じみたの歴史

2001年(35歳~36歳)

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2001年1月1日(月)~2月28日(水)
☆病気の快復を望み、自主的に音楽活動を2ヶ月間休止
※しかしあまり変わらず
※新年会に参加出来ず

2001年3月2日(金)
<高円寺 Funny>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 西嶋徹(b)

2001年3月8日(木)
<六本木 ミスティ>
「居初啓一 グループ」
居初啓一(vo) 天野丘(g) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b)

2001年3月12日(月)
<新宿 J>
「New Voice」
「諸田富男 グループ」
AKANE(vo) 阿見杏奈(vo) 能登朗子(vo) 久保田浩(p) 矢野伸行(b) 諸田富男(ds)
※初共演:AKANE(vo) 阿見杏奈(vo) 能登朗子(vo)

2001年3月17日(土)
<小田原 3Chord>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

2001年3月20日(火)
<池袋 マイルスカフェ>
「諸田富男 グループ」
菅原和子(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)
※初共演:菅原和子(vo)

2001年3月22日(木)
<中目黒 樂屋>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 池田聡(b)

2001年3月29日(木)
<関内 BarBarBar>
「諸田富男 グループ」
谷由紀子(vo) 久保田浩(p) 沼上励(b) 諸田富男(ds)
※初共演:谷由紀子(vo)

2001年3月30日(金)
<吉祥寺 赤いからす>
「仲宗根かほる グループ」
仲宗根かほる(vo) 久保田浩(p) 松島憲昭(b) 諸田富男(ds)

2001年3月31日(土)
<鎌倉 ダフネ>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 香川裕史(b)

2001年4月1日(日)
<浅草 ジャノメ>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 香川裕史(b) 小島勉(ds)

2001年4月6日(金)
<関内 リトルキシ>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 香川裕史(b)

2001年4月
☆高橋節ちゃんと駒込「フラットファイブ」で会うし

2001年4月
☆花見 靖国神社

☆セッション参加
<入谷 Four&More>
高木正二郎(p) 中津裕子(b)

2001年4月12日(木)
<六本木 ミスティ>
「成瀬ふみこ グループ」
成瀬ふみこ(vo) 久保田浩(p) 浜村潔(b) 矢藤健一郎(ds)
※初共演:浜村潔(b) 矢藤健一郎(ds)

2001年4月17日(火)
<大塚 ドンファン>
「若松孝 グループ」
若松孝(ts) 日比野さだ美(vo) 久保田浩(p) 黒田勉(b) 海野俊介(ds)
※初共演:海野俊介(ds)

2001年4月/?
☆セッション参加
<浅草 Soultrane>
「セッション」
草ヶ谷美保(ds)

2001年4月24日(火)
☆ライブ鑑賞
<駒込 フラットファイブ>
「?グループ」
大原美奈子(p) 高瀬裕(b) 野村綾乃(ds)

2001年4月26日(木)
<新宿 場所?>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 加瀬達(b)

2001年4月27日(金)
<新宿 J>
「諸田富男 グループ」
ヨーコ・サイクス(vo) 久保田浩(p) 沼上励(b) 諸田富男(ds)

2001年5月3日(木)
☆セッション参加
<高田馬場 イントロ>
大原美奈子(p)

2001年5月4日(金)
☆白内障になる

2001年5月10日(木)
<六本木 ミスティ>
「吉澤紀子 グループ」
吉澤紀子(vo) 久保田浩(p) 黒田勉(b) 緑川直人(ds)
※初共演:緑川直人(ds)

2001年5月11日(金)
<阿佐ヶ谷 マンハッタン>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 林正男(b) 岡田朋之(ds)

2001年5月13日(日)
<飯田橋のホテル>
「イベント」
井上信平(fl) 久保田浩(p)

☆メガネを作りに行く

2001年5月16日(水)
<池袋 マイルスカフェ>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

2001年5月25日(金)
<三鷹 カフェマグノリア>
「諸田富男 グループ」
ヨーコ・サイクス(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

2001年5月26日(土)~6月3日(日)
☆病気悪化のため1週間音楽活動を休止

2001年6月4日(月)
<新宿 J>
「New Voice」
「諸田富男 グループ」
上杉亜希子(vo) ANANE(vo) TSUKUSHI(vo) 諸田富男(ds) 久保田浩(p) 林正男(b)
※初共演:TSUKUSHI(vo)

2001年6月5日(火)
<中目黒 樂屋>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 高瀬裕(b)

2001年6月8日(金)
<北千住 ゆうらいく>
「野間瞳 グループ」
野間瞳(vo) 久保田浩(p) 富澤文貴(b)
※初共演:富澤文貴(b)

