入院
2001年7月9日~2002年3月30日(約9ヶ月)



2001年7月9日

 入院しました。

2001年7月11日

 手術決定となりました。3回の手術で8ヶ月。いきなり8ヶ月もかかり3回も切腹しろと言われれば頭が真っ白になります。まあ結局手術はしませんでしたが。

 1回めで大腸を全部摘出して人工肛門にし、直腸からの粘液をためるような出口も作ります。そして腹に穴が2つ空いた状態で、3ヶ月ぐらい生活をします。一時退院もできます。2回めで小腸と肛門部分をつなげ、粘液の出口を閉じます。そしてまた少し期間を取ります。3回めで人工肛門を閉じます。全部で8ヶ月です。しかしこの手術をしても残した直腸に炎症が残ってしまい一生苦労しなければならない人もいます。直腸を全部切り取ってしまうと一生人工肛門か漏便状態になります。

 手術は決定したものの、ステロイドの量が多すぎて減らしてからでないと出来ないため、1ヶ月半ぐらいかけて減らして、その後に手術となりました。

 しかし他に何もせずに手術をするのは医者からすれば簡単ですが、出来るだけの事はやってみようという事で、絶食の点滴のみ、あと免疫抑制剤という薬を処方されました。

2001年7月中旬

 精神異常が出ていました。幻覚も現れました。ステロイドの飲みすぎもあったでしょうが、入院8ヶ月に3回手術と聞いておかしくなったんだと思います。入院ではなくて刑務所に入れられていると思い込んだり、点滴が終わるとこの世が終わると主治医に変な事を言ったり、面会が終わって部屋に戻って裸になったり、とにかく普通では考えられないような事をしていました。

 1週間ぐらいで治まったと思いましたが、その後はほぼ24時間ベッドで横になったままになってしまいました。ラジオを聴くだけの生活です。

2001年7月28日

 大腸カメラ検査。どういうわけか病変がかなり改善されていました。絶食と免疫抑制剤の効果はあったようです。先生に「これなら手術はしなくていいかもしれない」と言われました。

2001年8月11日

 大腸カメラ検査。また少し改善されているとの事でした。予想もしなかった食事が開始されました。3日間ずつ、流動食、3分粥、5分粥、7分粥、そして最後は全粥です。

2001年8月20日

 ステロイドが無くなりました。

2001年9月1日

 出血。何日か前から前触れはありました。急遽大腸カメラ検査。出血はしているものの、この程度であればステロイドを飲めば良くなる、という事でまたステロイドが開始されました。食事も無くなりました。また絶食です。

2001年9月~10月

 2、3週ごとに大腸カメラ検査を行い少しずつ改善していきました。

2001年10月10日

 誕生日。ケーキどころではありません。絶食中で点滴のみです。口にしていいものは薬とお茶だけです。歳を取るごとに誕生日は嬉しく無くなると言いますが、こんなに最悪な誕生日は初めてです。

2001年10月27日

 大腸カメラ検査。少し状態が悪くなりました。絶食中で、ステロイドも飲んでいて、免疫抑制剤も飲んでいます。本当はこれ以上どうすることも出来なかったはずですが。

 この頃に潰瘍性大腸炎の新しい療法で「白血球除去療法」というのがありました。存在自体は知っていましたが、保険が利かなく自費のため高額でした(1回約15万円)。ところが私が入院していた最中の10月に厚生労働省から認可が降りたようで保険が利くことになったのです。そこで先生がやってみようという事で始まりました。この療法は、どこからか血液を取って白血球を取り除き、どこかに血液を戻してやるというもので、人工透析のようなものです。1週間に1回1時間だけ、5回で1クールです。保険の関係で1回の入院につき2クールまで出来ます。都合10週間、これを行なうと言われただけで2ヶ月以上入院期間が増えてしまいます。10月31日から開始されました。

