステージに行こうとしたジョージ大塚さんが、ちょうど私の横でドラムのチューニングキーを落としてしまいました。しかしそれに気が付かずステージへ行ってしまいました。私はそれを失敬・・・まああんなもの、ジョージさんならいくらでも持ってるんじゃないですか。私は記念に持って帰りました。

法政ニューオレ夏合宿
 <今年もやっぱり来たか>
1988/08/04(木)〜1988/08/09(火) / 22歳 / 大学5年目
 法政ニューオレの夏合宿です。2回目です。場所は前年度と同じく長野県の飯山にある森荘です。
この年の3月、私は合宿免許を取りに行ったんですが、その後、半年以内に最後の学科試験を受けなければなりません。さっさと受けりゃいいものを延ばしに延ばして・・・ニューオレの夏合宿と重なってしまいました。ということで合宿期間の2日目から参加しました。夕方、1人で電車に乗って飯山の駅へ出発しました。1人の電車旅ってのもいいもんですね。相当時間かかりましたけど。
 この夏合宿は2回目ですからもう慣れてます。合宿は問題なく終わりました。

 そして最終日、帰る日です。去年もあったはず・・・やっぱり来ました。
    「大型観光バス!」
デカッ!・・・こんなの必要あんのか?
 そして観光バスに付き物といえば・・・おお! いますよ、います。
    「バスガイド!」
おねーちゃん!!・・・だから去年も言ったやん。どこをガイドするんぢゃ?・・・無事法政大学へ着きました。

理科大ジャズ研の夏合宿
山野ビッグバンドコンテスト

 <今年も重なる>
1988/08/15(月)〜1988/08/22(月)、1988/08/21(日) / 22歳 / 大学5年目
 この年も、理科大ジャズ研の夏合宿と山野ビッグバンドコンテストが重なってしまいました。ジャズ研の合宿は新潟県の石打スキー場、山野ビッグバンドコンテストは東京です。またです。
 この年は山野ビッグバンドコンテストの本番だけ参加することにしました。当時の朝6時前に起きて石打の駅に送ってもらって電車で行きました。場所は昨年と同じく千駄ヶ谷の日本青年館大ホールです。この年、ニューオレは十何位だったか二十何位だったか。やっぱり昨年度大量の4年生が卒業してしまったのは痛いです。
 昨年と同様、コンテストが終わってみんな打ち上げをやっているころ、私は電車に乗って石打へ戻りました。

六大ビッグバンドコンサート
1988/09/03(土) / 22歳 / 大学5年目
 六大学ビッグバンド連盟の合同コンサートです。2回目です。場所は前年と違い有楽町の読売ホールです。
 内容は前年と同じくお祭りです。ニューオレはオレンジ色のハッピ姿で出演ました。私はこの年はピックアップバンドもやりました。トロンボーンの鍵和田さんがリーダーをやっていました。
 これ以前にも会っていたと思いますが、ドラムの平川くんに会ったのはこの頃です。彼は早稲田のダンモですが早稲田のハイソもやっていました。

★セガ合格の思い出
 <ここはどこ?>
1988/09 / 22歳 / 大学5年目
 私は理科大のジャズ研です。東京理科大学のジャズ研です。ジャズ研は軽音楽部です。ってことは、
    「東京理科大学 軽音楽部 ジャズ学科」
です。もはや理学部 応用物理学科ではありません。成績はもちろん、
    「だめちん」
です。下から数えたほうが早い。
 大学5年の・・・いや、大学4年の春から夏は就職シーズンです。どっかに入らなければ。ジャズ学科では・・・いや、応用物理学科では、成績のいい人たちは大手メーカーを希望します。例えば、
    「まつうえ、しゃしば、エヌヨシー、ドロニー」
    「イチビーエム、ふじおけ、トイータ、ニッピコ」
などです。ん?・・・
    「松上、車芝、NヨC、$ONY」
    「1BM、富士桶、トEタ、日彦」
・・・ああ、どれも有名ですね。大学から推薦書をもらって面接、試験があれば試験、これで内定です。「だめちん」たちはどうするか?就職課に行くと、
    「あなたはこの成績では・・・ここは難しいですねえ。」
推薦書は・・・もらえないことが多い。推薦書なしの賭けで大手か、中小企業、零細企業になります。
 私は別に大手メーカーじゃなくてもいいんです。まあどこか適当なところがあればいい。だいたい大学で習ったことなんか就職して役に立つことなんかめったにない。今考えればコンピュータ専門学校とか行ってたらもっとすごいことやってたんじゃないかって思います。