2001年6月11日(月)
☆大腸内視鏡検査、悪い結果

2001年6月14日(木)
<六本木 ミスティ>
「KEVIN黒木 グループ」
KEVIN黒木(vo) 久保田浩(p) 佐瀬正(b) 谷山明人(per)
※初共演:谷山明人(per)

2001年6月15日(金)、16日(土)
☆キャンセルしたライブ 野村潤グループ2日間
<海老名 Sugar>
野村潤(ts) 久保田浩(p) 関根彰良(g) 長谷川泰弘(b) 諸田富男(ds)
<小田原3Chord>
野村潤(ts) 久保田浩(p) 関根彰良(g) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

2001年6月17日(日)
<新宿 J>
「ヴォーカルセッション ホスト」
「諸田富男 グループ」
久保田浩(p) 小泉清人(b) 諸田富男(ds)

2001年6月18日(月)
<吉祥寺 赤いからす>
「仲宗根かほる グループ」
仲宗根かほる(vo) 久保田浩(p) 増根哲也(b)

2001年6月20日(水)
<新宿 J>
「諸田富男 グループ」
ヨーコ・サイクス(vo) 久保田浩(p) 沼上励(b) 諸田富男(ds)

2001年6月21日(木)
<銀座 クラブ パナセ>
「野間瞳 デュオ」
野間瞳(vo) 久保田浩(p)

2001年6月22日(金)
<銀座 創作懐石料理店 ぶしょん>
「鈴木リエ デュオ」
鈴木リエ(vo) 久保田浩(p)

2001年6月24日(日)
<鶴瀬 包包(パオパオ)>
「佐野亜利亜 グループ」
佐野亜利亜(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 辻田健太郎(ds)

2001年6月25日(月)
☆入院決定、ライブ活動を全面休止決定

2001年6月28日(木)
<大塚 ドンファン>
「若松孝 グループ」
若松孝(ts) 日比野さだ美(vo) 久保田浩(p) 黒田勉(b) 海野俊介(ds)

2001年6月29日(金)
<吉祥寺 赤いからす>
「諸田富男 グループ」
キャロル(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

2001年7月5日(木)
☆入院の病院を突然変更

2001年7月9日(月)
★★★
☆入院

2001年12月31日(月)
☆嬉しくない外泊




上記以外のライブや仕事です。

<三鷹 カフェマグノリア>
「諸田富男 グループ」
中野雅晴(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

<池袋 マイルスカフェ>
「諸田富男 グループ」
中野雅晴(vo) 久保田浩(p) 矢野伸行(b) 諸田富男(ds)

<小田原 3Chord>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

<高円寺 Funny>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 西嶋徹(b)

<熊谷 ルイス>
「鈴木リエ グループ」
鈴木リエ(vo) 久保田浩(p) 林正男(b)

<阿佐ヶ谷 マンハッタン>
「橋本和子 グループ」
橋本和子(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 岡田朋之(ds)

<鶴瀬 包包(パオパオ)>
「佐野亜利亜 グループ」
佐野亜利亜(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 辻田健太郎(ds) 矢野伸行(b)




2001年1月1日(月)~2月28日(水)
☆病気の快復を望み、自主的に音楽活動を2ヶ月間休止
※しかしあまり変わらず
※新年会に参加出来ず

 前年の11月末ぐらいからまただんだん腹具合が悪くなってきたので、少しでも調子がよくなればと思って自主的に2ヶ月間音楽活動を休止することにしました。休止したのは音楽活動のほうです。昼の仕事は行きました。潰瘍性大腸炎というのはストレスで病状が悪くなります。昼の仕事はあまりストレスがありませんでした。音楽活動のほうは良い意味でも悪い意味でもストレスがあります。特に即興音楽であるジャズはストレスが大きいと思います。それに音楽活動の時間帯は夜です。土日もあります。したがって生活が不規則になります。このため音楽活動を休止することにしました。

 しかし結果はあまり変わりませんでした。そんなに意味がなかったようです。

 1月7日にドラムの諸田さんの新年会が予定されていました。正月はまだ調子がよかったんですけど、4日、5日あたりから下血がひどくなり、前もって諸田さんに参加できないかもしれないことを連絡しました。

 当日、やはり調子が悪いです。下血は止まりませんでした。食事をするとトイレに行きたくなります。無理して行ったとしても、トイレ地獄、酒は飲めない、食事も出来ないでは私だけ楽しくありません。仕方なく新年会は行かないことにしました。


2001年3月2日(金)
<高円寺 Funny>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 西嶋徹(b)

