じみたの歴史

2002年(36歳~37歳)

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2002年1月1日(日)~4日(金)
☆外泊

2002年1月4日(金)~26日(土)
☆入院継続

2002年1月27日(日)
☆病気祈願ライブ
<浅草 ジャノメ」
楠直孝(p) 林正男(b) 諸田富男(ds) 久保田浩(p)

2002年1月28日(月)~3月29日(金)
☆入院継続(外泊あり)

2002年3月30日(土)
☆嬉しくない退院

2002年3月31日(日)~6月30日(日)
☆自宅療養

2002年7月1日(月)~9月4日(水)
☆白血球除去療法のため10週間入院

2002年9月4日(水)~12月2日(月)
☆自宅療養

2002年12月3日(火)~30日(月)
☆白血球除去療法のため1週間1泊入院を5週間

2002年12月31日(火)
☆大晦日、何もなし




2002年1月1日(月)~4日(金)
☆外泊

 正月といえども、入院の外泊中ですから何も出来ません。それより、鎖骨下にカテーテルを差したまま家に帰っているので、風呂もちゃんと入ることが出来ません。右胸のあたりは白いテープでびっしり貼られています。それに半年ぶりに家に帰ったものだから、病院が私の家なのか、帰った家が私の家なのかわからないぐらい精神的に参っています。まあ、家に帰ってもあまり楽しくはありません。せいぜいモチを食べたことぐらいですかね? 病院では普通食ではないため、勝手に病院食以外の物を食べることが出来ません。あとはインターネットを半年ぶりにやったことぐらいですね。

 ということで、あまり楽しくない外泊でした。


2002年1月4日(金)~26日(土)
☆入院継続

 何日間かの外泊が終わって病院に戻りました。病院に戻るというのは悲しいものです。またあの地獄の日々の始まりです。なーんにもない日々を過ごすだけです。前年と大きく違うのは、点滴がないことです。これはかなり大きいです。病院内を自由に歩ける・・・点滴棒がいらない、というのは私にとっては画期的なことです。早足で歩けます。階段も使えます。これは点滴棒の生活では絶対に無理です。「普通に歩ける」ということは実は素晴らしいことなんですよ。何不自由なく普通に生活している人には理解できないことです。

 また、毎日ラジオを聞くだけの生活が始まりました。


2002年1月27日(日)
☆病気祈願ライブ
<浅草 ジャノメ」
楠直孝(p) 林正男(b) 諸田富男(ds) 久保田浩(p)

鈴木リエ(vo) 高橋エミ(vo) AKANE(vo) たむらとし子(vo) 若松孝(ts) 佐瀬正(b) 井川晃(ds) 山口新語(ds) 西尾研一(ds)

理科大ジャズ研:
村山秀樹(b) 井口健一(ts) 林(g) 大橋(b) 広瀬(g) 浅田(b) Eve(tp) 苅田"$子"恭子(as) 藤井"Payapa"素子(vo) たいこ(ds) 山野(ds) まる子(tp) 中津裕子(b) 北澤誠(ds)

他:
市川先生(tp) 由良匡(ds)

他多数

 このライブは私が企画したものではありません。私が入院中になぜかこういうことになってしまったのです。とにかくジャノメのマスターには感謝します。ありがとうございました。

 本当の事を言うと、このライブには行きたくありませんでした。なぜかというと・・・入院中だからですよ。治るのがわかってて復活するのもわかってるんであれば喜んで行ったと思いますが、私の病気はそういう簡単なものではありません。この時点で医者は途方にくれてました。「これ以上施しようがない」という状態になっていたのを私も知ってましたから、とても外泊までしてライブに行く、などという気分にはなれませんでした。「いやいや行った」というのが正しいです。行けばみんなが応援してくれるのはわかっているんですが、応援に応えられない自分がいやなんです。他の人に病気の説明をするのもいやだったし。まあでもとにかく「私がいたほうがいい」というので行きました。

 とにかく人は多かったです。上記で忘れている人もいるかもしれません。また理科大ジャズ研の現役がたくさん来たんですけど、店に入りきれずに外で飲んでた、という話も聞きました。どうもすいませんでした。ありがたい話です。