 7月、早い人はもう決まっています。内定をもらってても何社も行く人もいます。決まってない人たちは必死になって探しています。すでに何社も面接に行ってる人もいます。10社以上行く人だっています。私はというと・・・余裕ブッコいてます。まだ何もしてません。
    「そろそろやったほうがいいのかなあ?」
 やっと就職課に行き、会社を探します。大手がずらり。私には関係ないです。ハズレのほうを探します。
    「セガ」
私はそんなにゲームはやりません。ゲームセンターなんか1人じゃ行きません。でも会社は有名です。知ってます。「セ〜ガ〜」ってCMもよく流れていました。就職課のデータを見ると過去に何人か行ってる。
    「ふ〜ん、こんなクソマジメな理科大からゲーム屋に行く人もいるんだ。」
    「理科大からゲーム屋なんて・・・めずらしいな。」
    「でもゲーム屋で何するんだろう?」
    「ハードウェア・・・ゲームの機械作るのかな?」
なんだかよくわかんない。他はいかにも応用物理学科が行きそうな会社がほとんどです。就職課に聞きます。
    「セガですか・・・他に誰も行かないし、まあいいんじゃないですか。」
世の中、セガを目指してがんばってる人もいるというのに・・・。まあとりあえず面接を受けることにしました。部署はハードウェアです。ラッキーなことに試験はない。面接だけ。だめならどっかまた探せばいいです。推薦書は・・・もらえそう・・・にない・・・わからない。・・・もういいや。自分だけで行ってやる。めんどくさい。もらいに行くのやめ。
 セガの人事課に電話し、履歴書だけ持って行きます。前の人が面接の部屋に入りました。
 前の人が終わりました。次は私の番です。部屋に入ると5人の面接官がいます。
    「理科大ですかあ・・・」
始まりました。もちろん初めての就職面接だから緊張してます。まあ後はごく普通の面接です。そして、
    「他にどこか受けたところはありますか?」
ふ〜ん、そんなこと聞くのか。そんなのウソだって言えるじゃん。私、強調します。
    「他に受けたところはありません。ここだけです。」
ウソ言ってません。ホントです。
    「そうですか。はい、ありがとうございました。もういいですよ。」
ここで終わってしまいました。前の人は結構長かったのに・・・いや、それが普通でしょう。5分で終わってしまいました。あっけない面接でした。

 何日かたって、電話がかかってきました。
    「合格いたしましたので、御連絡差し上げました。」
ほ〜、あれで合格ねぇ。あんな何も聞かれてないたった5分の面接だけで。私もたいしたもんだ。いや、理科大ってだけで入れたんぢゃないのか?・・・いろいろ思いましたが、合格です。私はセガ入社で不満はありません。
 他の人がまだ就職パニックになってる中、私はまた余裕ブッコキ開始です。きっと同じ学科の人たちに「こいつ何やってんだろう?」って思われてたでしょうね。

 9月のある日、セガの合格者祝賀パーティーがありました。夕方終わりました。会社は会社、それとは別に合格飲み会です。前もってこの日に、理科大のジャズ研の何人かと、明治BSの安ヶ川くんと明治ジャズ研のナバロくんと駒安で飲むことにしてました。水道橋の駒安で飲みました。安ヶ川くんが言います。
    「今日は自分んちの近くでBSの連中が飲んでるんですけど、一緒に行きません? 」
    「まあこれも合格祝いってことで。」
行ってもいいが、時間が遅かったので、この日は安ヶ川くんのうちへ泊まることにしました。安ヶ川くんは当時、京王線の明大前の近くに住んでました。初めて明大前に行きます。そしてその居酒屋へ行きます。中に入ると明治BSの人たちがたくさんいます。合流します。
 飲み会が終了し、明治BSの相楽くんも一緒に、安ヶ川くんのうちへ行きました。
 さて酒は何があるか? まだ開いてないボトルが1本あります。
    「This」
見たことありません。(以下 This のファンがいたらすいません)
    「これ何?」
    「ウィスキーみたいです。」
    「こんなの見たことないなあ。」
    「僕も初めてです。もらったんです。」
    「なんだよ This って・・・変なの。いかにも悪酔いしそう。」
    「そうですよね。」
    「試しにこれ、飲んでみようか?」
この This なるウィスキーを飲むことにしました。
    「!・・・マジィ!」
    「マズイ。マズイっすよこれ。」
    「マズイですねえ。」
3人とも一致しました。でも開けてしまった。これを飲むことに。しばらくは普通に飲んでました。
 だんだん私は酔ってきます。記憶も途切れ途切れです。
 相楽くんが帰ると言い出しました。
    「なーんで帰るんだよ!」
ここから私の記憶はしばらくありません。

 私の記憶の一部です。深夜です。家の外を相楽くんと安ヶ川くんとで歩いてます。この日昼は雨が降ってたため傘を持ってます。なぜか私は怒ってます。相楽くんが帰るってのが気に入らなかったんでしょうか。
    「もう!相楽くんなんかもういい!」
傘を彼目掛けて投げつけました。もし突き刺さってたら・・・今考えると恐ろしいことです。ここからまた私の記憶はしばらくありません。