2001年11月5日

 24時間点滴用に鎖骨の上にカテーテルが入っていたのですが、白血球除去のために別にもう1ヶ所毎回太い針を刺すのが大変なので、2通路使える太いカテーテルに入れ替えました。3日間ぐらい痛かったです。寝返りも出来ませんでした。

2001年11月30日

 大腸カメラ検査。改善されているという事で食事が開始されました。

2001年12月31日

 約半年間、入院中です。精神的にも参っています。というより 自分は病院にいなければならない人間?と勘違いしてきます。

 正月はどうするか?点滴用のカテーテルが鎖骨の上に入っています。でも入院担当の先生は正月ぐらい家に帰してあげたいと考えていたようで、予定では白血球除去の最終回は翌年の1月4日でしたが、12月31日に行なってカテーテルを付けたまま家に帰ってもらい、翌年の1月4日にカテーテルを抜くという事になりました。

 12月31日。入院してから約半年、病院のベッドで横になったままです。病院にいるのはもちろん嫌ですが、半年もいれば嫌なものも多少は慣れてしまいます。家に帰るといっても完治して帰るわけではなく外泊です。年を越えるとまた病院に戻らなければなりません。それに正月といっても酒が飲めるわけでもないですし、美味い物が食べられるわけでもありません。

 半年ぶりに病院の外へ出ました。そして家に帰りました。当たり前の事ですが、私はこんな目に遭っているというのに周りは何も起きていません。家がまだあったのいうのが逆にショックでした。長期入院のダメージは相当大きいです。人間まで変えてしまいます。

2001年1月1日~4日

 正月といっても入院の外泊中ですから何も出来ません。まず鎖骨下にカテーテルが刺さったまま家に帰っているので、風呂もちゃんと入ることが出来ません。右胸の辺りは白いテープがびっしり貼られています。それに精神的に相当参っています。病院が私の家なのか?帰った家が私の家なのか?わからないぐらいです。良かったのは餅を食べた事とインターネットを半年ぶりにやった事ぐらいです。あまり楽しくない外泊でした。

2001年1月4日~

 外泊が終わり病院に戻りました。また何もない日々を過ごすだけです。ただ前年と大きく違ったのは点滴がない事です。これはかなり大きいです。病院内を自由に歩けます。点滴棒が無いというのは私にとっては画期的なことです。

 また、毎日ラジオを聴くだけの生活が始まりました。

2001年1月27日

 病気祈願ライブ。浅草ジャノメ。

 このライブは私が企画したものではありません。私の入院中に企画されました。

 本当の事を言うと、このライブには行きたくありませんでした。入院中だからです。「嫌々行った」というのが正しいです。行けばみんなが応援してくれるのはわかっているのですが、応援に応えられない自分が嫌です。でもとにかく「私がいたほうがいい」というので行きました。

 人数は多かったです。全員は店に入りきれなかったと聞きました。ありがたい事です。

 体力は全くないです。長時間起きているのさえ疲れる状態です。もちろんピアノは弾かない予定でした。ただピアニカを客席で吹く分はなんとか出来るだろう、ということでピアニカを持っていくことにしました。まあ結局、歌伴でピアノも数曲弾きました。拍手大喝采。でも見事にヘタになったのを感じました。

 外泊でやったので、終わって家に帰り、翌日からまた入院です。

2001年3月30日

 この前日の3月29日に大腸カメラ検査をやって、特に問題なければ退院、という事になりました。結果は「特に問題なし」。退院です。次の白血球除去をやりたいための退院です。

2001年3月31日~6月30日

 病気が治ってもないのに退院となったため、仕方なく自宅療養です。実際、腹具合は良くなく、何も出来ない状態です。家でパソコンを触る毎日でした。



※退院の理由

 2002年3月30日に退院しましたが、状態は良くないです。本来はこの時点の程度の炎症があるから入院するのであって、私の場合は、

・手術適応ほどのひどい状態からこの程度になったので退院

でした。退院の理由は炎症が無くなったからではなく、おおよそ次のような事です。

1. 3月の時点で入院しているとはいえ、食事をして薬を飲んで寝ているだけである。点滴もない。
2. 毎週週末に外泊(自宅)をしている。
3. 10月から11月にかけて行なった白血球除去療法が退院して3ヶ月経たないと出来ない。(保険の関係)