 高円寺のライブハウス Funny での六角幸生グループですが、このメンバーで出演しました。

 2ヶ月間、自発的に音楽活動を休止した後の一発目のライブです。結局、腹具合は休止前とあまり変わりませんでした。


2001年3月8日(木)
<六本木 ミスティ>
「居初啓一 グループ」
居初啓一(vo) 天野丘(g) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b)

 六本木のライブハウス、ミスティでのライブですが、このメンバーで出演しました。


2001年3月12日(月)
<新宿 J>
「New Voice」
「諸田富男 グループ」
AKANE(vo) 阿見杏奈(vo) 能登朗子(vo) 久保田浩(p) 矢野伸行(b) 諸田富男(ds)

※初共演:AKANE(vo) 阿見杏奈(vo) 能登朗子(vo)

 新宿 J でのニューボイスですが、このメンバーで出演しました。ヴォーカルの3人と初めて一緒に演奏しました。


2001年3月17日(土)
<小田原 3Chord>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

 野村潤ちゃんのリーダーで、神奈川県小田原の 3Chord に出演しました。


2001年3月20日(火)
<池袋 マイルスカフェ>
「諸田富男 グループ」
菅原和子(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

※初共演:菅原和子(vo)

 菅原和子さんと初めて一緒に演奏しました。


2001年3月22日(木)
<中目黒 樂屋>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 池田聡(b)

 中目黒の 樂屋に初めて出演しました。


2001年3月29日(木)
<関内 BarBarBar>
「諸田富男 グループ」
谷由紀子(vo) 久保田浩(p) 沼上励(b) 諸田富男(ds)

※初共演:谷由紀子(vo)

 谷さんと初めて一緒に演奏しました。


2001年3月30日(金)
<吉祥寺 赤いからす>
「仲宗根かほる グループ」
仲宗根かほる(vo) 久保田浩(p) 松島憲昭(b) 諸田富男(ds)

 仲宗根さんがリーダーで、吉祥寺のライブハウス、赤いからすに出演しました。ベースを松島さんにお願いしました。


2001年3月31日(土)
<鎌倉 ダフネ>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 香川裕史(b)

 六角さんのリーダーで、鎌倉のライブハウス、ダフネに出演しました。


2001年4月1日(日)
<浅草 ジャノメ>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 香川裕史(b) 小島勉(ds)

 浅草のライブハウス、ジャノメに出演しました。ベースに香川さん、ドラムに小島さんを迎えました。このライブは良かったです。理科大ジャズ研の後輩たちが見に来てくれました。


2001年4月6日(金)
<関内 リトルキシ>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 香川裕史(b)

 六角さんのリーダーで、関内のレストラン(?) リトルキシで演奏を行ないました。


2001年4月
☆高橋節ちゃんと駒込「フラットファイブ」で会うし

 駒込のフラット5の店の外でベースの高橋節ちゃんと挨拶し、ちょっとだけ会話をしました。


2001年4月
☆花見 靖国神社

☆セッション参加
<入谷 Four&More>
高木正二郎(p) 中津裕子(b)

 靖国神社で花見をしました。といっても言葉どおり本当の花見だけです。花を見ただけです。おみくじを引いたんですがめずらしく大吉でした。病気は治ると書いてありました。これを信じていたんですけどね。

 酒は飲みません。屋台で売っている焼き魚や焼きとうもろこしなどは食べました。わたがしも久しぶりに食べました。

 花見の後、入谷の Four&Moreへセッションをしにいきました。初めてです。ピアノの高木さんがリーダーです。理科大ジャズ研の後輩でベースの中津ちゃんもいます。客では村山先生、ヘラさん、Yagoなどがいました。


2001年4月12日(木)
<六本木 ミスティ>
「成瀬ふみこ グループ」
成瀬ふみこ(vo) 久保田浩(p) 浜村潔(b) 矢藤健一郎(ds)

※初共演:浜村潔(b) 矢藤健一郎(ds)

 ベースの浜村さん、ドラムの矢藤くんと初めて一緒に演奏しました。


2001年4月17日(火)
<大塚 ドンファン>
「若松孝 グループ」
若松孝(ts) 日比野さだ美(vo) 久保田浩(p) 黒田勉(b) 海野俊介(ds)

※初共演:海野俊介(ds)

 大塚の ドンファンでのテナーの若松さんのメンバーが変わりました。ドラムの海野くんと初めて一緒に演奏しました。


2001年4月/?
☆セッション参加
<浅草 Soultrane>
「セッション」
草ヶ谷美保(ds)