 気が付きました。朝のようです。おそろしく二日酔いです。いるのは私1人だけです。
    「気持ち悪りぃ。それにどこだ、ここは?」
見慣れないところです。初めて見る場所です。なんかちょっと商店街っぽいような気もするし。
    「いったいここで何をやってるんだ?」
    「確かみんなで飲んでたような気がするんだけど。」
誰もいません。商店街っぽく見えるようなところに私1人だけいます。気持ち悪い中、起きます。いったいここはどこなのか?
 寝てた上には看板のようなものがあります。気持ち悪い中、ちょっとだけ歩きます。線路が見えてます。もうちょっとだけ歩くと・・・駅が見えました。「明大前」って書いてあります。
    「は〜? なんで駅にいるの?」
よく駅のホームに「○○病院」とかの看板が立ってますよね。ホームの外側のあの看板の下で寝てたようです。
    「ああ、なんてことだ。」
困りはてました。起きるだけでも気持ち悪いってのに・・・電車なんか乗れるわけがない。しかも誰もいない。どうしたらいいんだろう?・・・とりあえず安ヶ川くんに電話してみることにしました。しかし早朝です。そんな時間に電話したって爆睡してりゃ出るわけありません。それに公衆電話はどこに・・・駅だからあるはず・・・気持ち悪い中、歩きます・・・ありました。電話します。案の定出ません。しかし私はもう彼に助けてもらうしかありません。何回も電話しました・・・やっと出ました。
    「駅にいるんだけど。気持ち悪い。看板の下にいるから来てほしい。」
バンドマンの活動時間帯は夜です。学バン界じゃ掟破りの早朝呼び出しです。後輩ってのはたいへんですね。しかも私は明大前にこの日初めて行きました。改札とかお店とか全然知りません。しかしいくらなんでも駅の公衆電話の下でうずくまっているのはまずい。その看板しかわかりません。
    「たのむ。」
 やっと助けが来てくれます。なんとか看板の下まで戻ってダウン。が、しかし、いつまでたっても来てくれません。いったい何をやってるのか。めんどくさくて寝たんじゃないか?・・・また公衆電話まで・・・もう1度電話します。なんと出たではないですか。
    「何やってんの?」
    「いや、行ったんですけど見つかんなかったんです。」
そりゃそうです。待ち合わせをしてるんじゃない。看板の下でヘタリこんでるのです。それにどの看板だかわかんない。簡単に見つかるわけがない。私は私で明大前は初めてですからどの改札とかどのホームとかの説明もできない。
    「ああ、たのむ。看板の下だから。」
また看板の下まで戻ってダウン。待ちます・・・来ました。ああ、やっと来ました。
    「そんなとこにいたんですか。」
「そんなとこ」どころじゃない。なんで私はここにいるのか?・・・いや、それよりも気持ち悪い。とにかく安ヶ川くんちに連れて行ってほしい。

 看板の下から出ました。強烈な二日酔いです。駅の商店街を連れて行ってもらいます。ネクタイをした人たちが歩いてます。会社員です。制服を着た女の子たちが歩いています。女子高生です。なんと、もうそんな時間なのか。いったい何時間看板の下で寝てたのか?・・・気持ち悪い・・・うぅ、気持ち悪い・・・
    「ちょっと失敬。」
1人で商店街の端へ・・・
・・・あ〜あ、女子高生たちがいる中、噴射・・・安ヶ川くん、
    「大丈夫ですか?」
大丈夫じゃない。
    「大丈夫。」
なんとか彼の家まで行きました。即ダウン。爆睡。

 夕方、やっと酒が抜けました。でもまだちょっと気持ち悪い。何か腹に入れれば大丈夫か。見たことのない、缶詰のかぼちゃのスープがありました。これを開けて作ってもらい飲みました。やっと復活。家に帰りました。

竹橋如水会館での仕事・・・法政ニューオレ
1988/10/10(月) / 23歳 / 大学5年目
 法政ニューオレの仕事です。場所は竹橋にある如水会館でした。

初めての理科大ジャズ研OB「林至」セッション 大井町「JAM BOX」
1988/10/19(水) / 23歳 / 大学5年目
 林至(g)、牛山善太(g)、$子(as)、じみた(p)、大橋明(b)、能登谷厚(ds)

 理科大ジャズ研のOB、ギターの林さんのスタジオセッションに初めて誘われました。1つ下の後輩の$子も誘われました。
 このバンドのOBたちは、過去、理科大ジャズ研のレギュラーバンド「スパイラル・ステップス」をやってきたそうそうたるメンバーです。合宿や理大祭でその演奏は見ています。こんなセッションに誘われるとは。緊張しまくりのセッションでした。記念に後で録音をもらいました。今でも持っています。
 この後ずっと、林セッションに参加することになりました。

忙しい1ヶ月
1988/10/29(土)〜1988/11/23(水) / 23歳 / 大学5年目
 忙しい1ヶ月でした。この1ヶ月は昨年度より忙しかったです。忙しかった思い出を残しておきます。