入院中の経過

※パソコン用

月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
7/9   30mg     低残渣食(全粥) 入院。手術決定。最低約8ヶ月の入院が必要と聞かされる。
7/10       低残渣食(全粥)  
7/11 ACTH筋注     低残渣食(全粥)  
7/12 IVH開始 夕~
なし
点滴のカテーテルが右鎖骨下に入らず、首の右側から入れられる。
7/13   なし  
7/14 カテーテル
入れ直し
なし 点滴のカテーテルの向きを直す。しかし途中で抜けてしまい、右脚の付け根に入れられる。
7/15   なし  
7/16   25mg なし 免疫抑制剤開始。
7/17   なし  
7/18 ACTH筋注 なし  
7/19   なし  
7/20   なし  
7/21   なし  
7/22   なし  
7/23   20mg なし  
7/24   なし  
7/25 ACTH筋注 なし  
7/26   なし  
7/27   なし  
7/28 大腸カメラ なし 炎症がかなり改善されている。手術はしなくていいかも。
7/29   なし  
7/30   15mg なし  
7/31   なし  
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
8/1 ACTH筋注 なし  
8/2   なし  
8/3   なし  
8/4   なし  
8/5   なし  
8/6   10mg なし  
8/7   なし  
8/8   なし  
8/9   なし  
8/10   なし  
8/11 大腸カメラ 昼~流動食 炎症が改善。手術はなくなる。食事が開始。
8/12   流動食  
8/13   5mg 流動食  
8/14   流動食  
8/15   朝~3分粥 点滴のカテーテルの状態が悪いのではずし腕からになる。
8/16   3分粥  
8/17   3分粥  
8/18   朝~5分粥 点滴が24時間でなくなる。午前9時ごろと午後4時ごろの2回で2時間ぐらい。毎回抜き差し。
8/19   5分粥  
8/20   なし 5分粥  
8/21   夕~7分粥軟菜食  
8/22   7分粥軟菜食  
8/23   7分粥軟菜食  
8/24   朝~軟菜食(全粥)  
8/25   軟菜食(全粥)  
8/26   軟菜食(全粥)  
8/27   軟菜食(全粥)  
8/28   軟菜食(全粥)  
8/29   軟菜食(全粥)  
8/30   軟菜食(全粥)  
8/31   軟菜食(全粥)  
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
9/1 大腸カメラ 30mg 朝~なし 出血のため前処置をせず急遽大腸カメラを行う。食事もなくなる。点滴も24時間になる。
9/2   なし 腕からの点滴が1日もたない。ほぼ毎日抜き差し。
9/3   なし  
9/4   なし  
9/5   なし  
9/6   なし  
9/7   なし  
9/8 カテーテル
挿入
なし 腕からでは栄養が行き渡らないないので右鎖骨下からカテーテルを入れられる。
9/9   なし  
9/10   なし  
9/11   なし  
9/12   なし  
9/13   なし  
9/14   なし  
9/15   なし 出血がなくなる。
9/16   なし  
9/17   なし  
9/18   なし  
9/19   なし  
9/20   なし  
9/21   なし  
9/22   なし  
9/23   なし  
9/24   なし  
9/25   なし  
9/26   なし  
9/27   なし  
9/28   なし  
9/29 大腸カメラ なし 改善。
9/30   なし  
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
10/1   なし  
10/2   なし  
10/3   なし  
10/4   なし  
10/5   なし  
10/6   なし  
10/7   なし  
10/8   なし  
10/9   なし  
10/10   なし  
10/11   なし  
10/12   なし  
10/13 大腸カメラ なし 改善。
10/14   なし  
10/15   なし  
10/16   なし  
10/17   なし  
10/18   なし  
10/19   なし  
10/20   なし  
10/21   なし  
10/22   なし  
10/23   なし  
10/24   なし  
10/25   なし  
10/26   なし  
10/27 大腸カメラ なし 少し状態が悪くなる。白血球除去療法を行うことになる。
10/28   なし  
10/29   なし  
10/30   なし  
10/31 白血球除去 なし 白血球除去療法1クール目開始。針の片方は左腕、片方は左脚付け根から。脚のほうがうまく入らず右脚7回、左脚2回刺された。
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
11/1   なし  
11/2   なし  
11/3   なし  
11/4   なし  
11/5 カテーテル
入れ替え
なし 毎回白血球除去のため刺すのはたいへんなので鎖骨のカテーテルを2通路使える太いものに入れ替え。3日間ぐらい痛い。寝返りができない。
11/6   なし  
11/7 白血球除去 なし  
11/8   なし  
11/9   なし  
11/10   なし  
11/11   なし  
11/12月)   なし  
11/13火)   なし  
11/14 白血球除去 なし  
11/15   なし  
11/16   なし  
11/17   なし  
11/18   なし  