 理科大ジャズ研の後輩のドラムのたいこがセッションリーダーバンドをやっているというので、浅草の Soultraneへセッションをしにいきました。初めて行きました。

 このお店で私とベースに黒田勉くん、ドラムにバクちゃんこと山口新吾くんでライブを予定したのですが、入院のためできませんでした。


2001年4月24日(火)
☆ライブ鑑賞
<駒込 フラットファイブ>
「?グループ」
大原美奈子(p) 高瀬裕(b) 野村綾乃(ds)

 駒込のフラット5にライブを観に行きました。1曲弾かせてもらいました。ピアノのみなっぺこと大原美奈子ちゃんに初めて会いました。インターネットの掲示板では知っていました。私と同じ福岡県出身です。

 このお店はベルギーのビールがたくさんあるお店です。私は酒はやめていたんですが、この日、ライブが終わってみんな飲み始めました。私も知らないベルギービールを少しだけ飲みました。ああ、やっぱりビールはうまいです。なんでビールを飲んではいけない病気なんかになったのでしょう。しかも酒が原因の病気ではありません。私はアルコールが好きなのではありません。ビールが好きなのです。うちで飲んでいたのはビール以外はフルーツ系の缶酎ハイが少々、他のアルコール飲料はめったに飲みませんでした。こんなにビールが好きだったのに。悔しすぎます。悲しすぎます。人生の楽しみは半分なくなりました。


2001年4月26日(木)
<新宿 場所?>
「六角幸生 グループ」
六角幸生(vo) 久保田浩(p) 加瀬達(b)

 六角さんのリーダーで、新宿のお店(名前忘れました)で演奏を行ないました。


2001年4月27日(金)
<新宿 J>
「諸田富男 グループ」
ヨーコ・サイクス(vo) 久保田浩(p) 沼上励(b) 諸田富男(ds)

 ドラムの諸田さんに誘われて、新宿のライブハウス、Jでヨーコ・サイクスさんのライブを行ないました。このグループのメンバーはみんな私よりもだいぶ年配の人たちばかりですが、演奏は素晴らしいです。私も非常に楽しいです。


2001年5月3日(木)
☆セッション参加
<高田馬場 イントロ>
大原美奈子(p)

 ピアノのみなっぺこと大原美奈子ちゃんが高田馬場のイントロでジャムセッションリーダーをやっているというので遊びに行きました。

 この日、目が少し痛かったです。白内障の前症状だったんでしょうか。


2001年5月4日(金)
☆白内障になる

 この頃まぶたのあたりがアトピーで少し腫れていました。たまにあることなのでそんなに気にしてはいませんでした。

 朝起きるとどうもいつもと見え方が違います。少し雲って見えます。光がいつもより少しまぶしいです。目に幕ができたような感じです。こすってもとれません。昼間は曇って見えるので気になってしょうがありません。夜はそんなに変わりません。なんかおかしいなとは思いました。

 翌週、昼の仕事へ行くとパソコンのモニターが非常に見づらいです。見づらいというか見えないといったほうがいいです。画面全体が白くぼーっとなって見えます。文字がちゃんと見えません。家ではそんなにひどくなかったんですが。これは明るすぎるせいです。電車の駅では切符売り場の上にある料金表の料金が見えなくなっています。困ったもんです。

 どうしようもないので家の近くの個人眼科へ行きました。そこでは、わずかに白内障になっているが、それより目の上に 目やにの膜が出来ているんじゃないか、と言われ点眼薬をもらいました。期待して1週間点眼しましたが変わりませんでした。

 後日、総合病院の眼科へ行きました。そこでは、一番よくあるタイプの白内障だと言われました。ショックです。原因として考えられるのは2つです。1つはアトピーで腫れていたこと、もう1つはステロイドの副作用です。でも先生に聞くとステロイドの副作用ではある日突然白内障になるということはなく、だんだんと目のレンズが濁っていくらしいのです。だとするとアトピーが原因か? でもステロイドも多少は関係はしていると思います。

 白内障は点眼薬はありません。治すならば手術しかありません。目のレンズを人工レンズに入れ替える手術です。ただ私の場合は視力からすると手術はしないほうがよいと言われました。人工レンズですから手術をすると自分でレンズを動かすことが出来なくなり、自分で焦点を合わせることが出来なくなります。人工レンズは焦点をどこに合わせるかを決めることはできますが、ほとんどの人は遠くを見えるように合わせるらしいです。このほうが通常生活は問題ないからです。近くを見るときにはメガネをします。要するに老眼ですね。手術をするということは、目の濁りはとれるけど老眼になるということです。手術自体は現在はたいしたものではないそうです。点眼麻酔をし10分から20分ぐらいで終わるそうです。