10/26(木)  練習 新宿Doing 19:00〜21:00 神楽坂猿回し保存会
10/27(金)  
10/28(土)  
10/29(日)  練習 大塚オレンジスタジオ 11:00〜12:00 神楽坂猿回し保存会
 ライブ観賞 新宿ピットイン 日野元彦セッション
10/30(月)  理科大ジャズ研コンサート
10/31(火)  練習 早稲田ハイソ 12:30〜 早稲田祭バンド
11/01(水)  練習 大塚オレンジスタジオ 17:00〜20:00 明治駿台祭バンド
11/02(木)  スタジオセッション 大井町JAMBOX 19:00〜22:00 理科大OB林セッション
11/03(金)  練習 明治BS 12:00〜 明治大駿台祭バンド
11/04(土)  練習 ニューオレ 13:00〜
11/05(日)  早稲田祭出演 12:00集合
11/06(月)  明治駿台祭出演
11/07(火)  仕事 ニューオレコンボ 有楽町
11/08(水)  
11/09(木)  練習 大塚オレンジスタジオ 18:00〜20:00 神楽坂猿回し保存会
11/10(金)  
11/11(土)  仕事 ニューオレコンボ 有楽町
11/12(日)  ライブ鑑賞 新宿ピットイン 古野光昭セッション
11/13(月)  練習 六本木マッドスタジオ 10:00〜 ニューオレ
11/14(火)  練習 池袋モリタ楽器 20:00〜23:00 学セッション
11/15(水)  練習 明治BS 16:30〜
 練習 大井町JAMBOX 19:00〜20:00 理科大$子バンド
11/16(木)  仕事 ニューオレ お茶の水 結婚式 17:30〜21:00
11/17(金)  練習 大塚オレンジスタジオ 18:00〜20:00 理大祭Gスターズ
11/18(土)  仕事 ニューオレコンボ 有楽町
11/19(日)  明治生田祭出演 15:00〜
11/20(月)  理大祭「あけみ」
11/21(火)  理大祭「あけみ」(相楽バンド出演)
11/22(水)  理大祭「あけみ」(Gスターズ出演)
11/23(木)  理大祭「あけみ」

まったく・・・お勉強する暇はありません。よく卒業できたもんです。    

ライブ鑑賞 日野元彦オールスターセッション 新宿「ピットイン」(with 板橋文夫)
1988/10/29(土) / 23歳 / 大学5年目
 日野元彦(ds)、峰厚介(ts)、井上淑彦(ts)、板橋文夫(p)、秋山一将(g)、桜井郁雄(b)

 板さんが入っているセッションバンドということで新宿のピットインへ見に行きました。

理科大ジャズ研のコンサート
1988/10/30(日) / 23歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研のコンサートです。会場は前年に続き、六本木ピットインです。
 バンド名とメンバーです。

     <神楽坂猿回し保存会(涙の柿ピー’88)>
    $子(as)
    じみた(p)
    栗原<φ>崇(b)
    山野順一郎(ds)

なんというバンド名でしょう。$子ってのは・・・なんで泣きながらでも酒を飲み、泣きながらでも「柿ピー」をほおばることができるんでしょうか? 泣くか食うかどっちかにせんかい!(^^)

早稲田祭出演・・・平川雄一グループ
1988/11/05(土) / 23歳 / 大学5年目
 早稲田祭で、早稲田ハイソに出演しました。メンバーは、

    石川智登(ts) 法政ニューオレ5年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    武山信吾(b) 早稲田ハイソ4年
    平川雄一(ds) 早稲田ダンモ2年

ドラムの平川くんは、早稲田のハイソにもいました。それで知り合いました。

明大駿台祭出演・・・ナバログループ
1988/11/06(日) / 23歳 / 大学5年目
 ナバロ(tp)、じみた(p)、安ヶ川大樹(b)、他

 明治の駿台祭でジャズ研に出演しました。

有楽町のお店「The New York」でのバック演奏・・・法政ニューオレコンボ
1988/11/07(月)、1988/11/11(金)、1988/11/18(金) / 23歳 / 大学5年目
 小沢祐二(ts)、じみた(ep)、池上秀夫(b)、中西啓二郎(ds)

 法政ニューオレでのコンボの仕事です。場所は有楽町の新国際ビル1Fの丸の内コマツ内にある「The New York」というお店です。 お店のBGMです。しかもこの仕事、4回もあるってのがうれしいです。

ライブ鑑賞 古野光昭セッション 新宿「ピットイン」
1988/11/12(土) / 23歳 / 大学5年目
 古野光昭(b)、向井滋春(tb)、野力奏一(p)、東原力哉(ds)

 新宿ピットインに古野光昭セッションを見に行きました。板さんがいないバンドの久しぶりのライブ鑑賞です。

法政ニューオレで結婚披露宴の仕事
1988/11/16(水) / 23歳 / 大学5年目
 法政ニューオレで結婚披露宴の仕事をやりました。場所はお茶の水でした。結婚披露宴でビッグバンドとはとても華やかですね。