11/19   なし  
11/20   なし  
11/21   なし  
11/22 白血球除去 なし  
11/23   なし  
11/24   なし  
11/25   なし  
11/26   なし  
11/27   なし  
11/28 白血球除去 なし 白血球除去療法1クール目終了。
11/29   なし  
11/30 大腸カメラ 昼~流動食 炎症はよくなるがこのまま白血球除去療法を続けることになる。3ヶ月ぶりの食事。
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
12/1   流動食  
12/2   流動食  
12/3   昼~3分粥  
12/4   3分粥  
12/5 白血球除去 3分粥 白血球除去療法2クール目開始。
12/6   3分粥  
12/7   朝~5分粥  
12/8   5分粥  
12/9   5分粥  
12/10   昼~7分粥軟菜食  
12/11   7分粥軟菜食  
12/12   7分粥軟菜食  
12/13 白血球除去 昼~軟菜食(全粥)  
12/14 大腸カメラ 軟菜食(全粥) 改善。
12/15   軟菜食(全粥)  
12/16   軟菜食(全粥)  
12/17   軟菜食(全粥)  
12/18   軟菜食(全粥)  
12/19 白血球除去 25mg 軟菜食(全粥)  
12/20   軟菜食(全粥)  
12/21   軟菜食(全粥)  
12/22   軟菜食(全粥)  
12/23   軟菜食(全粥)  
12/24   軟菜食(全粥)  
12/25   軟菜食(全粥)  
12/26 白血球除去 軟菜食(全粥)  
12/27   軟菜食(全粥)  
12/28   軟菜食(全粥) 点滴が24時間でなくなる。
12/29   軟菜食(全粥)  
12/30   軟菜食(全粥)  
12/31 白血球除去 軟菜食(全粥) 白血球除去療法2クール目終了。鎖骨下のカテーテルを入れたまま外泊。半年ぶりの家。
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
1/1         外泊
1/2         外泊
1/3   20mg   軟菜食(全粥) 外泊
1/4 カテーテル
抜く
  軟菜食(全粥) カテーテルを抜く。病院内で自由な身になる。
1/5     軟菜食(全粥)  
1/6     軟菜食(全粥)  
1/7     軟菜食(全粥)  
1/8     軟菜食(全粥)  
1/9     軟菜食(全粥)  
1/10     軟菜食(全粥)  
1/11 大腸カメラ   軟菜食(全粥) 改善
1/12     軟菜食(全粥)  
1/13     軟菜食(全粥)  
1/14     軟菜食(全粥)  
1/15     軟菜食(全粥)  
1/16     軟菜食(全粥)  
1/17     軟菜食(全粥)  
1/18     軟菜食(全粥)  
1/19     夕~普通米軟菜食  
1/20     軟菜食  
1/21     昼~常食  
1/22     常食 蓄尿終了
1/23        常食  
1/24       常食  
1/25       常食  
1/26       常食 外泊
1/27         外泊
1/28       常食 外泊
1/29       常食  
1/30       常食  
1/31   17.5mg     常食  
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
2/1       常食  
2/2       常食 外泊
2/3         外泊
2/4         外泊
2/5       常食 外泊
2/6       常食  
2/7       常食  
2/8       常食  
2/9       常食 外泊
2/10         外泊
2/11       常食 外泊
2/12       常食  
2/13       常食  
2/14       常食  
2/15 大腸カメラ     常食 改善
2/16       常食 外泊
2/17         外泊
2/18       常食 外泊
2/19       常食  
2/20       常食  
2/21       常食  
2/22       常食  
2/23       常食 外泊
2/24         外泊
2/25         外泊
2/26       常食 外泊
2/27       常食  
2/28   15mg     常食  
月日 検査治療 プレドニン 点滴 蓄尿 食事 備考
3/1       常食  
3/2       常食 外泊
3/3         外泊
3/4       常食 外泊
3/5       常食  
3/6       常食  
3/7       常食  
3/8 大腸カメラ     常食 S字結腸は改善したが直腸の炎症が少し悪くなる。
3/9       常食 外泊
3/10         外泊
3/11       常食 外泊
3/12       常食  
3/13       常食  
3/14       常食  
3/15       常食  
3/16       常食 外泊
3/17         外泊
3/18       常食 外泊
3/19       常食  
3/20       常食  
3/21       常食  
3/22       常食  
3/23       常食 外泊
3/24         外泊
3/25         外泊
3/26       常食 外泊
3/27       常食  
3/28       常食  
3/29 大腸カメラ     常食 直腸の炎症が改善。退院決定。
3/30 退院     常食  