 半年以上病院のベッドで寝てたんですから、体力とかそういうのはまったくないです。長時間起きているのさえ疲れる状態です。ということでピアノは弾かない予定でした。ピアニカを客席で吹く分はなんとか出来るだろう、ということでピアニカを持っていくことにしました。

 まあでも、友人がたくさん来れば張り切ってしまう私です。結局、歌伴でピアノも数曲弾きました。見事にヘタになってますね。そりゃあ半年弾いてないんですから。まあでも、ピアノを弾くつもりはなかったし、弾いてもロクなもんではない、というのはわかってました。それに私が弾けばみんな応援するだろうなあ、って思ってましたから、その意味もあったわけです。案の定、私が弾くと、ものすごい拍手・・・これがですね、空しいんですよ。ヘタになってる自分を応援してる・・・これはとてもいやです。「この病気にさえならなければ・・・」って余計に思うんですよ。これも最初からわかってました。だから行きたくなかったんですけどねえ。

 ライブは無事終わりました。みんな酒飲んでるのに私は当然飲めません。酔っぱらってる人もかなりいました。終わったのはかなり遅かったのでタクシーで帰りました。

 翌日は、他の人はそれぞれのちゃんとした生活があるんですが、私だけ病院戻りです。予想出来てましたけど、悲しいです。


2002年1月28日(月)~3月29日(金)
☆入院継続(外泊あり)

 病気期間ライブが終わったら、もう何もないです。翌日、病院へ戻り、また毎日ラジオだけの生活です。

 戻ってすぐ、食事が普通食になりました。先生に言ってみるもんですねえ。どうも長い間おかゆを食べていたため、おかゆが大嫌いになってしまいました。食べると気持ち悪いんです。見ただけでも気持ち悪い。かなりの反動ですね。普通食になってよかったです。

 前年の11月と12月に行った白血球除去療法ですが、これ、1回の入院期間中に2クール、10回までしか出来ないんです。これは保険の有効回数が理由で、実費を払えばやってもらえるそうなんですが、1回15万円近くかかるとか・・・1クール75万円?!確実な療法じゃないのにこんな金は払えません。よって入院を延長して、もし大腸の状態が悪くなったとしても、この入院中には白血球除去療法が使えないのです。もうこれ以上療法がないのです。この白血球除去をやるためには一度退院して3ヶ月期間を空けなければならないのです。これが理由で退院の話が出ました。・・・要するに、治って退院するわけじゃなく、これ以上手の施しようがないから退院するのですよ。次の白血球除去をやるために退院するんですよ。潰瘍性大腸炎というのはそういうやっかいな病気です。


2002年3月30日(月)
☆嬉しくない退院

 この前日の3月29日に大腸カメラをやって、特に問題なければ退院、ということになりました。結果は・・・特に問題なし・・・これで退院です。次の白血球除去をやりたいための退院です。これがうれしい退院でしょうか?


2002年3月31日(日)~6月30日(日)
☆自宅療養

 病気が治ってもないのに病院を追い出されたため、しょうがなく自宅療養です。おそらく3ヶ月後には白血球除去が待ってます。実際、下痢は治っておらず、何も出来ない状態です。家でパソコンをいじる毎日でした。


2002年7月1日(月)~9月4日(水)
☆白血球除去療法のため10週間入院

 お約束の白血球除去のための入院です。でもこれ、1週間に1回しかないんですよ。これを1クール5回、2クールなら10回です。通院でも出来るんです。でも入院なんです。「10日間のために10週間入院せよ」ってのはどう考えても人生の無駄ですよ。でも主治医は聞いてくれませんでした。理由は「何かがあると危ないから」。そりゃそうですけどね。でも前年やった時も何も問題なかったんだし、血液検査もOKだったんだから、通院でも出来たんですよ。それが主治医は心配性なんだかなんだかで通院はダメとのこと。しょうがなく10週間入院です。

 でももう前回の、あの地獄の入院は絶対にいやです。そこでノートパソコンを買うことにしました。これがあれば病院で暇になることがありません。何もすることがない入院って地獄です。「何のための人生だろう?」って考えちゃいますよ。私はノートパソコンがあれば何かやることが出来ます。