明大生田祭出演・・・ビッグバンド
1988/11/19(土) / 23歳 / 大学5年目
 明治の生田祭で、明治BSに出演しました。特別ビッグバンドを組んで出演したと思います。

★理大祭「あけみ」
 <相楽バンド>
 <Gスターズ>
 <クラリネットの谷口英二くんが遊びに来る>
 <5テナーズ>
1988/11/20(日)〜1988/11/23(水) / 23歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研の大学祭、理大祭です。5回目、学生時代最後の理科大ジャズ研のイベントです。
この理大祭期間中、2回ほど理科大のバンドとは別のバンドで出演しました。

 <相楽バンド>

 2日目です。明治BSの相楽くんがリーダーのバンドです。メンバーは、

<相楽バンド>
    相楽賢哉(tb) 明治BS4年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    武山信吾(b) 早稲田ハイソ4年
    西田知央(ds) 明治BS4年

トロンボーンらしい選曲だったと思います。

 <Gスターズ>

 3日目です。これは別に誰がリーダーってのはないです。メンバーは、

<Gスターズ>
    高島<Eve>直樹(tp) 理科大ジャズ研5年
    石川智登(ts) 法政ニューオレ5年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    栗原<φ(フェイ)>崇(b) 理科大ジャズ研5年
    中原康仁(ds) 早稲田ダンモ5年

Gスターズは「ゲイ・スターズ」です。なんかそんなバンドありますよね。「8時だよ、全員集合」のバックやってましたよね。この日、理大祭に行くとプログラムに書いてありました。
    「Gスターズ(@_@)」
・・・なんだ?・・・なるほど・・・そうか・・・みんなG年、5年生なんですね。
 ドラムの中原くんは早稲田のハイソもやってました。それで知り合いました。ほんとは早稲田のダンモ研ってのは後から知りました。彼はこの年、早稲田ダンモのレギュラーバンドをやってました。

 そして、私の理科大ジャズ研での活動は、この理大祭で終了です。この最終日でジャズ研を卒業します。思い出すといろいろありましたね。
 この年、私と同じくジャズ研を卒業する人が大勢いました。私は1年生で留年しましたので、1つ下の人たちと一緒に卒業します。でも他にもたくさんいました。なぜかといえば、大学院に行ったり((留年したり)、(留年したり))したからです。カッコは読み飛ばしましょう。卒業したのは、浅田聡(b)、戸井<Yago>春夫(p)、関塚健太郎(g)、栗原<φ(フェイ)>崇(b)、坂上学(ds)、$子(as)、波多野<Payapa>素子(vo)、大西<Roa子>里実(ds)、平川泰(b)、でした。私を含めて10人ですか。これは多いです。これでは次年度のバンドは少なくなってしまいますね。
 みなさん御苦労様でした。

 <クラリネットの谷口英二くんが遊びに来る>

 理科大の学祭にクラリネットの谷口くんが遊びに来ました。
 連れてきたのは私の同期のピアノ Yago です。Yago は早稲田のスイング研によく遊びに行ってました。いやあ谷口くんは当時からとても学生とは思えないすばらしい演奏をしてました。私はセッションで参加したんですが、この時エレピでビブラフォンの音を出して演奏しました。この日の演奏はOBの村山先生が撮ったビデオが残っていると思います。

 ベースの「ハチ」こと佐藤恭彦くんもこの年に理大祭に来て、初めて会ったと思います。

 <5テナーズ>

 理大祭「あけみ」は夜9時ま営業していますが、夕方6時を過ぎるとジャムセッションの時間になります。だいたい理科大ジャズ研のOBの人たちが演奏するんですが、他の楽器演奏者たちが来ればもちろん参加できます。
 この時どういうシチュエーヨンだったのかわかりませんが、テナー5人で演奏することになったようです。次の5人でした。

    井口健一 理科大ジャズ研OB
    秋山克郎 理科大ジャズ研OB
    苅田邦久 理科大ジャズ研OB
    きぬさん 早稲田スイング研
    田中邦和 東大ジャズ研

きぬさん・・・私は本名は知りません。早稲田スイング研でそう呼ばれていました。野球の衣笠選手に似てるからです。
 曲は・・・もちろん、ソニー・ロリンズの「テナー・マッドネス」です。これしかありません。実に気持ちがいいです。この演奏はOBの村山先生のビデオに残っています。

関内エアジンのセッションだっけ?
1988/12/04(日) / 23歳 / 大学5年目
 この日初めて横浜関内にあるライブハウス「エアジン」に行ったはずです。何のセッションだったかも覚えてません。うちからは横浜は遠かったので横浜のお店にはほとんど行きませんでした。確か理科大ジャズ研の同期のEveがいたような気がするんだけど・・・よく覚えてません。