 私が一番困るのはパソコンのモニタが見えないことです。どうもバックが白だと特に見えないようです。白いバックにに黒い文字は見えません。黒バックに白い文字なら少し見えます。目のレンズが曇っているため光が多いと乱反射が多くなるので見にくくなるんですかね。昼間は物が見えづらいです。夜はまだいいんですが。なのでパソコンでは環境設定で下地を黒にしています。ソフトで環境を変えられるものは全部黒にしています。

 病院では手術をしないほうがよいと言われましたがパソコンのモニタが見えません。これは問題です。仕方なく後日メガネを作りに行くことにしました。5月13日です。


2001年5月10日(木)
<六本木 ミスティ>
「吉澤紀子 グループ」
吉澤紀子(vo) 久保田浩(p) 黒田勉(b) 緑川直人(ds)

※初共演:緑川直人(ds)

 ドラムの緑川くんと初めて一緒に演奏しました。


2001年5月11日(金)
<阿佐ヶ谷 マンハッタン>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 林正男(b) 岡田朋之(ds)

 阿佐ヶ谷のマンハッタンではヴォーカルの橋本和子ちゃんのグループで出演していたんですが、マスターから突然 あの子1週間前にロンドンに行っちゃったんだよと電話がかかってきました。そんな突然そんなこと言われてもねえ。


2001年5月13日(日) [1]
<飯田橋のホテル>
「イベント」
井上信平(fl) 久保田浩(p)

 フルートの井上信平さんに誘われて、飯田橋のホテルのイベントでの演奏を行ないました。



2001年5月13日(日) [2]
☆メガネを作りに行く

 仕事が終わってから池袋のメガネ屋へ行きました。今までメガネを作ったといえば運転免許更新だけのために掛けもしないメガネを作りに行ったぐらいです。私は右目は近視です。左目は少し近視なのと、子どもの頃にやった角膜炎の名残で乱視っぽく見えてるらしいです。普通の乱視とは違うみたいです。ちょっとぼやけて見えてます。このためメガネでは矯正できないのです。右目の近視は矯正できますが、左目は乱視だけ入ったレンズになります。このメガネを掛けるとどうにも頭が痛くなってしまい掛けてられないのです。免許更新のときしか使いませんでした。しかも合格ぎりぎりです。

 でも今回はそういうメガネではありません。普段しなければならないメガネです。なので右目の近視矯正は少し抑えめで作ってもらいました。そして曇って見えるのを抑えるために色付きです。サングラスですね。白内障の人がサングラスをしているというのはよくわかります。そのほうがよく見えるのです。昼の仕事はちょっとサングラスってのはどうかと思いますが、ミュージシャンはサングラスを掛けている人もいるのでいいんじゃないでしょうか。見かけのためではなく白内障だから仕方有りません。


2001年5月16日(水)
<池袋 マイルスカフェ>
「野村潤 グループ」
野村潤(ts) 久保田浩(p) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

 テナーの野村潤ちゃんのグループで池袋のライブハウス、マイルスカフェに出演しました。メガネをして最初のライブです。やはり見にくいです。


2001年5月25日(金)
<三鷹 カフェマグノリア>
「諸田富男 グループ」
ヨーコ・サイクス(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

 諸田さんに誘われて、三鷹のカフェマグノリアでヨーコ・サイクスさんのライブを行ないました。


2001年5月26日(土)~6月3日(日)
☆病気悪化のため1週間音楽活動を休止

 潰瘍性大腸炎悪化のため1週間ほど音楽活動を休止しました。

 ある日昼間の仕事に行ったらめまいがしました。頭がぼーっとしました。これは潰瘍性大腸炎の症状の1つです。その日は仕事をせずにすぐ帰りました。そしておそらくすぐには治らないと思ったので入っていたライブを1週間ほどキャンセルしました。昼の仕事も休みました。


2001年6月4日(月)
<新宿 J>
「New Voice」
「諸田富男 グループ」
上杉亜希子(vo) ANANE(vo) TSUKUSHI(vo) 諸田富男(ds) 久保田浩(p) 林正男(b)

※初共演:TSUKUSHI(vo)

 新宿 Jでのニューボイスですが、このメンバーで出演しました。


2001年6月5日(火)
<中目黒 樂屋>
「久保田浩 グループ」
久保田浩(p) 高瀬裕(b)

 中目黒の 樂屋に出演しました。みなっぺこと大原美奈子ちゃんが見に来ました。


2001年6月8日(金)
<北千住 ゆうらいく>
「野間瞳 グループ」
野間瞳(vo) 久保田浩(p) 富澤文貴(b)

※初共演:富澤文貴(b)