※ACTH筋注
副腎皮質刺激ホルモン筋肉注射
※プレドニン
ステロイド剤(副腎皮質ホルモン剤)
※IVH
中心静脈栄養法。鎖骨下や首、鼠径部などにカテーテルを入れ高カロリー輸液を点滴する。



入院中の主な出来事

7月28日(金)
病院の盆踊り大会。病室で聴く。子供の頃に踊った炭坑節が流れていた。
8月13日(月)~15日(水)
お盆。何もなし。
9月1日(土)
新宿歌舞伎町ビル火災。
9月11日(火)
ニューヨーク同時多発テロ事件。
10月10日(水)
誕生日。食事なし。
12月25日(火)
クリスマス。夕食に小さいケーキが出た。
12月31日(月)
外泊。半年ぶりに家に帰る。
1月27日(日)
浅草JANOMEで病気回復祈願ライブ。7ヶ月ぶりに鍵盤をさわった。



入院中の1日

午前0時  
午前1時
午前2時
午前3時
午前4時
午前5時
午前6時 起床。6時30分 検温。
午前7時 7時45分 お茶を配りに来る。
午前8時 朝食。
午前9時  
午前10時 先生回診(時間不定)。看護婦が血圧を計りに来る。
午前11時 11時45分 お茶を配りに来る。
午前12時 昼食。
午後1時 1時30分 検温。
午後2時  
午後3時
午後4時
午後5時 5時45分 お茶を配りに来る。
午後6時 夕食。
午後7時  
午後8時 看護婦が見回りに来る。
午後9時 消灯。
午後10時  
午後11時



入院中の1週間

日曜日 体重測定(午前7時ごろ)。回診なし。
月曜日 病衣交換。
火曜日 点滴のライン交換。
水曜日 シーツ交換。回診なし。
木曜日 病衣交換。
金曜日 採血(午前6時半ごろ)
土曜日  