法政ニューオレのリサイタル
1988/12/09(金) / 23歳 / 大学5年目
  法政ニューオレのリサイタルです。2回目であり、最後です。場所は有楽町の読売ホールでした。卒業者紹介で4年生に混じって私も紹介されました。これで、私のニューオレのトラは、いくつかの仕事を残して、実質終了です。

理科大ジャズ研のバンド会議・・・バンドが少なくなる
1988/12/10(土) / 23歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研のバンド会議です。私は次年度バンドはありません。見てるだけです。やはり大人数卒業してしまうとバンドは少なくなってしまいます。この次の年あたりから理科大ジャズ研の人数の少ない時代が来ます。

★森林公園でのクリスマスパーティ・・・法政ニューオレコンボ
 <去年に続き2回目、また白いグランドピアノ>
1988/12/11(日) / 23歳 / 大学5年目
 法政ニューオレの仕事でクリスマスパーティの仕事をやりました。場所は森林公園です。メンバーは、

    ナバロ(tp) 明治ジャズ研2年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    栗原<φ(フェイ)>崇(b) 理科大ジャズ研5年
    中原康仁(ds) 早稲田ダンモ5年

・・・なんでニューオレが1人もいないんでしょう?・・・わがままなやつです、じみたってやつは。

 この仕事は昨年に続き2回目です。確かここのピアノは白いグランドピアノが置いてあったはず・・・
 そして当日、演奏会場に行くと・・・ありました、白いグランドピアノが。んーん、またか。またこれを弾くのか・・・
 2回目ですからわかってます。この際、思いっきり弾きましょう。
    「じみたと白いグランドピアノ」
やっぱりおしゃれ〜!!・・・っちゅうか、謎だぞ。

早稲田ダンモコンサートを見に行く
1988/12/18(日) / 23歳 / 大学5年目
 この年、理大祭で一緒に演奏したドラムの中原くんは、彼が早稲田のハイソにいたので私は知り合いましたが、実は早稲田のダンモ研だったことを後で知りました。それも早稲田ダンモでレギュラーバンドをやっていたのです。ということで早稲田ダンモのコンサートを見に行きました。レギュラーバンドのピアノは押田茂子さんでした。

乃木坂健保会館でのクリスマスパーティ・・・法政ニューオレコンボ
 <去年に続き2回目>
1988/12/19(月) / 23歳 / 大学5年目
 昨年度もあった仕事です。法政ニューオレの仕事でクリスマスパーティの仕事をやりました。場所は乃木坂の健保会館ハートイン乃木坂です。メンバーは、

    小沢祐二(ts) 法政ニューオレ2年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    栗原<φ(フェイ)>崇(b) 理科大ジャズ研5年
    長瀬琢磨(ds) 明治BS1年

・・・かろうじて1人ニューオレがいます。やっぱりわがままなやつです、じみたってやつは。
 明治BSの1年生にとてもいいドラムがいたんで一緒に演奏してもらいました。

明治BS打ち上げ・・・じみたは関係ないぢゃんか
1988/12/22(木) / 23歳 / 大学5年目
 うわさを聞きつけりゃ、なんでも行ってしまうんですね。関係ないのに行ってしまいました。まあいいじゃないですか。明治BSにはこの年よく遊びに行ってましたから。

ライブ鑑賞 板橋文夫セッション 新宿「ピットイン」
 <一応デートか・・・>
1988/12/23(金) / 23歳 / 大学5年目
 板橋文夫(p)、梅津和時(as)、井野信義(b)、角田健(ds)

 新宿ピットインに板さんのセッションを見にいきました。法政ニューオレの1年生の女の子と・・・はあ、しかもクリスマスじゃないですか。っていうかこの子も暇だったんですね。こういうの、一応、
    「デート」
っつーんでしょ。はあ、デートでしたわデート。クリスマスデートでしたわ。いや、まあ、そんなことはいいんです・・・。
 クリスマスですし超満員でした。この時演奏した「ゴスペルクリスマス」ってのがとてもよかった。三拍子のゴスペル。でもやっぱり板さんの曲なんですよね。板さんらしい曲です。こういうの好きです。この曲はあとから「Gospel '89」という曲名でCDで発売されました。 

セッション 御茶ノ水「NARU」クリスマスセッション・・・プロと競演
1988/12/24(土) / 23歳 / 大学5年目
 高島<Eve>直樹(tp)、山口真文(ts)、じみた(p)、水上信幸(b)、?(ds)

 お茶の水NARUのクリスマスセッションに理科大のジャズの人たちと行きました。プロの人たちに混じって演奏しました。

理科大ジャズ研の忘年会セッション
1988/12/30(金) / 23歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研の人たちで忘年会がてらのセッションを行いました。場所はこのときよく使ってた大井町のスタジオ「JAM BOX」です。ここのスタジオはジャズ専用です。普通のスタジオより少しだけ値段が高いですが、スタジオは結構広く、グランドピアノやウッドベースも完備、音響もとてもよいです。基本的にジャズ以外は使わせないという話でした。このスタジオを使って忘年会セッションを企画したところ経営者もOK。ということで長時間借りて、軽く酒やつまみも持ち込み、忘年会セッションを行いました。