 野間さんのリーダーで、北千住jの ゆうらいくに出演しました。何年かぶりです。富澤くんと初めて一緒にやりました。


2001年6月11日(月)
☆大腸内視鏡検査、悪い結果

 1年ぶりに大腸カメラをやりました。4月下旬に病院を近くの総合病院に変えました。前に行っていた病院は、1回目の病気の再燃の時に住んでいたアパートからは近かったんですが、引越して遠くなっていたのです。その病院はある病院の分院だったんですが、分院自体がなくなってしまったので近くの総合病院に変えました。内視鏡の結果はやはりよくありませんでした。ステロイドの量を増やしてもらいました。これでよくなってくれればよかったんですけどね。


2001年6月14日(木)
<六本木 ミスティ>
「KEVIN黒木 グループ」
KEVIN黒木(vo) 久保田浩(p) 佐瀬正(b) 谷山明人(per)

※初共演:谷山明人(per)

 パーカッションの谷山さんと初めて一緒に演奏しました。


2001年6月15日(金) 2001年6月16日(土)
☆キャンセルしたライブ 野村潤グループ2日間
<海老名 Sugar>
野村潤(ts) 久保田浩(p) 関根彰良(g) 長谷川泰弘(b) 諸田富男(ds)
<小田原3Chord>
野村潤(ts) 久保田浩(p) 関根彰良(g) 長谷川泰弘(b) フォリス・フルフォード(ds)

 野村潤ちゃんのリーダーで、神奈川県海老名市の Sugar 、神奈川県小田原市の 3Chord に出演するはずだったんですがキャンセルしました。

 2日間とも神奈川でうちから遠かったのもありますが、うちから近いところに住んでいるベースの長谷川さんが潤ちゃんのうちに泊まりということになりました。トイレ状態を考えると泊まりは無理です。両方うちから通いでもよかったんですが、それもちょっとたいへんです。潤ちゃんに相談してキャンセルすることにしました。残念です。


2001年6月17日(日)
<新宿 J>
「ヴォーカルセッション ホスト」
「諸田富男 グループ」
久保田浩(p) 小泉清人(b) 諸田富男(ds)

 J のヴォーカルジャムセッションのリーダーバンドをやりました。


2001年6月18日(月)
<吉祥寺 赤いからす>
「仲宗根かほる グループ」
仲宗根かほる(vo) 久保田浩(p) 増根哲也(b)

 仲宗根さんのリーダーで、吉祥寺のライブハウス、赤いからすに出演しました。

 この年の2月に仲宗根さんのライブがあったんですが、私がベースのブッキングを頼まれたので、この日は増根さんにしていました。ところが私が病気で音楽活動休止のため出来なくなり、誰か他のピアノと増根さんとで出演したようです。その時仲宗根さんは増根さんと初めて会ったんですがとても気に入ってくれたようで、この日のベースは最初から仲宗根さんが増根さんに決めていました。


2001年6月20日(水)
<新宿 J>
「諸田富男 グループ」
ヨーコ・サイクス(vo) 久保田浩(p) 沼上励(b) 諸田富男(ds)

 諸田さんに誘われて、Jでヨーコ・サイクスさんのライブを行ないました。この年2回目です。同じメンバーです。


2001年6月21日(木)
<銀座 クラブ パナセ>
「野間瞳 デュオ」
野間瞳(vo) 久保田浩(p)

 野間さんに誘われて、銀座のクラブ「パナセ」で演奏をしました。といってもこの日はなぜか客は0人でした。初めて行ったお店なのでよくわかりませんが、野間さんも こんなことは初めてと言ってました。


2001年6月22日(金)
<銀座 創作懐石料理店 ぶしょん>
「鈴木リエ デュオ」
鈴木リエ(vo) 久保田浩(p)

 鈴木リエちゃんに誘われて、銀座の創作懐石料理店「ぶしょん」で演奏を行いました。このようなお店での演奏はめずらしいですね。しかもそんなにお店は広くないのにグランドピアノが置いてあります。ライブハウスではないのに結構歌を聴いている人もいます。このお店のオーナーがジャズが好きなんですかね。


2001年6月24日(日)
<鶴瀬 包包(パオパオ)>
「佐野亜利亜 グループ」
佐野亜利亜(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 辻田健太郎(ds)

 このお店はミュージシャンに食事が出るんですが、私は食事をするとトイレへ行きたくなる現象が起きるので私は食べられません。

 月1回、もう何年もやっている鶴瀬の点心料理店 包包(パオパオ)でのライブも入院前のこの日が最後となってしまいました。考えて見ればこのバンドがこの時点で私がレギュラーでやっていたグループで一番長かったんですね。