他の患者さんの思い出

胃潰瘍Iさん

70才ぐらい。私が入院した時に横のベッドにいた。1日3食のうえに10時と15時のおやつまで出ていたので、こっちは食事もないのに!と思っていたら胃潰瘍で手術をしていたらしい。野球が好きなようで消灯後もテレビを見ていた。7月中に退院した。が、10月頃に病室に現われて、他の患者さんとの会話を聞いていたら、また入院したらしい。調子が悪くなったようだ。階が違ったので、その後どうなったかはわからない。

病名不明Mさん

80才。とても元気。喉が悪いのか、ちょっとしゃべりにくそう。退院の日、ラーメンを食べに行こうと言っていた。

怪我(多分)Nさん

50代。足が悪いようなのだが普通に歩いているので病人に見えないが、階段の上り降りが難しいらしい。よく酒の話をしていた。病院の盆踊りの日も「酒が飲みたい」と言っていたし、退院の日も「これから友人と飲みに行く」と言っていた。 酒が好きなのだろう。

糖尿病Sさん

75才ぐらい。毎週3回院内の透析に行っていた。最初の頃は割りと元気だったが、だんだん目が見えなくなってきたらしい。おまけに膝も悪くなり、1階上の透析室に行くのも車椅子を使うようになった。ある日、外泊許可を申請したのだが、1日だけならよいと知ったのが不満だったのか、「最初は2日いいと看護婦が言ったのに」とか「1日だけなら意味がない」とか、かなりごねていた。さんざん看護婦にごねたが結局1日だけになった。こっちは24時間点滴で外泊自体が出来ないというのに…。その後、糖尿は良くならず、目もあまり見えず、膝も良くならず、車椅子を使っているのに、強引に退院した。ある日、車椅子に乗っている人に看護婦が「Sさん!」と声をかけていたので見たら、Sさんだった。また入院したのかもしれない。

胃潰瘍Mさん

75才。胃潰瘍だが高齢なため手術はない。毎朝新聞を1階に取りに行っていた。性格はとても良く、いつもニコニコしていた。お見舞いも沢山の人が来ていた。そしてかなり元気な状態で退院した。その後ある日、院内で点滴をしているMさんを見た。どうやらまた入院したらしい。1月に病室移動があって、そこで同室になったのだが、なんと24時間点滴だった。しかもあまり歩けないため、おむつをしていた。その弱々しい姿を見てショックだった。歩くためのリハビリをしていたが、それも無くなった。結局24時間ベッドの上。その後、食事も全然食べられなくなった。しかもだんだんボケてきた。看護婦に「早く死にたい」と言っている。そんな短期間で人間は弱々しくなるものなのか?3月に病室が変わったため、その後どうなったかはわからない。

病名不明Iさん

84才。とても元気。血管の流れが悪くなる病気のようで、2回目の手術のための入院。看護婦やヘルパーも顔を知っていて「あらIさん、また入院なの?」と言われていた。入院の日と、その次の日、おもらしをした。高齢なので仕方ないだろう。でもその後はなかった。手術の入院なので最初緊張していたのかもしれない。とても気さくな人で、私にもよく話しかけてくれた。家が農家なのか、奥さんがさつまいもをよく持ってきていた。手術後、しばらくして元気に退院していった。

病名不明Nさん

75才ぐらい。肺に水が溜まったようで、胸に管を刺された。内臓の病気らしい。ある日血管造影の検査があり、その後は24時間動いてはいけないのだが、消灯前の看護婦の見回りの時に、看護婦に「こんなの、日当5万ぐらいもらわないとやってらんないよ!」と言い放った。まあ気持ちはわかる。でも看護婦から「ここは病院よ」と言われ、そのまま集中治療室へ連れて行かれた。その後は別の病室へ移ったが、ある日見ると点滴をしていた。状態が悪くなったようだ。