泊まりでお座敷セッション 理科大ジャズ研OB「林至」宅
1989/01/02(月) / 23歳 / 大学5年目
 林至(g)、牛山善太(g)、じみた(p)、大橋明(b)、能登谷厚(ds)、他

 理科大ジャズ研OBの林さんの家で正月のセッションをやってるというんで行きました。夕方から行って泊まりです。

ライブ鑑賞 向井滋春セッション 六本木「Body & Soul」
1989/01/29(日) / 23歳 / 大学5年目
 向井滋春(tb)、滝本博之(p)、小井政都志(b)、村上寛(ds)

 六本木の「Body & Soul」に向井滋春セッションを見に行きました。

理科大ジャズ研の追い出しコンパ
1989/02/05(日) / 23歳 / 大学5年目
 理科大ジャズ研の追い出しコンパ、追いコンです。場所は水道橋の居酒屋「駒安」でした。これまでは追い出す側でしたが、今度は追い出される側です。といっても普通の飲み会なんですけね。特別イベントはありません。

★平川雄一バンド開始
1989/02/12(日) / 23歳 / 大学5年目
 早稲田ダンモ研の平川くんがリーダーのバンドに参加しました。メンバーは、

    ナバロ(tp) 明治ジャズ研2年
    相楽賢哉(tb) 明治BS4年
    じみた(p) 理科大ジャズ研5年
    浅田聡(b) 理科大ジャズ研7年
    平川雄一(ds) 早稲田ダンモ2年

少しメンバーが変わりますが、このバンドで新大久保のライブハウス「Someday」に出演します。

明治BSリサイタルを見に行く
1989/03/11(土) / 23歳 / 大学5年目
 明治BSのリサイタルを見に行きました。私が明治BSのよく遊びに行ってたのもありますし、理科大ジャズ研の1つ下の後輩の$子が明治BSのメンバーになったのもあります。
 明治BSはこの時は豪快でした。特に覚えてるのは私の1つ下の代になるドラムの西田くん。いやー、すごいかったです彼は。私はコンボでもよく彼と一緒にやりましたが、ビッグバンドは特によかったです。その中でも今でも覚えてます、カウント・ベイシーの「The Heat's On」。これをやらせたら彼は日本一です。豪快です。とても気持ちいいです。また彼の顔がいいんです。
    「やってやるぜ、テメー!」
って顔するんです。これでああやられりゃ・・・もう何も言うことはありません。やっぱりビッグバンドはこうじゃなきゃ、ってつくづく思いました。

★理科大卒業の思い出
 <なんで卒業できたん?>
1989/03 / 23歳 / 大学5年目
 ついに卒業です。
    「東京理科大学 軽音楽部 ジャズ学科」
・・・だから違うって、
    「東京理科大学 理学部 応用物理学科」
の卒業です。最初に言っておきますが、私は卒業してます。ちゃんと卒業証書を持ってます。
 理系の大学ですから卒業研究があります。もちろん必須科目です。3年生の終わるころ、入る研究室を決め、4年生から卒業研究を開始します。そして3月に研究発表を行い卒業です。卒業研究は1人1人テーマが違います。1人で行うものもあれば数人で行うものもあります。
 私の卒業研究のテーマは、
    「誘電物質の固有誘電率の研究」
    (だったと思う)
というものでした。これを2人でやることになりました。知らない人からすればすごいことをやってそうにみえるでしょうが・・・内容は、実験なんですが、ある物質を鉄製の筒の中に入れ、液体窒素で冷やして、その誘電率を測定するというものでした。これでもすごいことをやってそうにみえる人は・・・
    「冷やしたカップにモノをぶちこんで、たまに温度みて横のメーターの数字を書く。」
はい、誰でもできます。私が研究室でやってたことは誰でもできます。1日数時間、これを約1年やるのです。今日も明日もあさっても、冷やして、たまに数字を書くだけです。まあ毎日ではありませんでしたが、それでも週に何回かやらなければなりません。真面目な人はいいんでしょうが・・・あまりにつまんない。私はそのつまんなさに耐えられなかった・・・
 春頃は普通に研究室に行ってました。しかしだんだん行く回数が減って行きました。秋頃はほとんど行かなくなりました。そしてついに、
    「やーめた。」
行かなくなってしまいました。私と一緒にやってた人はどう思ってたんでしょうね。
 3月のある日です。私の親から電話がかかってきました。なんでも次の日大学の事務室に来てくれと。この日私は練習か何かで家にはいませんでした。
 次の日、大学の事務室へ行って自分の名前を言うと、
    「あんた卒業する気あんの!」
なんだなんだ?・・・聞くと、私がこの年に受けた試験の中で落ちた科目が1つあって、この前日に手続きをしなければならなかった。でもその手続きをしなかったため、事務のほうでえらいことになってたとのこと。前日、私に電話したんだけどいないから親に電話したと。本当は卒業できないはずなんだけど、1日遅れの手続きでもなんとかなるとのこと。
 はあ〜、そうだったの。1つ試験が落ちてらしいです。翌日、理学部の講師の人にぶつぶつ言われながら手続きをしてこの件は終了。私は、必須科目を1つだけ落としても卒業できるというのは知ってましたが、その他に何かを見逃していたらしいです。そんなの知らなかった。
 そして研究発表の日です。もう何ヶ月も研究室には顔を出していません。発表するものがありません。それにこの手続き関係で疲れました。
    「ブッチ。」
まあなんとかなるんじゃねーか? 教授からすれば「こんなやつ落としたってどうせ次の年も同じになるのはみえてる。いるだけ迷惑。C(最低合格評価)付けて追ん出しちゃえ。」とかなるんじゃねーか? まあ落ちたときは落ちたとき。もう知らねぇ・・・
 成績評価表をもらう日です。はたして卒業研究はどうなってるか?
    「C」
卒業決定です。誰がなんと言おうが卒業決定です。私が「やぢゃ!」って訴えても勝手に卒業されてしまいます。