2001年6月25日(月)
☆入院決定、ライブ活動を全面休止決定

 6月11日の大腸カメラの結果があまりよくなく、ステロイドの量を増やしてもらったんですが、一向によくなる気配はありません。

 潰瘍性大腸炎は入院し絶食をするとたいてい症状がおさまります。大腸にモノが通らなくなるからですね。私は入院はいやでした。昼の仕事も出来なくなるしピアノも弾けなくなっていまいます。これまでは症状が出るたびに先生に入院を勧められましたが避けてきました。結果、薬だけで症状が治まっていたのだからよかったんです。しかし今回はどうにもなりませんでした。ステロイドの量もかない多いです。そのステロイドがあまり効かなくなってきたようです。他の副作用も気になります。

 仕方なく入院することにしました。入院だって何日とか何週間とかの単位ではありません。どのくらいになるかもわかりません。手術の可能性もあります。しかもこの病気は手術しない限り一生もんです。それも手術してからも調子が悪いという人もいます。この病気は厚生労働省の特定疾患です。難病です。入院決定です。残念です。


2001年6月28日(木)
<大塚 ドンファン>
「若松孝 グループ」
若松孝(ts) 日比野さだ美(vo) 久保田浩(p) 黒田勉(b) 海野俊介(ds)

 大塚ドンファンでの若松さんのグループは前回と同じメンバーです。ドンファンはこれが入院前の最後のライブです。


2001年6月29日(金)
<吉祥寺 赤いからす>
「諸田富男 グループ」
キャロル(vo) 久保田浩(p) 林正男(b) 諸田富男(ds)

 私の入院前の最後のライブです。キャロルさんはずいぶん前に井口バンドで一緒に演奏して以来でした。もう顔も覚えていませんでした。歌はすばらしいです。

 最後のライブは、奇しくもというかやはりというか、バックの2人は私が大学卒業したてのころから一番長い間お世話になっているお二方となりました。


2001年7月5日(木)
☆入院の病院を突然変更

 入院は決定していました。うちの近くの総合病院に7月9日の月曜日からの予定にしていました。ところがある人から連絡が入りました。その人はインターネットの掲示板で会話をしたことがある人だったんですけど、実はその人は私と同じ潰瘍性大腸炎だったのです。それも中学ぐらいに発病して入院していたらしいのです。その人はもう症状は出ていないようですが病院には通いつづけています。その人が発病の時からずっとお世話になっている先生がいるのでその先生を紹介してくれるというのです。ある病院の院長をしているベテランの先生です。この病気は患者数が少ないためなかなかいい先生に会うことができません。大腸カメラがない小さい病院では診てもくれません。どういうわけかその先生は潰瘍性大腸炎の患者を数多く診ている先生なのです。

 翌日の金曜日、その人からFAXされた紹介状を持ってその病院へ行きました。うちからはちょっと遠いです。するとその日、その先生が全大腸ではないですけど炎症部分を大腸カメラで診てくれました。前処置なしです。やる人はやるんですね。こんなのは初めてです。結果はやはり炎症がひどいということでした。その病院も入院施設はあります。そこで入院を病院を変えることにしました。金曜日です。土曜日はその先生は外来はやっていません。ぎりぎりになっていい先生に巡り会えて入院の病院を変更したのです。こんなこともあるんですね。


2001年7月9日(月)
★★★
☆入院

 入院しました。

 日々の詳しいことは潰瘍性大腸炎のページに書いてあります。



<入院直後>

 入院して、まず手術決定となりました。結局手術はしなかったんですけどね。この病気の手術はたいへんな手術です。いくつか方法があるんですが、私の場合は3回に分けて行なうというものです。いきなり3回も切腹しろと言われれば頭が真っ白になります。大腸は1.5Mぐらいあるんですが、炎症部分だけ切り取ってもまた残った部分に炎症が出てくるので大腸を全部切り取らないと意味がないのです。1回めで大腸を全部取り除き人工肛門にし、直腸からの粘液をためるような出口も作ります。腹に穴が2つ空いた状態です。これで3ヶ月ぐらい生活をします。一時退院もできます。2回めで小腸と肛門部分をつなげ、粘液の出口を閉じます。そしてまた少し期間を取ります。3回めで人工肛門を取り外します。これで終了です。約8ヶ月です。こんな長い期間をかけて3回も手術をしなければならないのです。しかもこの手術をしても残した直腸に炎症が残ってしまい、一生苦労しなければならない人もいます。といって直腸を全部切り取ってしまうと一生人工肛門になるか漏便状態になります。手術はたいへんなのです。だからなるべく手術は避けるようにするんです。