足の怪我Fさん

25才ぐらい。土木関係の仕事をしている。毎朝検温後、すぐひげ剃りを始め、終わるとすぐ洗面所へ。規則正しい人だ。奥さんが1日置きぐらいで見舞いに来ていた。ずっと車椅子だったが1週間ぐらいで車椅子のまま退院してしまった。

肝炎Mさん

20代。いつもカーテンを閉めているので顔が全くわからない。ずっとノートパソコンを触っていた。

怪我Tさん

62才。植木職人。仕事中に木から落ちたらしい。同室になる前の1ヶ月は、どこも痛くないのに丸1ヶ月絶対安静にしていないといけなかったらしく、全く動けなかったらしい。同室になった時は車椅子だったが、そのうち杖になり、1ヶ月ぐらいで杖もなくなり普通に歩けるようになった。尿が1日20回ぐらいあるようだが、それは後遺症らしい。ただ、私が入院していた病院は泌尿器科がなかったので、なんと近くの大学病院へ通院していた。入院中に別の病院へ通院とは…。当然だろうが本人もブツブツ言っていた。尿の回数は減らないまま退院した。

怪我Hさん

50才ぐらい。交通事故。車を運転中にぶつけられ、意識不明の重体で救急病院へ搬送されたらしい。奇跡的に助かって転院してきた。ずっと車椅子。ぶつけてきた人はとても良い人だったらしく、その人に対しては怒っていなかったが、自分が加入している保険会社に相当怒っていた。保険会社はHさんが長期間意識不明だったため死ぬと思っていたらしく、全く連絡をして来なかったとの事。いいかげんな会社だ。相当な補償額を請求したようだ。かなりの重症で体は鉄板だらけと言っていた。車椅子のまま退院した。が、3月にまた入院してきた。骨髄炎の疑いがあり、もし骨髄炎だったら手術が必要との事。私が退院したため、その後はどうなったかわからない。交通事故は恐い。

怪我Sさん

28才。サッカーが趣味。足の怪我で手術。2ヶ月ぐらいで退院した。

大腸ガンSさん

62才。運転手。入院当初は腰が少し痛いという症状で整形外科の患者だった。ある日、腸が張った感じがするとの事で食事がとれなくなり、検査のため消灯後に吐きながら鼻からチューブを入れられた。とても苦しそうだった。そして別の病室へ移った。2ヶ月後ぐらいに私のいる病室に戻ってきたのだが、なんと大腸ガンで手術をしたとの事。しかも人工肛門になっていた。別の病気で入院したのに何という事…。人工肛門が閉じれば退院らしい。早い人だと1ヶ月。ところがなかなか閉じない。食事をしなければ閉じ方が早くなるとの事で、1月に1週間ぐらい絶食になったが何も変わらなかった。1週間だと意味がないのかもしれない。3月下旬、なんと半年経っても閉じない。私のほうが早く退院してしまった。

病名不明Kさん

60代。2回目の入院。その前の入院は7ヶ月で手術が3回だったらしい。そのうち2回めは失敗だとか言っていた。会話を聞いていると多分、永久人工肛門。少し調子が悪くて入院してきたのだが、すぐ良くなって退院。結局点滴だけだった。

胆のうの病気Kさん

75才。腰が痛いとかで入院してきた。前にも入院していたらしく、看護婦が顔を知っていた。胆のうが悪いようで手術をした。だんだん回復し、リハビリも開始。ところが腰の痛みは取れないようで、だんだん元気がなくなっていき、点滴が開始された。今度は左手があまり動かなくなった。おむつが開始。そのうち食事が全く取れなくなり、ついに24時間点滴となった。その後、ほとんどしゃべれなくなった。性格が良く、見舞いの人も多かった。早く元気になってほしい。