 この入院中にノートパソコンでやったのが、この「じみたの歴史」やJavasvriptのゲームです。10週間ですから、相当なものが出来ますよ。朝・昼・版・夜・全部ノートパソコンの生活でした。

 白血球除去は週に1日だけなので、週末は必ず自宅へ帰ってました。月に10日間外泊が出来るというので、土~月または土~火で外泊しました。

 今回の白血球除去は、とても苦労しました。苦労したのは私ではありません。いや、私も苦労した。というか私は痛かった。苦労したのは針を刺す人工透析の担当の方です。白血球除去は体のどこか2ヶ所に針を刺して、片方から血を採って白血球を除去し、片方の針からその血を入れる、ということをやります。人工透析のようなものです。これを約1時間やるのですが、前回の白血球除去は、点滴用として鎖骨下に2本分の大きなカテーテルを入れていて、それを使っていたので、いちいち針を刺すことはなかったのですが、今回は白血球除去のための入院ですから、一回一回針を刺さなければなりません。またこの針が・・・

  つまようじ

まさに「つまようじ」でした。そんなぶっといのを入れるんかい?ってぐらいデカかったです。担当の方に「針ですか?あまり見ないほうがいいと思いますけどね。」って言われてたんですが、わざわざ見せてもらいました。このつまようじ針を体のどこかに2ヶ所入れるんです。そうじゃなくても採血や点滴針だけでエライコッタの私なのに、こんなぶっとい針で血液がとれるぐらいの血管なんて私には存在しません。毎回毎回さんざん苦労して刺していたきました。人口透析の担当の方、どうも御苦労様でした。2回ぐらい失敗しましたけど(^^)。あと看護婦さんが何回か失敗した(^^)。採血で失敗してもなんともない私ですが(慣れすぎ)、この針の失敗はかなりショックでした。


2002年9月4日(水)~12月2日(月)
☆自宅療養

 白血球除去入院は白血球除去のためだけなので、10回目が終わった次の日に退院です。で、これは1つの治療法ですから、病気が治ったわけではありません。腹具合はそんなに変わらずの状態です。下痢は下痢です。なんら変わりありません。白血球除去は飛躍的に治るような治療法ではないんですよね。ということで退院して自宅療養が続きます。


2002年12月3日(火)~30日(月)
☆白血球除去療法のため1週間1泊入院を5週間

 11月の終わりの大腸カメラで、また少し悪くなった、ということで、今回は3ヶ月にならないのに白血球除去をやることになりました。保険は適応されるんでしょうか?主治医は「大丈夫だと思うよ。」だし、入院担当の先生は「主治医が『大丈夫』って言ってるようだし・・・僕は知らない。」だし。保険適応出来るのかよくわかりません。まあ私は「自費で払う」とかにならなければいいことです。
 
 今回は連続入院はなし、でやることになりました。除去をやる日に一泊だけ入院し、翌日の朝に帰る、ということを5週間やる、ということになりました。前回も何もなかったので一応大丈夫だろう、ということでした。まあこれなら我慢できます。そんなに人生の無駄じゃないです。

 ところで5週間は1クールだけです。これは今までなかったことです。今までは2クールでした。なんでも「年末年始にかかるとめんどくさいから・・・」こんなの理由になるんですかね?それとも、それほど悪くないから1クールだけでよかろう、という判断だったかもしれません。

 さて、苦労するのは、人工透析担当の方です。また前回同様たいへんなことになりました。すべては私の血管がいけないんですけどね。出ないものは出ません。またつまようじ針を1回に2本で、都合10回刺されました。


2002年12月31日(火)
☆大晦日、何もなし

 前日の12月30日に白血球除去の最終回が終わって31日退院です。大晦日です。といっても、何があるわけではありません。テレビを付けてインターネットをやって年明けを過ごしました。

 結局この年は何もやってません。入院と自宅療養の繰り返しでした。人生の無駄を感じます。私が1年間何もやってない時に、一生懸命努力してる人もいるのですよ。会社で昇進している人もいるし、ジャズプレイがうまくなっている人もいるんです。私は何も前進していないのです。前進どころか後退してしまったような気がします。「人は何のために生きているのか?」など健康人なら普段考えないようなことをずっと考える1年だったと思います。これが今年で終わりではなく、いつまで続くかわからない人生です。




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