 ということで、私は理科大を卒業しましたが、卒業研究発表はやっておりません。卒研は途中でやめました。もう一度言いますが、私は卒業してます。ちゃんと卒業証書を持ってます。

 はあ〜、こんなことでいいんでしょうかね。普通じゃ考えられないことだと思いますが。

 卒業証書・・・いいんです、もらったもんはもらったもん。ガハハハ・・・

★昭島市の社会人ビッグバンド「abc」のトラ
 <学生最後だからちゃんと・・・んーん、これからもたいへんなのかなあ>
1989/03/05(日)、1989/04/01(土)、1989/04/02(日) / 23歳 / 大学5年目
 私の大学生最後の演奏です。
 理科大のジャズ研のOBでテナーの秋山克郎さんに誘われて、昭島市の社会人ビッグバンド「a.b.c. Lab Band」にトラでこの期間参加しました。秋山さんは代でいうと私の十以上上で、このバンドのレギュラーメンバーでした。
 まず、3月5日に1つ仕事をしました。
 そして、4月1日、2日と連続です。1日目は横田基地内でのパーティの演奏、2日目は市民会館でのコンサートです。

 この前日、3月31日は、セガの入社式がありました。終わってからジャズ研御用達の居酒屋「駒安」へ飲みに行きました。この日は時間が遅くなったので後輩の家に泊まりました。

 1日目です。ちょっと二日酔いです。一旦家に帰り用意をして、秋山さんとの待ち合わせ場所へ行きます。そして横田基地へ向かいます。米軍基地は初めてです。アメリカにも行ったことがありません。
 まず夕食が出ました。アメリカといえばステーキです。しかしさすが本物のアメリカン、厚さ3cmぐらいの巨大なステーキが出てきました。これにはメンバー一同驚嘆です。そんなに食ってちゃんと演奏できるのか。
 基地内にはカジノ場なんかもあります。日本とはだいぶ雰囲気が違います・・・ってここは日本ですけどね。ああアメリカってこういうところなのかなあ、と思いました。
 演奏は問題なく無事終了しました。
 この日は、次の日も昭島で仕事で、しかも入り時間が午前中だったので、秋山さんの家に泊めてもらうことにしていました。
 演奏終了してから秋山さんの家へ行きます。早速、
    「飲酒開始」
まあ、うわさはいろいろ聞いてましたけど・・・私は朝二日酔いでそんなに飲みたくはないのです・・・飲むわ飲むわ。
    「あと1時間ね。」
飲みます。
    「もうあと1時間ね。」
翌日のコンサートの入り時間は午前中です。
    「あと1時間だけ。」
飲みます。
    「もうあと1時間だけ。」
・・・結局朝まで飲んでしまいました。これでは3時間ぐらいしか寝られません。

 2日目、翌日(当日?)です。ああ、やっぱり二日酔いです。私だけ二日酔いのままコンサート会場へ。リハが終わるころ、やっと酒が抜けます。ああこれでコンサートはなんとかなる。
 コンサートは問題なく無事終了しました。
 さあ!コンサート終了後はもちろん、
    「打ち上げ」
・・・もう酒飲みたくない。でもトラとはいえ私はバンド内で最年少者です。酒飲まないなんて言えません。結局飲んでしまいました。秋山さん曰く、
    「酒ってのは、飲もうと思えば飲めるもんなんだよ。」
・・・巨匠です。これ以上の言葉は私にありません。
 打ち上げが終わりました。昭島からうちまでまでは遠いです。深夜、うちへ着きました。明日からセガの研修が始まるというのに・・・。
 次の日、セガにはなんとか時間通りに行けました。この一週間どれだけ眠かったことか・・・・。
 私のセガ時代が始まりました。

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