胆石Tさん

60才ぐらい。農家。口がすごく悪い。農家のためか?でも性格は悪くない。手術。手術後に鼻のチューブがなかなか抜けずブツブツ言っていた。1ヶ月ぐらいで退院。

大腸ポリープSさん

40代。大腸ポリープの手術は2回目。今回はかなりの大手術だったようだが全然平気。看護婦が「大丈夫?」と聞いてもニヤッと笑うだけ。手術慣れとは怖い。

怪我Sさん

58才。交通事故。東北自動車道を運転中、後ろからトラックに追突されたとの事。車内には家族など6人が乗っていて、そのうち子供と、その奥さんと、孫の1人が死亡。Sさんと奥さんと孫の1人が助かった。この事故はマスコミで報道されたらしい。福島の病院に即入院。その後に地元埼玉の大学病院に転院。そして私のいる病院に転院してきた。奥さんと孫も違う病室にいた。病室に来た時はそんな大事故の怪我人とは思えないぐらい元気だった。転院2回めなのでかなり回復していたのか?何の仕事をしていたかわからないが、大事故に遭い、60歳近かったためか、もう仕事はしないと言っていた。気さくな人で、よく話しかけてきて、私の病気の事もとても心配してくれた。

病名不明Hさん

40代ぐらい。お尻にこぶみたいなものが出来て、それを取る手術。簡単な手術らしく、毎日パチンコをしに外出していた。入院の必要があったのだろうか?

糖尿病Kさん

60代。性格は良いのだが。独り言がうるさい。いびきもうるさい。

大腸の病気Kさん

60才ぐらい。やたらと敬語を使う。必要以上に使う。聞いていて何か裏がありそうなくらい敬語を使う。私は見ていないが、看護婦が気持ち悪いと言ったぐらい綺麗好きらしく、ベッド周りが異様に綺麗だったらしい。ある日の消灯後、看護婦に「明日外出するから点滴の時間を早くしてほしい」と言っていた。看護婦が「朝6時前後なら大丈夫ですが」と答えると、「10時に出たいから"後"は困る」と。看護婦が「でも前後になるのはしょうがないですよ」と言うのに反論して、「病院側の主張と私の主張との接点を…」とか「前後という意味は…」とかウザったい事をグタグタ言っていた。結局看護婦が「わかりました!5時半"前後"に点滴します!」と言い放って終わった。でもこれって点滴の速さが遅ければどうにもならないのだが…。別の話、手術した人は手術後に病院内を朝昼晩3周づつ歩くように言われているのだが、なぜか「目標は朝昼晩10周づつ」と決めていて、それを看護婦やヘルパーに言っていた。そんな事、わざわざ言わなくてもいいものを。ある日歩いてるのを見たら、通路の一番外側を歩いていて、角に来ると90度カクッと向きを変えていた。どう見ても変な歩き方だ。あと食事後は必ず病室と洗面所を5、6回往復していた。何をしていたのだろうか。とにかく変な人だった。

肝炎?Tさん

60代。点滴が終わるとナースコールで必ず「ハーイ、Tです。点滴終わりました。」と言う。言葉がカワイイじいさんだった。

病名不明Kさん

60代。点滴が終わるとナースコールで必ず「点滴終わったよ~~~。」と言う。言葉がカワイイじいさんだった。

病名不明Kさん

84才。とても元気。内臓の病気らしい。手術前日、夜9時以降は食事をとらないように、と言われていた。手術後、看護婦が同じ病室の人に「昨日Kさん、何か変わった事はありませんでしたか?」と聞いていて、Kさんの横の人が「消灯の後に何かお菓子を食べる音がしてたよ」と。看護婦は「えっ!」。何か異常事態があったのだろう。

病名不明Sさん

88才。看護婦やヘルパーが通るたびに必ず何か話しかけていた。この人は誰かいるとしゃべらないとだめな人のようだ。

尿路結石Eさん

40代。結石がとても痛そう。なわとびをやらされていた。ある時、なわとびで石が出たため退院となった。なわとびの効果もあるのかな。