その後

 2002年12月30日の白血球除去での最後の入院の後です。

 2003年1月頃から右脚の付け根に痛みが出てきました。前年にも同じような痛みが出たことがあったので、最初は「たいしたことはない」と思っていたんですが、結果的にこれがステロイドの副作用の「大腿骨骨頭壊死」でした。これ自体も特定疾患で、この病気は身体障害者を申請できます。結局、障害者に認定されたのはこの年の10月でした。でも特定疾患は申請していません。治療がないので申請をしても意味がないのです。申請の費用が無駄です。

 潰瘍は減っていき、ステロイドも順調に減っていき、5月には完全になくなりました。潰瘍もない状態になりました。

 ところが、あまりに長い間ステロイドを飲んでいたため、自分の副腎からホルモンが出なくなっていたのです(副腎不全)。ステロイドというのは実体は副腎皮質ホルモンです。私にどういう症状が起きたかと、食欲不振です。副腎不全による食欲不振は、単に体調不良で食べたくない、というのとは全く違います。まったく食を受け付けないんですね。食べないのでだんだん衰えてきて当然です。5分と立つことが出来なくなりました。さらに、座椅子に座るのもつらくなってきました。病院へ行って血液検査をしてびっくり。
    「鉄欠乏性貧血+栄養失調」
ほとんど餓死寸前の状態だったようです。治療は鉄の注射と副腎皮質ホルモンを出す肩からの注射です。タンパク質については食べるしかない、と。その日の一時的な体調不良ではないので、点滴をやってどうのこうのより食べたほうがいいのです。だんだん体調はよくなっていきました。

 7月、実家に帰ることになって、病院も転院することになったのですが、このときまでお世話になった主治医によると、
    ・潰瘍はない(一応緩解している)
    ・潰瘍の跡がひどく、これは一生治らないかもしれない
一時は手術不可避の状態だったのが、手術を回避でき、これ自体はベテラン主治医も「奇跡」と言っているぐらいなのですが、大腸組織を削り取られるぐらい潰瘍がひどかったので、その傷跡もかなりひどく、肛門から約30cmぐらいがほぼ円筒状になっており、直腸やS字結腸はほとんど機能していない状態になっているようです。潰瘍がなく緩解しているのにトイレ状態があまりよくないのは、このためでしょう。主治医の見解と私のトイレ状態は一致しています。今後、再燃しない(潰瘍が出来ない)という条件でも、この傷跡が元に戻る可能性は少ない、と主治医は言っていました。

 転院後は、予防薬としてペンタサを1日6錠飲んでいるだけです。傷跡はどうにもならないので、その他の治療や検査は行っていません。 

2回目の再燃
2000年4月〜2003年7月の経緯

年月 治療 ステロイド 備考
2000年4月 なし   発症
2000年5月 通院 30mg 検査・再燃確定
2000年6月 通院 30mg 改善
2000年7月 通院 25mg 改善
2000年8月 通院 20mg 改善
2000年9月 通院 15mg 改善
2000年10月 通院 10mg  
2000年11月 通院 5mg 悪化
2000年12月 通院 15mg  
2001年1月 通院 15mg  
2001年2月 通院 15mg  
2001年3月 通院 15mg  
2001年4月 通院 15mg  
2001年5月 通院 15mg  
2001年6月 通院 30mg  
2001年7月 入院 30mg 絶食
2001年8月 入院 0mg 絶食
2001年9月 入院 30mg 絶食
2001年10月 入院 30mg 絶食
2001年11月 入院 30mg 絶食・白血球除去
2001年12月 入院 30mg 白血球除去・外泊
2002年1月 入院 20mg 病気祈願ライブ
2002年2月 入院 17.5mg  
2002年3月 入院 15mg  
2002年4月 自宅療養 15mg  
2002年5月 自宅療養 15mg  
2002年6月 自宅療養 15mg  
2002年7月 入院 30mg 白血球除去
2002年8月 入院 30mg 白血球除去
2002年9月 自宅療養 30mg  
2002年10月 自宅療養 30mg  
2002年11月 自宅療養 30mg  
2002年12月 半入院 25mg 白血球除去
2003年1月 自宅療養 20mg 大腿骨骨董壊死発症
2003年2月 自宅療養 15mg  
2003年3月 自宅療養 10mg  
2003年4月 自宅療養 5mg  
2003年5月 自宅療養 0mg  
2003年6月 自宅療養   副腎不全・貧血・栄養失調
2003年7月 通院   地元の病院に転院