 手術は決定したものの、まずステロイドの量が多すぎるので減らしてからでないと手術は出来ません。1ヶ月半ぐらいかけて減らしてそれから手術予定となりました。しかし何もせずに手術をするのは医者からすれば同じですが、できるだけのことはやってみようということで絶食、点滴のみ、あと免疫抑制剤という薬を処方されました。この病気は原因不明ですが自己免疫機能がおかしくなっていることはわかっているようで免疫抑制剤で症状がおさまる人もいます。



<入院2週間後>

 2週間後に大腸カメラを行ないました。どういうわけか病変がかなり改善されています。絶食と免疫抑制剤の効果はあったようです。先生に、これなら手術はしなくていいかもしれないと言われました。これでよくなってくれれば言うことはありません。



<入院1ヶ月後>

 また2週間後に大腸カメラを行ないました。また少し改善されているようです。予想もしなかった食事が開始されました。まず流動食です。言葉は聞いたことがありますがどんなものが出るのかわかりません。結局何が出たかというと具が何も入ってないコーンスープのようなもの、ヨーグルト、プリン、ゼリー、まあそんなようなものです。あとは重湯です。重湯というのを初めて飲みました。おかゆの米がなくて薄いようなものです。なんでしょうかねえこれは。ある若い患者が これなら薬のほうがまだうまいとか言ってましたが。まあそんなようなもんです。

 だんだん食事のレベルが上がっていきました。普通なら1日おきに上がるところですが、私の場合3日おきです。3分がゆ、5分がゆ、7分がゆ、全がゆ、です。それも7分からはおかずは他の人とは違って軟菜食というものです。野菜は軟らかいものしか出てきません。ほとんど煮物です。サラダも煮た野菜です。まずくてしょうがない。



<9月1日>

 出血しました。何日か前から前触れはありました。少し赤っぽいかなとは思いました。急遽大腸カメラを行ないました。出血はしているが、このくらいならステロイドを飲めばよくなるということでまたステロイドが開始されました。この時ステロイドは入院してから手術のために減らしていったのでなくなっていたのです。またステロイドです。また食事もなくなってしまいました。また絶食です。

 それからは2、3週ごとに大腸カメラを行い少しずつ改善していきました。



<10月10日>

 私の誕生日です。誕生日ケーキどころではありません。絶食中です。点滴のみです。口にしていいものは薬だけです。年をとるごとに誕生日はうれしくなくなるとか言いますが、こんなに最悪な誕生日は初めてです。



<10月27日>

 少し腸の状態が悪くなりました。絶食中です。ステロイドも飲んでいます。免疫抑制剤も飲んでいます。本当はこれ以上どうすることもできなかったはずです。

 この頃の潰瘍性大腸炎の新しい療法で白血球除去療法というのがありました。存在自体は知っていましたが、この療法は保険が利かないので高い金額がかかってしまっていたのです。ところが私が入院していた10月に厚生労働省から許可が出たらしく保険が利くことになったのです。そこで先生がやってみようということで白血球除去療法が始まりました。この療法は、どこからか血液を取って白血球を取り除きどこかに血液を戻してやるというものです。人工透析のようなものです。1週間に1回1時間だけ、5回で1クールです。1回の入院につき2クールまで出来ます。都合10週間、これを行なうと言われただけで2ヶ月以上入院期間が増えてしまいます。10月31日から開始されました。



<11月30日>

 大腸カメラの結果改善されているということで食事が開始されました。


2001年12月31日(月)
☆嬉しくない外泊

 約半年、入院中です。精神的にも参ってます。というより 自分は病院にいなければならない人間なのか?と勘違いしてきます。

 正月はどうするか。点滴のカテーテルが鎖骨の上に入ってます。でも入院担当の先生は正月ぐらい家に帰してあげたいと考えていたようで、予定では白血球除去の最終回は翌年の4日だったんですが、12月31日に行なってカテーテルは付けたまま家に帰ってもらい翌年の4日にカテーテルを抜くということになりました。これならカテーテルがおかしくなってもあとは抜くだけだから構いません。

 12月31日です。入院してから約半年、病院のベッドで横になったままです。病院にいるのはもちろんいやです。しかし半年も入ればいやなものも多少は慣れてしまいます。うちに帰るといっても完治して帰るわけではないのです。外泊です。年を超えるとまた病院に戻らなければなりません。また半年も何もしなければだんだん記憶も薄れてきます。正月だといっても今までのように酒が飲めるわけでもありません。うまいものが食べられるわけでもありません。

 半年ぶりに病院の外へ出ました。そしてうちへ帰りました。当たり前のことですが、私はこんな目にあっているというのに周りは何事も起きていません。うちがまだあったのいうのが逆にショックでした。長期入院のダメージは相当大きいです。人間まで変えてしまいます。




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